仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

墓参

一年前に急逝された方、一周忌に納骨が済まされたとのことなので、墓参に行ってきました。
1999から2005年まで、途中私の出産、別の企業就職、というブランクを挟んで、長きに渡り、とある組織で一緒に仕事して、様々な影響を受け、一緒に闘った人でした。
たった一人で大規模なシステムを作り上げたった一人でメンテナンスをして。そのやり方と人になじまない独特のキャラクターに反発していた時期と、共に闘い共通の趣味もある仲間として思っていた時期と、半々くらい。攻殻機動隊COWBOY BEBOP菅野よう子の話で盛り上がったっけ。DVDも一杯借りた。そして、闘い。その組織が彼の能力に甘えて予算も人員も割かないままなのを、このままではいけないと訴え続けました。また当時の職場のみならず、組織全体の意識の改革も求めて彼は運動を起しました。やがてどうしても上の意識が変わらないことを知って、彼は退職。
職を離れた彼が、その高度な能力を生かして何をしているだろう、そろそろ近況を聞いてみたいと思っていた昨年秋、急逝の知らせが。退職してから10ヶ月。パソコンからは、何か仕事をしていた形跡はなく、直前数ヶ月のパチスロ収支表と攻略法が見つかりました。
どんな思いで暮らしていたんだろう。なんとも言えない喪失感とやりきれなさを感じてからもう一年。元職場はシステムだけが動き続けていて、なんか辛くなるので行かなくなってしまった。そしていまでも時々、彼が退職するような状況にならなければ、死ななかったんじゃないか、と、ふと思ってしまいます。もちろんそれは間違いですけど。
46歳で私の父が死んだ時も、44歳でこの方が亡くなったときも、いろいろ考えました。若くして誰かが亡くなると、いつも、悲しいというより考えさせられます。必ず思うのは「死んではいけない」ということです。単純ですけど。