仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

年始の前向きな気合いを込めて〜ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか

前にも書いた([id:monyakata:20071221:1198187995])けど、とても楽しい本でした。
梅田氏の徹底したオプティミズムが、気持ち良いです。世間にあふれているのが否定や批判ばかりの中、梅田氏もさらにそういうのを浴びるのを覚悟で書いたのでしょう。舗装された道路を進めなければ目的地にたどりつけないとついつい思い込んでしまう私たち。回り道したって砂利道だって水没していたって人んちの庭だって、自分が道だと思えば道と思って進む希望を持ち続けよう!と、非常に前向きなメッセージが感じられます。
それと、私の転職人生を「これでいいのかも」と少し思えたのが嬉しかったです。大学卒業後15年間で6回も転職していて、あげくの果て独立までして、その結果収入は減り夫に扶養されなければ生活できません。ずっと一つの企業に勤務しつづけている夫には「あんたは仕事を選んでいる、ワガママだ、道楽だ」となにかにつけチクチク言われます。できれば夫にこの本を読んでもらって「コモディティ化してない?」と問いかけたいところです。(実際、夫に勧めたのですがパラパラめくってすぐ放り投げました。ぜんぜん読む気しないみたいですね)しかし実を言えば、実は私が転職しつづけたのは、そこに仕事があったから、そしてIT関連が刺激的でとても面白い、「普通に好き」だから。「寝食を忘れる程、人生をうずめる程好き」とは正直言えないんですね。本当に好きを追求したわけでもない、「飯を食える」ほど稼いでいるわけでもない、これはやっぱり夫の言う通り道楽とたいして変わらないかも。ただお陰でITという言葉が生じる前からITに関わり続けることができ、ITリテラシーは身に付いていると思います。ここらで「ITがお仕事」から「ITは手段」に転換し、本当の好きを再考してみるのも、いいかもしれない。


で、希望が満ちているようなITの裏側では、残業、過労死、鬱…ITが発達するにつれ、犠牲者も増えていくような感じです。そんな裏側の犠牲者を無視できるのか?それから、家庭を持つものとして、私は「ワークライフバランス」に興味があるのですが、これもIT関連のお仕事では無縁だと思われています。本書でも「飯を食う」は度々出てくる表現ですが、「家族を養う」という視点は、ありません。好きを追求するリスクを背負えるのは一人で生きているときだけなのでしょうか。家庭があったら、けものみちを進んでいくなんて、できない…?
それでも、私は何かいい方法があるんじゃないかと、信じたいです。「ネットによって、好きを追求した仕事ができて、ワークライフバランスが可能。残業や徹夜も無縁、家族との時間がたくさんとれる。かつ普通に生活できるくらいお金が稼げる」ってなったら、すごいことだと思う。こういうみんなできないと思い込んでいる分野こそ、群衆の叡智を活用してみんなで幸せになれる方法を考えていけたらいいのに。


そうそう、前の日記に書いた「子供に教える」という視点。本書に出て来た希望を持てない若者の姿には、私も悲しくなりました。いずれ社会に出る子供を持つ親として、何ができるでしょうか?勉強していい大学に入りさえすれば人生安泰…ではない!ということは私も実例をたくさん見て実感しています。必要なのはサバイバル力とでもいいましょうか、どんな境遇でも希望を失わないで脳みそを絞って解決策を見つけようと思える、そしてそれが楽しめる力、だと思います。どうしたらいいんでしょうね。私には親が手本を示す、ぐらいしか思いつかないのですが。

# 追記:1/8 信じられない。「ウェブ時代をゆく」のレビューなのにタイトルやamazonのリンクはずっと「ウェブ進化論」でした。訂正します。