仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな47歳、高校生男子の母。

墓参

かつての同僚の墓参に行ってきました。エッセイ風。
初めて駅から徒歩で葛岡墓地に行った。
昨年、一周忌の時は知人の車で行った。Mさんのお墓は入り口からもっとも奥の区域にある。なだらかな丘を墓地が覆い、周囲は森だ。人の声も車の音もなく、鳥と虫の声が響き渡るのどかな光景で、ちょっとしたハイキング気分が味わえる、と思った自分が甘かった。黒のスーツに仕事用のヒールでゆるい上り坂を登り続けるうち、息があがり汗がにじんだ。あかるい曇り空からやや強い日差しにてらされ、よたよたと歩き、ようやく奥の区域に着いたのは30分後だった。
Mさんの墓に向かった。しかし、見当たらない。昨年お参りした時の記憶がもう薄れている。でも光景からしてこの区域周辺であることは間違いない。「倶会一処」(くえいっしょ)と刻まれたやや低い墓石を探す。隣の区域、また隣の区域、でも見つからない。
「参ったな…」
まさか、墓を移したんだろうか。手があせばみ、持った花がしおれて来そうだった。ジャケットを脱いで手に持ち、やや痛くなってきた足をかばいつつ、墓石の間をさまよう。道路が遠回りなので、土の崖を無理矢理上り下りする。犬を散歩に連れて来た人がちらりと見た。見えない遠くの草刈り機の音が響いている。一年前来た時もこの音が聞こえていた。
「…Mさん、どこですか?」
と、つぶやいた。
──だから、言ったじゃないですか。墓参りなんてしなくていいって。無意味だって。
腕を組んで、苦笑いしながらそう言うMさんの姿が思い浮かんだ。
「何言ってるんですか。悪いけど、私には意味があるんです」


Mさんと「死んだらどうするのか」という話をしたことがある。独居のMさんは病気を持っていた。病院に通っていれば普通に暮らせる病気だが、医者嫌いと不摂生で、死にかねない状態が何年も続いていた。体調悪化のため急に連絡もなく職場に来なくなり、そのまま何日も経つということを何度も繰り返した。そんな時に限ってトラブルが起きたりして、私も周囲の人も非常に迷惑を被った。
「ちゃんと治したらどうなんですか」
復帰したMさんにぶつけると、彼は「自分なんて死んでもいい」みたいなことを言う。
「私は自分が大嫌いだし、自分の遺伝子なんて後世に残す必要はないと考えているから、死んでもいい」30代の頃からこういうことを言い続けていたらしい。
「そうじゃなくて困るんですよ。部屋で一人で死んだらどうするんですか。連絡もなく、一週間経って部屋に見に行ったら死んでたなんて、嫌ですからね」
同僚は私一人だったから当然私がその役回りだろう。Mさんは笑いとばす。
「いいよいいよそんなの見に来なくたって。葬式もしなくていいし墓参りなんてなくていい。まったく無駄だし無意味。私が死んでも誰も悲しまないし」
「無意味なんてことはないです。私はMさんが死んだら泣きますよ」
私は結局泣かなかった。


「…私は自分のために来てますから」
──あ、そうですか。
ようやく墓石が見つかった。疲れてへたりこんだ。


花瓶は綺麗に空だった。線香のもえかすが隣の墓の方に散らばり、一周忌のときもあった葬祭会館からのメッセージカードが、濡れて半分溶け、すみにくっついていた。
「あんまりだなぁ…」
ぶつぶつ言いながら、水で清め、ぞうきんで拭き、花を供え、散らばった線香とカードを片付けた。
墓石の後ろに回り込むが、一年前と同じく、Mさんの戒名は刻まれていなかった。なんで名前を入れないんだろう。葬儀で喪主だったお兄さんの、困ったような驚いたような口調が思い浮かんだ。何年も会っていないと聞いたことがある。
「これじゃ、わかんないんだよMさん」
昨年も来たのに場所を忘れた自分の記憶力低下を棚に上げ、文句を言った。だが、M家、という表示もなければ、墓誌もない。誰のお墓なのかパッと見てさっぱりわからないのだ。墓参りしたい人が来ても、迷うだろう。私も昨年、管理棟で聞いて教えてもらった。


Mさんは他人への配慮が少し足りない人だった。非常に優秀な頭脳を持つので、相手が理解しているかどうか構わずにいつも滔々と何時間も話し続けた。良くそんなに喋られるなぁ、と感心すると同時に、相手の困惑した顔色をみると申し訳ない気がした。ある時「気をつかわせるといけないから」とアポなしでとある会社に出向き、用を足した後で通路で出会った人に「そういえば例の件ですが」といつものように滔々と話したのでさすがに後で注意した。
「大事な話なら中で打合せすればよかったじゃないですか」
「お茶だしたり気をつかわせるでしょ」
「そうじゃないですよ。打合せルームだったら、相手はメモをとったり資料にあたったりできるでしょ。立ち話でどれだけ相手の頭に入りますか?」
Mさんはそんなことは思いもよらなかった、という顔をした。


──でも、誰も来ないじゃない。わからなくたっていいんだから
「私が、来ましたよ」
線香に火をつけ、煙が立ち上るのを確認して手を合わせた。
用事は済んだ。だが立ち去りがたく、私は腰をおろして墓を眺めた。
鳥の声が響く。隣の区域に墓参に来る人はいるが、声がかすかに聞こえる程度だ。車の音がして、用事を済ませて、また車で去って行く。
虻や蝶が飛んできて、私の供えた花にまとい、蜜を吸う。
「ねぇMさん。無意味だって言いますけどね。こうして私が墓参りして供えたお花に、葛岡の虫達が蜜を吸いにきて、少しでも命を永らえるとしたら、意味のあることだと思いませんか?」
──ぷっ。
Mさんが、呆れたり人を小馬鹿にするときの顔が思い浮かんだ。


「倶会一処」(くえいっしょ)、墓石の言葉の意味を調べた。非常に大雑把に言うと「来世でまた会える」ということらしい。攻殻機動隊のクゼのセリフでいうと「先にいくぞ」といったところか。攻殻機動隊というと私にとってはMさんだった。MさんからDVDを借りて全部見た。内容についてよく話した。Mさんがこう言ったことがある。
「クゼが『心を許せる相手がいるか』というでしょ。素子にはいるけどクゼにはいない。私も同じ。トラブルがあったとき、力を借りたい時、私を頼りにしてくれる人はたくさんいる。むしろ私しか頼る人がいない。端で見ると、人が集まってくるようだけれども、私が頼れる人は、誰もいないんです」
Mさんに頼れる人がいたら、彼はもっと自分を大事にしただろうか。あんな突然救急車で死ぬようなことはなかっただろうか。


だが実は、そのような故人を「惜しむ」気持ちはかなり薄れた。無理矢理思おうとすれば、できないことはない。彼の死後「Mさんがいたら」ということは無数にあった。でも結局「泣ける」ような安っぽい感情は湧いてこない。
「私が今悲しくも淋しくもないのは、こうして墓の前に居ながら一方通行にいろいろ考える新しい存在ができた、と思ってるからじゃないかな」
──…。
Mさんが私の脳裏で、とても嫌そうな顔をした。
私は墓の前に座ったまま本を読んだ。途中、線香が何度も消えそうになったので火を維持しながら。暑くも寒くもなく、うすぐもりで日差しも強くない。ときおりとんぼや蜂の羽音が通り過ぎる。読書しつつ、いろいろなことに思いを巡らせた。


気がついたら墓地で2時間過ごしていた。昼はとっくに過ぎ、お腹がすいて来たので帰ることにした。隣の墓との合間にたまったゴミが気になった。「バイクに乗れる季節のうちにまた来よう。手ぼうきでも持って」花はやっぱり要るだろう。リュックに差して背負えば持って来れる。月並みだけど「また来るよ」と声をかけて、30分かけて戻った。やはりバイクがいいけど、たまには電車も使おう。こうして歩くのも悪くない。その時は歩きやすい格好で。


「心を許せる相手がいるか」と言われれば、私も実はいない。けれども死んでもいいとは思えない。生きたいと思う原動力となる人たちが、複数思い浮かぶ。そしてその中に、Mさんも入っている。