仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな46歳、高校生男子の母。

絲山秋子の小説は、安心する

最近、絲山秋子ばかり読んでいる、monyakataです。

絲山秋子は「沖で待つ」で第134回芥川賞を受賞し、私もそれではじめてその人の存在を知りました。当時、「沖で待つ」を立ち読みしたときは「ふーん」ぐらいでした。

それから何年も経って、ふと「逃亡くそたわけ」「ニート」「エスケイプ/アブセント」とか立て続けに読んで、再び「沖で待つ」もじっくり読んで、(ちなみにすべて図書館)この人好きだなぁ、と思いました。しばらくはまりそうです。


発売当時「沖で待つ」の帯に「友情を描く」と書かれていたのにすごく違和感を覚えました。再読してやはり、及川と太っちゃんの関係に「友情」と名付けなくたっていいと、私は思いました。
普通「友情」「恋愛」「夫婦」「親子」あたりが、主要とされる人間関係。でもってその主要な人間関係は、円満であるべき、と思われている。それにしくじってしまった人は、なんとなく落伍者、駄目人間に見られるし自分でもそう思って自分を責めてしまう。
でも実は、その主要とされる人間関係以外にも、ものすごくたくさんの人間関係が我々の周りには満ちている。脇役的な(?)人間関係でも主要とされる人間関係以上に、濃厚で、信頼できて、なんかいいなーという関係を築くこともできるのだ。だったらそれで、いいんじゃないか。主要な人間関係がうまくいかなくても。

同期入社とか、取引先とか、先輩後輩とか、同級生とか、店主と客とか、親戚とか、数時間会っただけの人とか、それはもう無数の人間関係がありうる。それが多少濃厚になったからって、そこに「友情」「恋愛」を芽生えさせなくたっていいんじゃないか。無理矢理、主要な人間関係に引き寄せる必要はないんじゃないか。

絲山秋子の小説には、そういう脇役的な人間関係以外が多く書かれていて、それでいて「ああいいな」と思える。だから、主要な人間関係でしくじりがちな私は、とても安心するのです。

沖で待つ (文春文庫)

沖で待つ (文春文庫)