仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

父の命日に思う…「私はこの程度で、よかったのかもしれない」

お父さん、命日でしたね。もう27年も経ちましたか。
去年も父の命日に思う、と題して書いたのですが、一年経っても思うことは基本的に変わっていないです。

今年は、ぽっと浮かんだことがあって。「私はこの程度で、よかったのかもしれない」ということ。
お父さんは、本当に才能のある人でしたね。万能の人でした。本業の教師をはじめ、政治活動、音楽活動、さまざまなことで飛び回っていました。今、勉強会ブームと言われていますけど、お父さん達の時代こそ活発でしたね。熱心に、勉強会も飲み会もやって、大きな声で議論を戦わせていましたね。ビールとタバコの煙の混じったすごい匂いは、今でも思い出すことができます。お父さんはいつも中心人物で、皆に尊敬されて、講演とか何かの代表とかで飛び回っていました。スポーツ万能で体力抜群、病気もほとんどしない人でしたね。土日もあまり家にいないし、会話をした記憶もあまりないのですが、それが当たり前だと思っていました。

お父さんが亡くなって周りの人は「生き急いだ」「働きすぎ」と言いました。まるで褒め言葉のように。私はものすごく腹が立ったものです。「死んだら偉くもない」…っと、それは去年の日記に書きましたっけ。
でも、きっとお父さんは、いろんな活動をしてとても充実していたんでしょうね。理念を追求し好きなことをつっぱしって各地を飛び回って、幸せだったと思います。残された家族は大変でしたが。

で、もし、私がお父さんと同じくらい才能があって、仕事以外の活動にも家族は理解があって、土日も好きに出かけていい立場だったとしたら、やはり同じように飛び回っていたと思うのです。そして、同じように早死にしたかもしれません。

だから、私は「これでちょうどいいのかな」と思うことにしました。才能はあまりなくて、女で、子持ちで、体力が無くてしょっちゅう風邪をひいて腰痛持ち。しかも夫が単身赴任で自由に出かけられない。その状況に、ぶーぶー文句をたれていたんですが、実はこのぐらいがいいかもしれない。死なないためには。
私自身は自分を全然まじめだと思っていないんですが、いまだに「まじめ」と言われてしまいます。お父さんの遺伝ですね。頑張りたい時に頑張れる状況にあったら、頑張りすぎてしまっていることでしょう。
こういう「制約」は、もしかすると、お父さんが「長生きしなさいよ」と警告の意味で采配してくれているのかもしれないですね。

すごい人たちに憧れる気持ちもあります。私も頑張らなければと、つい思ってしまいます。でも、お父さんの享年も徐々に近づいています。私は、この程度でちまちまと生きながらえます。お父さん、これからも私が無茶しそうだったり、まじめに考えすぎていたら、警告を出してください。
では、また来年も、なにか考えることにしましょう。