仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

共同生活で得られるものとは

ルームシェアとか共同オフィスとか、共同生活がはやってるみたいで。
私は前から共同生活したいとか人が集まる場所が欲しいとかよく思っていて、いまでもしたい。
http://d.hatena.ne.jp/monyakata/20070126/1169762112
http://d.hatena.ne.jp/monyakata/20080926/1222415833
http://d.hatena.ne.jp/monyakata/20081002/1222904999

根本にあるのが、私が寮生活を大学で経験してそれがとても楽しかったということ。
単に「楽しかった」じゃ曖昧なので、「共同生活でよかったこと、悪かったことは何か?」そして「共同生活で得られたのは何か?」を真面目に考えてみようと思う。

共同生活(寮生活)でよかったこと

  1. 病気のとき助けてくれた
  2. 起きなきゃいけないとき起こしてくれた
  3. バイトを紹介してもらった
  4. 一緒に映画やTVを楽しめた
  5. 一緒にカラオケや飲みにいけた
  6. 雨の日学校まで車に乗せてくれた
  7. 鍋を焦がしそうなときに火を止めてくれた
  8. 至らないところがあったら注意してもらえた
  9. 集まって飲み会、夕食会などが楽しかった
  10. 料理のうまい人のおすそわけをもらえた。作り方も教えてもらえた
  11. 自分もおすそわけして喜んでもらえた。あまったものを食べてもらった。料理の試作を味見してもらった
  12. 自分よりすごい人、立派な人、かっこいい人、綺麗な人の影響を受けることができた
  13. 漫画や本を借りて読めた、自分も貸した
  14. 嬉しいときに一緒に喜んでもらえた
  15. ひとの彼氏とか見て楽しめた
  16. 先輩に勉強や就活の相談に乗ってもらえた
  17. お互いにいろいろ貸し借りできた

共同生活(寮生活)で悪かったこと

  1. 当番が面倒
  2. 運営委員になると大変(何度か寝れない)
  3. たまに事件があった(物がなくなるとか)

※寮ならではの、「家賃が激安」「お風呂が広くて気持ちイイ」などは除きます。
なんか、圧倒的によかったことしか思いつかない。寮は本当にいいところだった。私は協調性のない性格なので、共同生活は嫌だろうなと思い最初だけ居ていずれ出ようと思っていたけど、結局4年間お世話になった。
一番トラブルの元になりそうな、人間関係についてはほとんどもめたことはない。たしかに嫌味っぽく文句をいう先輩もいた。でも共同生活をちゃんと運営する上では、はっきり言われる関係のほうがうまくいく。そして自分も言うようになっていった。お互い様なのだ。様々なルールを守れない人はやはり合わないのか退寮していった。あの人にこんなこと言われたよとか、人の悪口言う事もあるけど、毎日顔を合わせると、いいところもある人だというのがわかってくる。いろんな人がいる。どうしても思想的に共感できない人もいる。でも、悪いひとではない。人の集まりってそういうもの。いいことも悪いこともさらけだして、素でいられる、その素を「そういうもの」と受け止めてもらえる、それが寮生活だった。私感だが、友達作りがうまかったりビジネスで成功したりする社交性と、こういう共同生活の能力は、まったく別物。

ところで、寮というものは経済的に厳しい人が入るものであり、私たちは6倍もの入寮倍率、つまり貧乏人競争に勝ち抜いて無事はいれたわけだが、最近敢えて共同生活したい人たちは決してそういうビンボーなわけではない。
http://www.1101.com/essay/2010-07-21.html
なんと!共同生活が婚活になるらしい。へぇー。*1

共同生活して身につくのは「自分の余ったリソースを他人に与え、また他人の余ったリソースに頼ることが自然にできるようになる」のが一番ではないかと思う。それが結婚しやすい体質につながるのかもしれない。結婚して、家族ができて、そうなると余ったリソースどころか自分のリソースは奪われまくりでもうなんにもできなくなる。だから、さらに上を行って「敢えてリソースを余らせて他人に与えるのが当たり前になる」ともっといいと思う。これには同時に「他人がいらないものを押し付けないために、他人がどういうことを必要としているか察することができる」のも必要になる。寮というのはよくできたシステムだった。上下関係が一応あるので、下のものは失敗を許され、上のものは注意したり教えてあげることができた。訓練の機会がたくさんあった。

いま共同生活をしたい人たちは、どうなんだろう。私が若者だった頃から20年も経って、私もそういう共同生活精神のようなものが薄れてきてしまった。(ただ、知らずに行動に出て、得することはある)上記の、リソースの授受精神をちょっとでも意識して集まれば、育む場にはなると思う。寮だと先輩から後輩へと受け継がれていったけど、全員共同生活初心者だと、どうなるのかな。なんかこう、リードできる人がいるといいんだけど。みんなが通る廊下にゴミが落ちていたら拾う。共同台所の床に醤油がこぼれていたら拭く。当番制がやっぱり有効。でも、当番でもないのにしぜんにできるといい。というか、そういうことができるひとは「美しい」と思う。
ばんばんやってくださいよ、共同生活。共同生活ときままな一人暮らしとの違いは、田舎と都会の人の違いに通じるものがあると思う。こないだ秋田の実家に帰って気づいたんだけど、田舎では主張はしないが気配は出したほうがいい。都会では主張はするが気配は隠した方がよい。共同生活でも気配は出した方がいいと思う。

*1:余談だが山田ズーニーさんの台所を触られた苛立は私も同意する。共有の台所はそうじゃないけど、個人の台所って特別な空間だ。限られた時間の限られたスペースで最高のパフォーマンスが出せるよう自分専用に最適化されているので、他人がはいるとすべてが乱される。私が寝たきりでどうしようもないとき他人に台所を使ってもらったときの、絶望感。すべてが違うプロトコルで整えられて、蹂躙された気分だった。その人にはもちろんすごーく感謝してるけど、そう思ってしまうもんなんです、台所というのは。余談終わり。