仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

読書感想文

なんか二年生の子供の読書感想文の件がホッテントリに入っているんで、自分のことを思い出した。

小学二年生の時。「チロヌップのきつね」という本を先生に渡され、これを読んで読書感想文を書きなさいと言われた。私は読書が好きじゃない。それなのになぜか学校では「本好きな子」と先生から評価された。多分文章を書くのが得意だったからだろう。(それは今でも。読むより書く方がずっと好き)
で、読んだんだけどかわいそうだなぁとぼんやり思うくらいで、とても感想めいたものはわいてこない。原稿用紙に字を埋められるほどの感慨がちっともわいてこない。それでもなんとか文章を書いてみた。先生に指導を受けて、一度くらい書き直した気がする。担任の先生は国語の先生だった。
ある日、放課後の教室で、私は先生と差し向かいになって感想文を最初から書き直した。
「こぎつねによびかける形にしてみようか」「○○でしょうね、と書いたらいいんじゃない」「せんそうは、おそろしい…」
今思えば、締切が迫っていたのだろう。私は、先生のいいなりに書くしかなかった。一字一句、ほぼ先生の言いなりに書いた。ただただ、自分の思いがまったく入っていない文章を書くのが苦痛でしかたがなかった。誰もいない、暗くなりかけの教室で、ひたすら早く帰りたいと思っていた。

その後その感想文はコンクールに出されたと思っていた。「読書感想文なんて嫌いだなぁ、読みたくもない本を読まされて、書きたくもない文を書かされて」という思いが苦く残った。(それなのに翌年はもっともっと面白くもない本の感想文をまた書かされたんだが)


さて、30数年のときが経ち、数年前、実家に帰ったときのこと。私が本嫌いという話になり「あのときの感想文はいやだったなぁ、先生のいうがままに書いてさ」と母に話した。
すると、母が意外な事実を話してくれた。
「…あなたの書いた感想文を、読んだのよ。そうしたら、どう考えてもあなたの書く文章じゃない。おかしい、こんな文章、うちの娘が書く訳がない。そうして聞いたら、先生の言いなりで全部書いたっていうじゃない。それで、先生に手紙を出したの。これはうちの娘の気持ちが全然入っていない、娘の書いたものではない、これを娘の名前でコンクールには出さないで欲しい、とね。
担任の先生が偉いのはね、それで、ああそのとおりだ、『わかりました』と、ださなかったの。同僚の先生は怒ったらしいよ。せっかく娘がコンクールに出してもらえるのに、こんなこと言う親がいるなんて…と。」
本当に驚いた。まさか、母がそんな手紙を出していたなんて。30年以上経って知った事実だった。すごい、本当になんという親だろう。今だったらありえない!
でも、さすがうちの母だなぁ、わかってるなぁ、と嬉しくなった。その頃から私の文章の芸風はあまり変わっていない。ものごとを素直に見ないでひねったり違う角度から見て、さらに表現もひねくるのが好き。そしてその芸風は母ゆずりだ。私も、母が書いた文章なら一発でわかる。
母は、何十年も文芸サークルで文章を書いたり、新聞に投稿したりし続けている。一方私は、ブログという媒体をみつけて書き連ねている。

ものごとをまっすぐみないでしまう私は、くだんの小学二年生は、楽しんで書いたのかな?と、ちょっとだけ心配になった。