仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな46歳、高校生男子の母。

避難所での一夜の経験

東日本大震災の夜、一晩だけ、避難所で過ごした。辛い一夜だった。そして、装備によって格差がありまくりだった。この教訓は忘れないで書いておこう。
まず、「避難しよう」と思ったけど、何をもっていくべきなのか、さっぱりわからなかった。普段「災害が起きたら避難所へ行く」ということは知っていたけど、避難所ってどんなところなのか(小学校の体育館であるのは知っていたけど、中がどんなふうになっているのか)、なにがあるのか、知らない。
とにかく、食べ物と水とライトと…、いわゆる非常持ち出し袋にはいってそうなものを持って行った。
食べ物と飲み物はなんとかなった。
でも、ひたすら、寒かった。
毛布が足りなかったのだ。私たちは、体育館の床で、厚着の装備のままねっころがるしかなかった。
避難所の灯油はわずかしかなく、ストーブが炊かれたのは数時間だけだった。もちろん、ストーブのまわりは高齢者など弱者優先だ。
しかし、わなわな震えが来て眠れない。繰り返す余震より、緊急地震速報より、寒さが辛かった。
毛布がないと言われたとき「よかったら…」と、アルファ米がはいっていた銀色の大きなビニール袋が渡された。厚手で銀色なので、たしかに、ないよりはずっとましだった。息子と二人で足をつっこんだ。しかし、気温が下がるにつれ、すごい勢いで内側が結露していって、すぐにビニール袋の中はびしょびしょになった。その水分で足が濡れ、どんどん冷えていった。ビニール袋に足をいれないと寒い、しかし足を入れても結局寒い。バスタオルで足をくるんだりこまめに拭いたりしても、結局つるつるとずれて無意味になってしまった。
周囲の人は、布団や、寝袋にくるまっていた。マットをしいている人も多かった。家から持って来たらしい。
私は、このとき布団や寝袋などの寝具は二階に置いていた。そして、二階への階段を登ったところに本棚が倒れてしまって、まったく二階の部屋には入れない状態だったのだ。大きな余震の恐れがある状態で、その本棚を乗り越え寝袋を探しに行く気にはまったくなれなかった。
私は今後、寝袋は絶対、すぐに取り出せる物置に常に置いておこうと思う。そもそもなんで寝袋を二階に置いていたかというと、寝袋は収納しておくのではなく広げて保管すべきものらしいと知ったから。広げておけるスペースは二階にしかないのだ。でも、今後は、劣化しようとなんだろうと、コンパクトに収納して、非常時に役に立ちそうなアウトドア道具と一緒に、すぐに取り出せる所に置こうと思った。

避難所は一晩で出て、次の日の夜は布団の上で過ごした。真っ暗な自宅で息子と二人でいると心細かったが、幸いご近所のお友達が誘ってくださり、そちらのお宅で寝かせていただいた。布団の上で寝るってこんなにあったかくて気持ちのいいことだったんだ…というあの安心感は、一生忘れられないだろう。

あ、あと、通りみちとなる場所には物を置いちゃいけない。当たり前だけど収納が少ない借家だと、置いちゃうんだよね…