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仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな46歳、中学生男子の母。

祈りの特殊能力→仏壇アプリ

日々雑感

少し前。最新版の「辺境ラジオ」のポッドキャストを聞いた。その中の話で、意外に思ったことがあった。
辺境ラジオは関西で収録されており、出演者の3人の先生方が、遠く離れた我々は震災の起きた今どうすべきか?という問いかけに対し内田樹先生が「祈る」と言った。名越康文先生がそれを受け「祈るって、実はすごいことよ。『祈るしかできない』じゃなく、『祈る』って実はすごく効くことだ」と言い「今ラジオ聞いている人でいっせいに祈ったらすごいことが起きるよ」「でも普通の人は1分でも集中して祈れない」「そうそう、どうしても余計なこと考えちゃう」「では今から祈ってみましょうか」となって、ラジオでは3分間の無音状態が続く。
で、「普通の人は集中して祈れない」というところで、へぇーと思った。普通は祈ろうとしても、どうしても余計なこと、他のことにふっと思いが行ってしまい、集中できないのだと。だけど、私は多分、普通の人より集中して祈ることができる。なぜかというと、実家に住んでいた間、(そして実家に居る間は今でも)祈りが日常だったから。
実家では、毎日、仏間にある仏壇と神棚と龍神様に、お水やお茶やごはんをお供えし、お線香を上げてお参りするという習慣がある。多分、そこまでするうちは少ないんじゃないかな。でもこの習慣、一族の方針でもなんでもなく、子供のころはなかった。


きっかけは父の病気。40代で脳腫瘍になった父のために母はいろいろ手を尽くし、医療的にはもうどうしようもなかったと思うけど、あやしげなお祓い、ニセ科学(当時は別におかしいと思わなかった)ありとあらゆるものを試した。ある人が「龍神様の掛け軸を粗末にしたからバチが当たった」みたいなことを言ったらしく、その掛け軸を床の間につるし、お水を備えた。その頃から仏間や神棚にも毎日お茶お水ごはんをお供えし、手を合わせるようになったのだ。私も父の病気がよくなるよう、毎日熱心に祈った。結局父は亡くなってしまうが、父なきあとは仏壇を「お父さん」と呼び、神棚仏壇龍神様にお参りする習慣は、その後ずっと続くことになった。
とにかく毎日だから、いろんなことを祈った。ほとんどがどうでもいいことだけど。成績がよくなりますように、お母さんの機嫌が治りますように、好きな人に会えますように、モテますように…etc。手を合わせ目を閉じている間は、集中できた。
というわけで、「辺境ラジオ」で普通の人は集中して祈れないというのを聞いて「ああ、祈るというのは特殊能力なのかなぁ」と思ったりしたわけです。普通の人は、そんなにしょっちゅう祈ったりしないんですね。手を合わせて目をつぶっている間はみんな同じだとおもっていたけど、違うのかぁ。


でもね、祈りが日常って、ある意味、幸せなことだなと思うのですよ。
世の中、理不尽なこといっぱいあるじゃないですか。どうしようもないこと。自分の力ではなにやってもいい方向に持っていけないこと。そういうとき、「ああ自分はなんと無力だ」と自分を責めたり、「そもそも社会がこうだからいかんのだ、プンスカ」と怒ってだれかのせいにするよりは、「じゃぁ、祈るか」というふうに考え一心に祈ると、ネガティブな感情がしゅっと縮まって、はい次、というように意識を切り替えられる。
祈ってなにが変わるんでもないでしょといわれそうだけどね。祈りがある生活がいいと思う、私は。
普通の人も、機会があったら、祈ればいいと思う。
うちの近所の薬師堂には、朝、中高年の方がたくさんお参りに来る。冬のある時、綺麗な日の出を見て、ふと立ち止まり、手を合わせた人がいた。お年寄りの方は、日常に祈りを取り入れるのが上手だ。


そんなことを考えていて、ふっと「スマートフォンで仏壇アプリってどうだろう」と思ってtweetした。
神社のサイトとかあるけど、そういうんじゃなく、あくまで個人的に所有する「祈り」の対象として。たとえば私は父の写真をお守りに財布にいれているけど、そういうお守り的なアプリとして。
tweetしたらいくつか意見いただいて、なんだか広がりができた。命日や何回忌がわかると便利だし、故人の生育歴もわかると便利だし(お父さんが◯◯に勤務していたのはいつだろう、何歳のときだろう、とか)、故人の名言集が勝手に表示されるのもいいかも。ちょっと突飛な例かもしれないけど、避難所にいたり、せまいアパートにいたりして仏壇が置けない場合、ちょこっと置いて、手を合わせる対象として。写真はかわるがわる表示して。


……アプリアイデアとして、どうでしょう。うーん、若者にはわかんねーだろな。そもそも「祈り」っていいよ、ということをなかなか理解してもらえそうにない。