仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

震災後初めて仙台市若林区荒井→荒浜に行ってきた

津波が来たところを、結局一度も見ていないまま、震災後8ヶ月。
土曜日、農家の方の畑を見せてもらって、また畑やりたい欲が刺激されて、「そういや農業園芸センター一部営業再開していたし、市民農園も来年は使えるかもしれないな。いっちょ様子見てくるか」と、買い物ついでにバイクで行ってみた。
軽い気持ちだったのよ。
というわけで、以下率直な感想なので、不快な表現あるかもしれませんと予告しておく。


仙台東道路を抜けたあたりから、まず、一面の田んぼだったところがただの荒野になっているのに気づく。(大豆植えてるところはあった)軽いショック。農業園芸センターに行き、市民農園へと曲がると。
駐車場は、壊れた農耕機具、バイク、などで一杯だった。頑丈な機器がぐんにゃり曲って山積みになってた。こりゃ、無理だわ。全然無理だわ。私は甘かった。激甘だ。多分これでも、量が減ったんだろう。
脇へ回って市民農園の方に行くと、畑だったところが全部雑草が生い茂って一面の荒野だった。さらに回って農業園芸センターの裏に行くと、フェンスがひしゃげていてそのまんまだった。このへんの津波は端っこだからたいしたことなかったんじゃないのと思っていたので、その認識がとんでもなく間違っていることを知った。周囲は、どこまでもどこまでも田んぼだったのに、やっぱり全部荒野。一部は重機がはいって表面の土を削る作業をしているようだった。
このへんで、「自分はなんにもわかってない。もっと見ておかなくては」と妙な使命感みたいなものが芽生えて、さらに海に向かった。まだ私は甘かった。元々方向音痴な上にところどころ通行止めになっていて、こりゃ途中で引き返す羽目になるかな、と思ったんだけど。
あれっ?と思ったら、あのガソリンスタンドに着いていた。セブンイレブンとガソリンスタンドがある、交差点。
あれ?なんで?
ここは仙台市から来ると、もうすぐ海が見れるなってテンションが高まる場所だった。
なんであれっと思ったかというと、農業園芸センターからあまりに近かったから。

ちょっとまてぇーーー。なんでここがここなんだ。距離感が全然違う。もっと遠い場所だった筈なのに。周囲には、なんもない。セブンイレブンは明らかにセブンイレブンな土台だけ。ガソリンスタンドは壊れているが残っている。他は、ぜんぶ、だだっぴろい、なにもない平地。ぽつぽつと、鉄骨だった建物は残っているけど。
もっと、もっと建物あった場所だったのだ。あたまではそれらがないってわかってたんだけど、建物がないと、距離感ってこんなに違うものなのか。目の前に荒浜小学校がある。だって、荒浜小学校ってここの交差点すぎてもうちょい先だったはずだ。さらにその先、松林まで見渡せてしまう。この交差点すぎて、しばらく走って、貞山堀を渡って、さらに行かないと海までたどりつけないはずだったのに、すぐそこが松林じゃないか。松がほとんど残っていないのは、情報としてもちろん知ってたけど。
前だったら、壊れた建物、家財、松、いろいろで一杯だったんだろう。それをみたらもっとショックが強かったとおもうが、この、なにもない土台だけって状態も、「そうか、津波が来て、片付いていくと、こんなになってしまうのか。なにもなくなってしまうのか。こういいうことなのか」と、ひたすら、途方に暮れる光景だった。こんな場所、みたことない。
警察の車が巡回していて、あまり長居してはいけない雰囲気だったけど、冒険遊び場もみておきたいと思ったので、もうすこし走った。何度も遊びに行った大好きな場所なので。
冒険遊び場は少し高いところにあるせいか、遊具や建物が残っていたけど、やっぱりいろいろなものが置かれている状態だった。冒険遊び場のスタッフの方がブログに書いていたけど、一番高いところの遊具に登って、助かったんだよね。
冒険遊び場の近くに煙を出している建造物があって、あれ、あの建物は無事だったんだと一瞬ほっとしたが、違った。最近作られたがれき焼却場だ。煙を出している建物がそこにあるだけで、人ってこんなに安心するもんなんだな。
バイク乗りというのは酷い生き物で、だだっぴろい直線を走っていると心のどこかで「きもちいい」と思ってしまう。多分、かつての状態を知らない人だったらもっとそう思うだろう。でも私は知っている。なんでだだっぴろい光景になったかも知っている。なんで信号がないのかも知っている。この直線道路が震災後に直されたことも知っている。気持ちいいなんて思うな馬鹿、と思いながら走った。
走りながら、ふっこう、という言葉がふと思い浮かんで、ふっこうってなんだっけ。ふっこうってどれですか一体。復興って重くて勢いのある言葉だと思っていたのに、なぜか、ふわふわした、スーパー銭湯の名前かなんかみたいに思えた。

震災直後の避難所にいた頃「荒浜に数百の遺体が」というラジオのニュースが流れていて、その言葉がひたすら恐ろしかった。自分がその数百の遺体があったとこに行ってきたということに思い至ったのは、帰宅してしばらくした後だった。ただ、だだっぴろいということだけに意識が奪われて、人が亡くなった場所だということをあまり明確に認識しなかったのは、防衛反応かなんかだったんだろうか。
ああ、これは、きついわ。被災地行くのって、こんなに時間がたっても、きついことだったのか。みんな大丈夫なのか。でも行くべきだったと思ってたから行けて、いろんな認識が変わってよかったと思う。そして見ると、なにかせずにはいられないと思うことがよくわかった。とにかく、見たこと感じたことを抱えたままでは、重たい、駄目だ。きつい。
というわけで、私は今朝、近所の薬師堂に行ってお参りしてきました。その程度かよといわれそうだけど。薬師堂は震災翌日もお参りしたし、これまでも日常的に行っていたところなんだけど、だいたいは自分のことしか祈っていないんだよね。私は薄情な人間なんで。
今日は、なんでと思いながら消えてしまったたくさんの命の悲しみが、薄れていきますようにと。生きている人たちの悲しみは生きている人たちがなんとかするしかないけど、亡くなった人の悲しみはこっち側の人間にはどうしようもないからね。