仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

限界は、子供が一番感じている

最近大人向け新聞もちらちら読み始めた息子(小4)曰く。
「もうさぁ、津波とか、原発とか、人間は知ったほうがいいと思うよ」
私「ほう、何を?」
息子「だから、人間の限界だってことをさ。人間がなんでもできるって思っちゃいけないんだよ」
私「なるほど」
息子「できないことには、手をださなきゃいいんだよ」
確かにね。
何でもできる!という言葉は希望に満ちていて、これまで、あらゆる人を駆動してきた。でも、いまや、その言葉はむしろ虚しく響いているのではないだろうか。上向きの中で生まれてバブルを経験した私らは「なんでもできる!」体験があるから、まだ諦め切れない。でも息子たちの世代は、明確に虚しさと、限界をひしひし感じているのだろう。


それからしばらくして。絨毯の上でごろごろしながら。
息子「かあちゃんは幸せ?」
私「そりゃー幸せさ(君といういい子がいて、と続けるつもりだったが)」
息子「俺は不安だよ。この国は、未来は、どうなっちゃうのかってさぁ」
私「そうかぁ。日本は不安か。最近は英語を覚えて、日本からどんどん脱出したほうがいいという意見の人もいるよ。君もそうやって世界に出るかい?」
息子「そんな!無責任だよ。自分の国が嫌なら、いいように変えればいいじゃないか」
私「そうか…さすがだね」

「限界を知るべき」という前半の話とは矛盾するような気もしないでもない。
でも、敢えて限界を知ったからこそ、できること、できないことが明確になって、向かうべき方向が見えてくれば、どう変えたらいいかも自ずと見えてくる、と考えると、特に矛盾しない。すごく、堅実な方向だと思う。


「身の程」を知って、幸せになれるように。
多分、息子たちの世代は、そういう風に未来を作っていくんじゃないかな。