仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

「自分を支える心の技法」を読んで

辺境ラジオ以来好きな、名越康文さんの本。仙台市図書館で10数人待ちだったけど、予約して放置して気長に待っていたら、思ったより早く借りることができた。

出てくる「技法」は、これまで名越さんの本を何冊か読んでいたので、以前も紹介されたものだったり、ああなるほど名越さんならこう言うだろうな、というものがあったりで、そんなに新しい感じはなかった。
でも、読み進めていくうちに、そしていくつかの実技をさわりだけやってみるうちに、「そうか、自分の心ってこうなのかもしれない」と、ぽつぽつと小さな発見が蓄積されていって、面白かった。

それで、一つ「ああ、そういうことだったのか!」と、ぱっと視野が開けた部分があった。レッスン7「対人関係をストレスにしない」の中に、他者との関係を自分の学びに生かそうという文脈で、こう書かれている。

たとえば悩み事があって相談する。悩み事そのものは別に解決しなくても、その過程で、その人との間に生まれた安心感や信頼感のようなものが、僕らに瑞々しい起動力を与えてくれることがある。
(中略)
他者との交流の場で生じるこの”触媒作用”を引き出すにはコツがあります。ひとつが、何かを相談したり、提案したりするときは、わりに「あっさり、淡々と話す」ということです。
(中略)会話に「軽快さ」がないと、人に話すことの効果は薄くなってしまう。
なぜかというと、僕らは、真剣に話そうとすれば話そうとするほど、自分に嘘をつくようになるからです。つまり、「自分の感情を相手にわかってもらう」ためや「相手が自分を助けたくなる」ための”物語”をせっせとこしらえて、それを話すようになる。そうやって作った物語は、往々にして、自分の内側のドロドロとした感情を隠すものになりがちです。
(中略)話せば話すほど、物語は自分の感情から離れていき、確信のところは相手に伝わらなくなります。そして三十分で済む話が三時間になり、それでも「私の気持ち」は伝わらず、互いに疲れてしまう。

(太字は本で傍点だった部分)

私って、「アツく語る!!語ろう!集まろう!」みたいなイベントや人付き合いが、どうも、もやっとした嫌な感じがあって、苦手なのです。疲れるの一言に尽きる。それは自分の性格のせいで、「人付き合いが苦手な駄目人間だからなんだろうなぁしょうがねぇなぁ」と思ってた。でも、この名越さんの文章読んで、「なんだ私が正しかったんじゃん!」って気持ちになりましたわ。私はきっと「自分に嘘をついて物語を作っている」感を察知していたんだろうと。
そうなのよ。作ってるんだよ。あれは。共感を得るために。思いもしないことも思っていると思い込んで。自分を物語の中に投げ込んで。
相手を笑わせ、怒らせ、引きこませ。そして疲れる。そして嫌になる。
真剣に物語をこしらえないと、聞いてもらえないんじゃないだろうかと、我々は思いこんでる。でも、実はそうじゃない。熱くなれば熱くなるほど、物語は面白くても、その場限りの熱。
そこからなにか生まれたりするのは、実は、もっと淡々とした交流なのかもしれないね。

淡々と喋ろう。綺麗に出来た話じゃなくても。自信もって(?)。そのほうがいいんだから。そう思ったのでした。
なかなか、淡々と語って成立する関係って難しいけど、そういう話ができる相手だと、ほんとに疲れない。そういえば思い当たる。


「またそれか」と言われそうだけど、コワーキングの話にどうしても結びつけて考えてしまう。コワーキングのメリットって交流だといわれるけど、熱く語って集まる交流は本質じゃなく、むしろ、自分の仕事をしつつ、淡々と、ぽつぽつと、へらへらと、「そういえばこうなんすよねー」「ああーそれはたいへんっすね」と言ってるくらいが、いい触媒になるんじゃなかろうか。