仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな46歳、高校生男子の母。

貧乏になるということ。

めでたく、夫が単身赴任をやめて仙台に帰ってきました。
ついでに会社も辞めて帰ってきました。
年収1000万家庭から、年収100万円家庭へ転落!
……でも、あの会社、これ以上いても先がないのも見え見えだからねぇ。

さて、その会社に負けず劣らず先のない我が家はどうしようか。
まぁなんとかなるでしょ、と思っていたけど、いざ、そういう立場になってみると、「うおぉお!これが貧乏ということなのか!」とびっくりすることしきり。

まずね。近所の人に「夫が戻ってきます」と報告したら「よかったわねぇ」と喜んでくださった。いつも会うたびに「お父さんはまだ帰ってこれないの?」と心配されてたから。でも、一応「これこれこういうわけで会社を辞めて」とかるーく言ったとたん。表情が曇って。
「あら………まぁ………な、なにか助けになることがあったら……」と語尾が消えていく。
あ。
この哀れみの表情。
これが、「かわいそう」目線か。
これはやばい、と思った。相手の目線がそう変わったとたん、自分がどすんと地に落ちたような気がした。
被災地のことを思った。ずっとずっと「かわいそう」目線に晒されて、それに慣れると、どこまでも下がっていってしまう。
やばいな。

そして、夫が戻ってきてから。
精神まで貧しくなってはいかん!と自分にいくらいいきかせても、ちょっとでも浪費に思えるものに、イライラしてしまうのだ。
食事は自炊だ、生協なんて行かない、庶民の味方むらぬししか使わない。
ものによってはドラッグストアのほうが安い。
そうやって考えてるのに。
気軽に以前と同様、外食しようよ、なんて言われるとを、何を言ってるんだ!努力を水の泡にする気か!?と、逆上しそうになる。
これで2週間は持つだろうと思って買ってあったお菓子が、あっという間に空になると、愕然とする。
なんなのもう、金ないのに、カネないのに、カネカネカネカネカネ。
脳内がカネない、の、イライラに満ちてしまう。
これが、貧しさの精神構造か。こんな感情では貧しさをもっと引き寄せてしまう。
笑い飛ばさないと。


さらに、だ。
年末年始、忘年会だの新年会だのめでたい風習がある。
しかしそこでふっと頭をよぎった考え。
「年収低いくせに◯◯するなんて」
前読んだ、年収150万一家のレビューには、「年収150万円なのに海外旅行するなんて贅沢!」という意見がたくさんあった。
もしかして、私は、もう、旅行も、飲みに行けない身分なんだろうか。たとえ、宴会一回分(5000円くらい)なんとかお金ができても。貧乏人らしく生きるためには身分不相応なことをしてはいけないのか?
「◯◯の勉強会のあと、懇親会があるよ。……あ、宗形さんは貧乏だもんね。貧乏人は宴会なんか出ちゃだめよ、おうちにかえりなさい」
なんて、言われたりして。
あと、私はアウトドアブランドが好きで、物もいいし、高価だけど、よく着ている。これからは買えないだろうけどね。でも、そういうの着ていたら、「貧乏人のくせになんでmont-bellとかL.L.Bean着てるの。本当は金あるんでしょ」って思われちゃうのかな。
貧乏人ならユニクロやしまむらを着て、飲みにもいかず(行くとしてもワタミとか?)、娯楽もせず暮らせ、みたいに世間ではおもっているのかもしれない。そして、そういう生活をしないと、陰で何か言われるのかもしれない。
ちょっと、怖くなった。
貧乏な人を「質素にくらせ」と叩く人は、身近な人が貧民に落ちたら、やっぱり「質素に暮らせ、そんな服や食べ物、身分不相応だ。一緒に飲みにも行かない、貧乏人には身分不相応だから」と、態度が変わるのだろうか。
自分自身に無縁のことだと思い込んでいるから、叩くんだろうね。
でも、みんな気づいているだろうけど、いつ貧乏になるかわかんないんだよ今の日本は。
貧乏を、今後はばんばん、ブログでネタにしまくるぜ、こんちくしょー!
てなわけで、貧乏カテゴリをブログに追加(笑)