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仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな46歳、高校生男子の母。

川上弘美「此処 彼処」

此処彼処 (新潮文庫)

此処彼処 (新潮文庫)

川上弘美のエッセイをもっと読みたいなぁと思ってこれを図書館で借りたんだけど、読み始めて気づいた。前も読んだよ、これ。
http://d.hatena.ne.jp/monyakata/20120213/1329096206

同じ感想だと芸がない。
今回印象に残ったのは、「お説教」に関する「神保町」という話。久しぶりに説教をされたけど、お説教って「し損」じゃないの、という話。
お説教にしても、怒るまたは叱るにしても、その通りなんだよねぇ。
怒りをまとった人の声を聞けば気分が悪くなるし、その人のことが嫌いになるし。嫌いな人から嫌な気分にされたら、説教「してくれた」事柄について、素直に聞き入れる気になんてなれない。
説教はなんの役にも立たないのですよ。
じゃぁなんの役にたってるかっていうと、あれば説教する側のためのものなんだと思う。怒りや、納得いかないことや、どうしても相手の間違いを正したい時に、自分の主張をぶちまけて、自分がすっきりするための。俺は言ったからな、これで世の中がすこしは良くなるだろう。ああすっきり。
つまり自分の優位性を世の中にしらしめた気分になるためのものなんですね。

自分は嫌われて、世の中はじつはちっとも良くなっていないのだけど、それでもすっきりしたい人は説教をしましょうね。

それにしても二回も借りて読んでしまうとは、この本買ったほうがいいんじゃないだろうか。
今回借りた本は文庫本。本全体がうねってゆがんでいる。強烈な湿気に当たったみたいだ。
私の勝手な想像ですけど、借りた人はお風呂で読んで、湯船に落しちゃったんじゃないのかな。だってすごく風呂で読みたくなる本だもの。私も風呂で読みたい。古本屋で探してみよう。


前のブログを読んで気づいた。引用した部分が代わっていたのだ。文庫化にあたって変えたらしい。

わたしの食に関する偏陋(へんろう)さは年々増すばかりだ。

が、

わたしの空腹に関する我慢のなさは年々増すばかりだ。

になっていた。
ほう。「偏陋」って、検索したら用例がまったくない。親しみのない言葉だから変えたのか。それとも、「食に対する偏陋」っていうと「私はお肉絶対食べないの!」「米は秋田産じゃないと駄目なの!」みたいな意味にとられかねないから、もっと空腹に限定した表現にしたんだろうか。