仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

自殺に関する本を読んだ(2)「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある」

二冊目。

図書館でしばらく順番待ちして読めた本。私の本についての情報はたいてい、とっている朝日新聞からなんだけど、この本もたしか朝日の書評ではじめて知ったと記憶している。この海辺の田舎町で自殺率が低いのは「コミュニティ」がポイント、という紹介のされかただったので、コワーキングスペースというコミュニティのつながりを知りたい私のセンサーにひっかかった。
しかし「コミュニティ」の力で自殺率が低い、としたら…うっとおしい、濃厚な近所づきあいなんだろうな、監視社会のように、近所の噂はすぐ広まって、繋がりは強いかもしれないけど住んでるのはきつそうな、そんな状況を想像した。しかし、そうではないらしい。ゆるいらしい。どう、ゆるいのか。
本を読み進めるにつれ、謎が溶けていって、驚きの連続だった。わくわくして、次が読みたくて仕方がなかった。
「えっ、こんな場所があるの?」「こんな考え方をする人たちがいるの?」いわゆる田舎、とひとくくりにできない海部町だけの特徴が、驚きの後「なるほど」と納得とともにやってくる。
その繰り返しが読んでてとても、楽しかった。
論文としてまとめる研究がベースになっているので、著者の思い込みや他の影響する要素は注意深く除いてある。いわゆる自殺が増える要素として知られているものは、他の町と比べても差がないのに、自殺する人が低い。それは自殺を予防する、なにかがあるから。前例がほとんどないらしい、この「自殺予防因子」の研究を著者は進める。大量のデータを調べ、実際に海部町に滞在して聞き取り調査をし、そして明らかになった、「自殺予防因子」は5つ。

  1. いろんな人がいてもいい、いろんな人がいたほうがいい
  2. 人物本位主義をつらぬく
  3. どうせ自分なんて、と考えない
  4. 病、市に出せ
  5. ゆるやかにつながる

…こんな風に列挙してしまうと、当たり前のようで理想のようで、めんどくさそうなんだけど、それをどう海部町では実現しているか、その具体例を読むとほんとにびっくりする。
そして、同時に私はすごく興奮していた。
これって、とても、コワーキングスペースっぽいんじゃないか!いや、なんとなく、私の目指している方向のような気がする。居心地良く思ってもらえるコワーキングスペースの条件って、これなんじゃないだろうか。

  1. いろんな人がいてもいい、いろんな人がいたほうがいい → いろんな人が来るほど面白いから、多様性を認める、むしろ多様性歓迎の空気を持つ。
  2. 人物本位主義をつらぬく → 年齢や学歴、職業や年収で人を見下したり持ち上げたりしない。コワーキングスペースで出るのはその人の「素」だ。
  3. どうせ自分なんて、と考えない → 卑屈になることなく自分をアピールできる場、そしてそれを生かせる雰囲気。
  4. 病、市に出せ → 悩みや大変なことは共有してみんなでなんとかする。
  5. ゆるやかにつながる → うっとおしくない程度に、その場にいる人に常に関心がある状態。挨拶して、なんとなく会話に混ざって。でも作業に没頭してもいい。

もし、そんなスペースが実現できたとしたら、たとえば自殺予防因子がある場として、コワーキングスペースをとらえてもらう。これって社会に存在意義があるんじゃないか。起業とか多様な働き方とかの面だけでなく。
だとしたらすごいよこれは。
ダメ人間のためのコワーキングスペース「ノラヤ」が、とたんに社会的意義を帯びてきた。助成金もらえるかもしれない。


さて、妄想はおいといて。本の内容に戻るけど、著者は調査の結果をこうして著書にし、講演会でも詳しく伝えている。しかし、すでに自殺多発になるようなコミュニティができている地域で、じゃぁどうしたらよいのか。たとえば本文中に出てきた自殺多発地域A町、こちらでは異端を排除する空気、何かしたら近所に噂になって恥、自分の手に負えない時は諦めがちな無力感、などができている。もうずっとそういう町だったのに、どうしたらよいのか。
著者は、最後の章で「明日から何ができるか」について述べている。無力感にさいなまれがちな地域で「海部町のよいところを取り入れましょう」ったって、「自殺多発地域だし」とかえって卑屈になられそうだ。そのあたりの反応ももちろん考慮しつつ(実際に著者は多く経験したのだろう)、いくつか提言している。
そのひとつ、誰でもできることとして『「どうせ自分なんて」をやめませんか』というのが、私は気に入った。本当に自分がどうしようもないささいな存在に思えたとき、そう言ってしまいがちだ。言っても言わなくても変わらないのに。だったら、とりあえずやめましょう。そう言われたら、じゃぁ、やめようかなぁ、と思えてきた。
それから、「幸せでなくてもいい」というのが、前のブログとも関連するんだけど。海部町は自分を幸せだと思う率が決して高くなかったそうだ。幸福でも不幸でもない、そこそこ、が多かったと。大事なのは、今幸福かどうかではなく、なんらかの理由で幸福を感じられなくなった時の対処の仕方ではないだろうか、と著者はいう。なるほど……。これも、楽になれる考え方だ。生き心地が良いためには、金色のおにぎりを食べているような幸福を目指す必要は、別にない。すべての生きる人に平等にやってくる、病気や喪失体験など、不幸や困難を乗り越える考え方ができるか、そしてそれを見守ってくれるコミュニティがあるかどうか。


あとがきは、かなり切ない。
読んでください。オススメ。



なお、自殺に関する本を読んだシリーズは3まで続きます。
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