仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな46歳、高校生男子の母。

「ママがおばけになっちゃった!」に対する息子の批判がまっとうすぎる

2016/11/17: 追記その2。情熱大陸でのぶみが取り上げられたということで、一年前よりはるかに多い反応いただいてます。
末尾に絵本について専門に取り組んでいる方のブログのリンクあります、そちらにとっても大事なことが書いてあります。ぜひご参照ください。

2015/10/13: 追記あり。

のぶみというひとの、ママがおばけになっちゃった! (講談社の創作絵本)という絵本が話題だそうだ。
こんなtweetが流れてきて、知った。

「失って初めて気づくことがあり、ママの大切さを伝えたい。子どもには嫌がられたが、ママ達からは泣けたと絶賛された」というインタビュー記事を読んで、 何とも言えない気持ちに。「ママはこんなに大切なのよ」と脅しのようにママが読み聞かせるって、ママはいいかもしれないけどなんか狂気を感じます

https://twitter.com/shinoegg/status/641166353051746304

子どもの心理を完全に無視しています。大ベストセラー?ワイドショーに踊らされて買っている人がいるのかもしれません。母子愛着の時期に無理にこういう疑似体験をさせられると逆に母子分離不安に陥って、自立を阻害しかねない。児童心理を無視し過ぎ

https://twitter.com/greenkako/status/641158927103594496

tweetからのリンク先を見て、これはひどい、と私も思った。
作者が喜々として語る言葉にまったく共感できなかった。
それで、私がさんざん絵本を読み聞かせした息子(中2)に、この、のぶみ氏のインタビューを見せて、「これ、どう思う?」と、聞いてみた。
息子は激怒した。
「何言ってるんだこいつ。」

息子は自分の意見をちゃんと喋ることができる奴だ。(私は喋るのが苦手だから文にする人。)この絵本についておかしく感じられる点を、滔々と説明してくれた。言うことがいちいちもっともで、実際にたくさん絵本の読み聞かせをしてもらった記憶がまだ新しい子どもの立場として、実感がこもっていた。
こいつやっぱ頭いいわ。
そんなわけで息子が語ったことをまとめてみた。

以下息子の話。括弧内は私。
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絵本を読むという体験が嫌になる

みんなに読んでほしいですが、子どもたちはかなり嫌がるんですよね(笑)。
1000人に読み聞かせて気づいたのですが、この本を読んで泣いたり、途中で読むのをやめて逃げちゃうのは、ママが大好きでたまらないことの裏返しなんだろうなと。

http://qreators.jp/content/134

今までは子どもが喜んで楽しめる絵本ばかり描いてきたけど、この本って、子どもが泣いたり嫌がったりして、晴れて子どもが大キライな本になったと思っているんです(笑)。

http://qreators.jp/content/134

子どもが嫌がる本を、読み聞かせる?
は?なにを言っているんだ。
親子で絵本を読むということを、根本から誤解している。
絵本を読む目的は、コミュニケーションなんだ。
親も子も、一緒に同じ本を読んで、いろんな話をして、楽しい気持ちになるのが、絵本を読むっていう行為なんだ。
その本の内容を子どもに教え込む行為ではない。その本を通じてなにか教えるのでもない。


なぜ敢えて、子どもが嫌な気持ちになったり、親が悲しくなったりする本を読むんだ。
子どもはこう思うはずだ。
こんな嫌な思いをするなら、絵本を読むのも、読んでもらうのも、嫌だ、って。
また、あの、嫌な絵本を見せられる、って。
子どもが本を読むことを、嫌いになるかもしれない。そういう可能性に、気付かないのか。

お母さんが死ぬというのは子どもがもっとも考えたくないことだ

いなくなって初めて大切だってわかることは、いっぱいあるんです。大人もそうだけど、特に子どもはママに何かしてもらえるのは当然だと思ってる。だけど、それがなくなることはあり得るんだぞ、ということ。
この本は子どもに対してビンタ級の威力があると思いますよ(笑)。「お前、ママは大切なんだぞ、よく考えてみろ」って分かってくれるといいな。

http://qreators.jp/content/134

 お母さんが死ぬ。それは、子どもにとってもっとも考えたくないことなんだ。想像すら、したくないことなんだ。それを絵本を読んで「お母さんが死ぬかもしれないんだぞ?」なんて、なぜそんなことを考えさせる必要があるんだ。その行為は、子どもを悲しい気持ちにさせる、それだけだ。お母さんの大事さをわかってもらう? そんなことをされて、大事さがわかるか?
かーちゃん、考えてみてよ。親が死にました、そういう話を読んで、親の大事さがわかるか?

(うーん。わからないと思う。かあちゃんもお父さんが中学の時に死んだけど、だからといってその時、親の大事さを実感したり、その場で感謝したりという感情は生まれなかったよ。ただ、死んだんだという事実があるだけだった。)

そうだろ?

(君はひいばあちゃんが亡くなった時、どう思った?)

ただ、人は死ぬとこうなるんだな、と思った。

(そうだよねぇ。)

命の大事さ、親のありがたさ、それを物語で伝えたいなら、もっと別の方法があるはずだ。例えば、お母さんが入院して、お母さんがやっていたことを全部僕がやって、こんなに大変だったんだ、……とかね。

(でも多分それは使い古されていると思うんだ。)

それでも、死にました、よりはずっとましだ。
「あたし、しんじゃったの? もう! しぬ ときまで おっちょこちょいなんだから!」」……だと?
軽い。命が、死ぬということが、とてつもなく、軽く表現されている。そんなことで命の大事さが語れるか。

親のせいにするな

子どもは愛を注入してあげないといけない生き物なんです。0〜6歳の間にお母さんの愛が入ってないと思春期でグレてしまう。僕がそうだったからよく分かる(笑)。だから小さいうちに、ちゃんと向き合ってほしいんです。

http://qreators.jp/content/134

思春期で反抗するのは、親の愛情をちゃんと受けて成長したからこそ、自立しようという心の動きが出て来るからだろ。逆だ。
(は、はあ、そうなんですか。)
それに、お母さんの愛がっていうけど、父親はどうした。どうでもいいのか。

子どもが嫌がる本を読ませて自分のカタルシスを得る手段にするな

結局これは、親が満足するために子どもを利用しているんだ。
親が、この本を読ませて、子どもを悲しませて、子どもにお母さん死んだら悲しいと言わせて、ああやっぱり私って大事な存在なのねと思い、自分の存在価値を認める。
子どものための本じゃない。親の自己満足のためじゃないか。

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以上息子の話。

ほんとまったく、息子の言う通り。

さて、私自身の感想もたしておく。

一応、絵本を本屋で読んでみました

やっぱり、面白くないしこれを子どもに読み聞かせたくなる心境はわからんと思いました。

絵本って読みながらいろいろ膨らませがいがある余白が面白い。だから何度読んでも発見があっていろんな読み方ができる。でも、この本は主張が強すぎて(しかもそれが全然嬉しくなくて)、薄い。
言い方を変えれば、「かんたん」「わかりやすい」。深める余地がない。でも、もしかすると、逆にそれ、みんな嬉しいんですかね。考えなくて済むから。一つのストーリーさえ追えばいいから。楽だから。

余白がなんで必要かっていうと、息子も語っていたけど、絵本を読むのってコミュニケーションなわけで。美味しそうな食べ物の絵があったら、「おいしそーあむあむ」って絵本の食べ物を食べるふりをするし(息子もするし)、あったかいものの絵があったら「あったかーい」ってあったまる真似をするし、かわいい生き物の絵があったら実際に絵をなでなでするし、そうやっていくらでも絵の中から楽しめるポイントを見つけて勝手に拡大解釈して読んでくわけでしょう。違いますか。うちだけですか。とにかくそういう過程が楽しいわけですよ!!それが絵本を読むというコミュニケーションでしょ。そのための余白なんですよ。ああめんどくさい。でもそういうもんだと思って私はやってましたが。

親に感謝しろ!親を大事だと思え!という主張はそんな幼少時から押し付けるべきなのか?

みんな、なんでそんなに子どもに感謝してほしいんだ?大事に思って欲しいんだ?
こちとら、腹くくって親やってるんでい、見返りなんざいらねぇよ。というのが私の気持ちだ。自分も親に感謝したことなんてほとんどなくて、自分が親になった時にようやく、親はすごいなぁとじわじわ思う程度だ。子どもってそんなもんじゃないの。そんでも自分は、グレたりしなかったよ?
お母さんって大事なんだね。死んだら困るね。そう言わせて、それで?
薄っぺらい言葉はいらない。肩もみ10分やってくれた方がいい。

もっとも、多くの小学校で「1/2成人式」とやらが行われ、その際子どもに「お母さん、僕を産んでくれてありがとう」という作文を読ませてお母さんたちがウルウルするというあのへんてこな行事が、たいへん人気なのは、やっぱりお母さんが「感謝」を求めているということなんだろう。うちの子の小学校でもあったけど。嫌だったなぁあれ。だって子どもの本当の気持ちじゃないんだもん。息子は無理矢理書かされた不満が、「わかる人だけわかる」作文を書いてくれました。ぶらぼー。
おかしいよ、子どもが「産んでくれてありがとう」なんて。「産んでやったんじゃない、こっちの勝手で自分の意志で産んだんじゃ!」と言いたくなる。「育ててくれてありがとう」ならわかるが。「産む」のは瞬間でしかない。

人は、無駄に泣けるのに飢えてるんだな

感動至上主義、泣ける至上主義ってんですか。
いい加減にしないか。

そもそも、「泣く」という行為が「感動」にリンクするのは、ある程度の成長を待たなければいけないのではないだろうか。「泣く」は、そもそも「不快」の表明だろう。それが「悲しい」または「恐怖」になる。いったいそれがなぜ「感動」も含むようになるのか、私はいまだによくわからない。
とにかく、この本をお母さんが泣きながら読み聞かせしたというのも散見されたけど、そんなん子どもにとって嬉しくもなんともないよ。お母さんが泣いているのは「悲しい」「恐怖」だろうと解釈するのだから。子どもも悲しくなるよ。
感動だろうとなんだろうと、親が泣いているのは、ちっちゃい子どもは見たくないだろ。

いちばん泣かせてやろうというシーンは、死んだママが「あなたを産んでよかった、だいせいこう」という場面だろう。そしてママは消えて行く。2人とも、涙涙。
でもこれ、死んだママに言わせる必要が、あるだろうか。生きてるうちに言えばいいのに。

泣かせれば売れる。その風潮が、嫌で嫌でたまらない。だから安易に人を死なせて泣かせる。人を病気にさせて泣かせる。
おいら、生きてやるぞよっしゃーっていう、力の湧いて来るお話の方が好きだし、明日を生きるパワーになると思うけどな。
人がいきなり死ぬのは、現実だけでたくさんだ。

最後に

というわけで、ネット上では絶賛したり好意的なのしか見つからないので、敢えて批判的なのを書いてみた。

息子がこの話題の最後に、「絵本は『かえるくん』とかが、いいんだよ」とぼそっとつぶやいた。
ので、わざとらしく、貼っておきます。

ふたりはともだち (ミセスこどもの本)

ふたりはともだち (ミセスこどもの本)

ふたりはいっしょ (ミセスこどもの本)

ふたりはいっしょ (ミセスこどもの本)

ふたりはいつも (ミセスこどもの本)

ふたりはいつも (ミセスこどもの本)

ふたりはきょうも (ミセスこどもの本)

ふたりはきょうも (ミセスこどもの本)

同じ作者の『ふくろうくん』もいいですよ!こんもりくん、は、実演して盛り上がります。
ふくろうくん (ミセスこどもの本)

ふくろうくん (ミセスこどもの本)


2015/10/13: 追記
ずっと絵本に関わっている方の同意見のブログを見つけました。私のブログよりもっと丁寧に問題点を綴ってくださっています。
切実な思いで作者に訴えたのに、まったく伝わらなかった無力感が伝わってきます。
ほんと、なんとかなんないんでしょうかね。
blog.livedoor.jp


2016/11/17: 追記
上記と同じブログですが、研究会で専門の方が集まって「ママがおばけになっちゃった!」をとりあげたそうです。絵本をとりまく状況、ママたちをとりまく状況、出版業界、広告代理店、あらゆる要因が背景にあるんですね。作り上げられた「いい本である」との評判、そして追いやられる「まともではない、危険ですらある」という専門家の声。なんとか後者を広めたい。
あること・ものが有害であることを知らずに、子供にしてしまう、それは私も数多くやってしまったし、誰だってやってしまうし、でも、知識不足自体を責めては状況は好転しない。届く手段で伝えるにはどうしたらいいか、考えたいですね。
blog.livedoor.jp