仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな47歳、高校生男子の母。

「美しい距離」山崎ナオコーラ

死ぬとわかったら私はどうするだろう。

やっぱり入院しながらも、こんなブログで情報発信しつつ、ツーリングマップルを見ながら温泉キャンプしたいとわくわくしているだろう。乗れなくても、なんとかバイクのそばまで連れてってもらって、エンジンだけかけて音に浸りたい。

それを考えると息子には早く免許をとってもらわなければ。

あと可能ならいろんなビールを飲みたいなぁ。

 

死んだら、火葬のとき、やっぱりライダースジャケットを着せてほしい。あとバイト先の制服を一着お棺に入れてほしいな。

 

山崎ナオコーラの本は、淡々とした人の日々に寄り添っている感じが好きだ。

起きることは、書こうと思えばドラマティックになるのに。 

美しい距離

美しい距離

 

 40過ぎの主人公が、スキップして駅をゆく。向かうのは病院だ。入院しているのは、妻。

病名は明確に書かれていないが、どんどん痩せて抗がん剤を使ってやがて死に至る病

まだ40代前半なのに。サンドイッチ屋を一人できりもりして、充実して仕事をしていたのに。優しい夫と両親がいて、店の取引先にも恵まれ、お店のファンもついて。なにも悪いことしてないのに、死は人に、平等に降って来る避けようのないものだ。

 

死ってのは日常だよな、と私は常々思っている。何人か身内や友人たちが死んだのを見て、いつも私はほとんど悲しくならないし涙も出ない。

自ら動いていた生物としての人のステイタスが変わって物体になる。ドラマだの漫画だのの、かっこいい死に際は非常に違和感がある。

なのに、人は、なにかそこにドラマを期待して、悲しそうに泣いて。

 

妻は、死に向かっていることがわかってからも、ふつうに生きる。

取引先の人や常連客の見舞いがあって、仕事の話になるととても喜ぶ。サンドイッチの新作を提案されたら前向きに考える。多分妻は、仕事の話をしている時がいちばん、生きている。だから、見舞い客の持って来たサンドイッチの材料となるパンを、野菜を、ゆっくりかみしめる。その描写がとてもおいしそうなのだ。病院食もあまり食べられない状態で。

妻が食べる描写と、常連さんとのやりとりを読んで、食べたくて仕方がなくなり、『パンばさみ』のようなサンドイッチ屋さんがあったらなぁ、と思った。

妻の母は戸惑う。こんな時に仕事のことなんて話したら辛いのでは、と。夫もすこしはそういう気持ちがあったろう。

残り少ない日々は家族とのんびり、好きなことを。世間一般にはそんなことを言われるが、妻にとっては仕事のことを考えることが一番生きることなのだ。

私だったらどうだろう。仕事いろいろしてるけど、そんなに好きじゃないし生きることと直結してるとは思えない。不幸にもそこまで思える仕事に出会っていない。まぁできれば死ぬまでに、ずっと考え続けたい仕事に出会いたいものだ。

 

妻はどんどん死に向かう。

見舞いにくる親戚が目の前でボロボロ泣く。見舞い客も泣く。夫は戸惑う。妻がかわいそうな存在と見られることに。妻は日常をいっぽいっぽ生きているだけなのに。

痩せていき、不自由が増えていき、そしてなんの前触れもなく夫の前で妻はふっと亡くなる。

押し寄せてくるもろもろの手続き、しきたり、行事。

 

最後まで読んで、気づく。主人公の夫婦をはじめ、主要登場人物の名前が一切出て来ない。屋号や会社名は出てくるけど。

へぇ、こういうの可能なんだ。面白い。

 

読み終えて、私の思う死に近かったなぁと。

よく、死ぬとき後悔しないように、〇〇しなきゃ、と言う人がいる。起業家とか立派な人に多い。でも死ぬとわかったら後悔もなんもなく、当たり前に日常を生きるだけだと思う。

死、という文字を掲げてがんばれるほど、死って特別じゃないだろうと。