仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

そのお店の人はどこでどうするんだろう

飲食店でもそうじゃない店舗でも。

空きテナントにお店ができる。あれっ、こんなところにこんな店が。もうかるの?コンビニなんかだと、またコンビニかよ!みんな好き勝手に感想を言う。

そして、それが続くといいけど、閉店してしまうと、また我々は好き勝手なことを言う。

ほらね。厳しいよこの立地じゃぁ。誰も人いなかったもん。おいしくなかったもんね。ざまあみろ。

そういう人たちは、明日も明後日も自分がこれまでと同じように稼いでいられるという確信があるからこそ言えるんだろうね。

 

お店がなくなる。

そのことが、その店のオーナーにとって、そしてそこを居場所にして働いていた人にとって、どんなに生活を変えてしまうことか。

そんなん、その人の選んだ人生でしょ。そういうリスクを承知でお店やったんでしょ。そう言われると、なにも言えないんだけどね。

 

なくなったお店の人は、これから、どこでどうするんだろう。

ここで働いていた人は、どうなっちゃうんだろう。

私は自分が店舗を運営してから、そう思うようになった。

まさか、働かず悠々自適に暮らせるほど、お金稼いだので充分。というわけでもないだろう。

ラーメン屋さんだったら、またどこかのラーメン屋さんにいたりするんだろうか。

カフェだったら?スタバとかドトールにいるんだろうか。

それとも、スーパーで早朝品出しの仕事などをしているんだろうか。

 

でもそう思う期間も、ほんの短い時間なんだよね。

忘れちゃう。

 

 

「お店やってみたい」っていうと「じゃあやってみなよ!」って無責任に背中押す人は多い。

でも、自分がやってから、私は絶対「やってみなよ」と気軽には言えなくなった。

お店って楽しそうだしテンションあがる。考えるだけでわくわくするんだよ、自分の場所を持つというのは。すべてが希望に満ちて輝いて見える。楽しそうに働いている自分が、楽しそうなお客さんが、容易に想像できる。

その高揚感は、わかる。

閉店したいまとなって思い出すのは、毎日を一歩一歩継続していく、地を這うような気分。

 

お店がなくなって、そこのお店の人でなくなったら、もう、お店繋がりは消える。

ただの人になった店主に、会いたい人はいない。かつての常連さんとは、もう一生会えない。

その孤独とも戦っていななければならない。

 

まあ、私は「お店やりたい」って人に「やめとけ」とは言わないよ。

「ふーん」

とだけ、言う。

苦労話をいくらでもまくしたてることはできるけど、お店をやりたい人にとってそれは聞きたくない話だし聞いても自分には当てはまるはずがないと思うので(笑)言わない。

「どう思いますか」って言われたら、「ふーん、としか言えない」と、ニヤニヤして言う。