仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

優しさは暇でできている

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以前息子と会話していて、息子は「俺が優しかったのは暇だったからだ」と言った。

ちっちゃい頃から息子は「優しい子」だった。年下の子の面倒をよく見て慕われていた。中学高校と思春期を経て気がつけば「優しい」と思うことがなくなった。思春期にピリピリするのは仕方ないとして。ふとそういう話をしたら、息子が「暇じゃなくなったからだ」と言った。勉強だの部活だので余裕がないと、優しくなんてできないという。

これは真実だと思う。

だれかに優しくするためには、心の余裕が必要だ。

ずっと生活が苦しかったり、誰かを憎み続けたり、ずっと後悔しつづけていたり、とにかく、日々をこなしていくだけで精一杯のときに、優しくはできない。他人より自分を優先しないと生きていけないような、そういう状態だと、誰かをおもいやるまでに気持ちが至らない。

ときには、悲惨な状況でありつつ優しい人もいる。そういう人を見ると立派だなぁと思うし人格者だなぁとも思う。

でも結局そういう人も、余裕をなんらかの手段で手に入れているのではないだろうか。はたからみるとものすごく大変でも、心の中に凪のような平静を、ときどきでもいいから、すーっと、持てたら。そうしたら優しくなれるのではないか。

どうしたらそれは手に入るのだろう。

人によっては宗教であったり、愛であったり、瞑想であったり、無我夢中になれるものであったり。

 

映画や演劇を見たあと、もしくは本やアニメにすっごく没頭した後。

妙にニヤニヤしてふわふわすることがある。

あ、私いま絶対へんな人だなぁ、おかしいよなぁ。でもなんだろうこのいい気分。いつまでも持っていたい。

そういうとき、人に優しくできるような気がする。

誰かの人生や体験に憑依して、今の自分の抱えているのを一旦捨てて。いや、捨てはしなくても、客観的にちょっと遠ざけておいて。

そうやって心に「暇」を作る。

ときどき、そうしたほうがいいのかもしれない。