仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

「ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から」三井誠

こちらはお知り合いの京大の先生がご紹介されていたので知った本。

科学不信、身近で重い問題だ。今まさに全世界を覆っているコロナウイルスの脅威に対し、専門家の方々が正しい情報を発信しようとし、医療関係者の方々もがんばっている。それなのに正しい情報は伝わらず、デマ、噂、コロナは風邪だとか言い出す人まで。そして次亜塩素酸水の話題もホットだ。空中に噴霧するのはコロナウイルスに効果がないだけでなく有害であると専門家が発信しているのに、必死になってそれを否定しようとする企業、人。

konamih.sakura.ne.jp

www.minesot.com

どうしても私は科学者の方々の方が身近にいらっしゃる環境が長いので、SNSでもそういった方々の呆れ嘆く声がたくさん流れてくる。

「理科教育が浸透していないからでは」という言葉も聞く。

しかし。この本を読むと、どうも人が科学に否定的になるのは、受けた教育や身についている知識のレベルが低い(端的に言うと、バカだから)ではない、らしい。

ええーっ。じゃあ、人々が似而非科学に騙されないよう、正しい知識を身につけるよう、サイエンスに触れる場所を、カジュアルに作ろう!なんていう、私のノラヤサイエンスバーなどの努力は無駄だったの?

……いや、私も思ってはいたんだ。サイエンスバーに来るのは結局最初から問題に対する興味関心があって知識があって、一般市民とはかけ離れている人たちだということを…

それでも日本はまだマシだ。トランプが大統領になって支持を得てしまう、その背景には強烈な「科学不信」があった。そして宗教を背景にした進化論の否定。UFOの存在を信じる人たち。

冒頭の、地球温暖化についての調査は衝撃的だ。科学的な知識があっても、それでも支持政党で考え方が変わってしまう。しかも知識が多い人ほど、その傾向が強い。知識イコール考え方、主義主張、じゃないのだ。

残念なことに、科学を信じたくない、そのほうが都合がいい人がたくさんいる。この本だと、キリスト教福音派(進化論を否定したい)、石炭など一部の産業界(地球温暖化を否定したい)。科学のせいで食えなくなるわけだ。このへん、次亜塩素酸業界と同じだ。たばこ業界も同じだ。(以前たばこ屋さん向け新聞を見てあぜんとしたことがある。まるでたばこのおかげで健康を維持できるといわんばかりの内容まで…)

インテリの言う机上の空論なんて信じたくない。自分たちは実際に経験して実感することしか信じない。

そういう人は、けっこういる。なんとなくカッコいい響きがある。それじゃ自分だけという狭い視野でしか物事を考えられないじゃないかと思う。でもそれでいいのだろう、地球規模の問題よりなにより、まず自分が生きていかなきゃいけなきゃいけないんだから。

知識があっても、政治、宗教の背景があって信念で否定している人たちに、どうしたら、わかってもらえるのだろうか。

そこで最後の方に出てくるのが「伝え方」への取組だ。残念なことに、多くの専門家は伝え方のプロではないし、コミュニケーションに時間を取られるくらいなら自分の研究に力を入れたいと思うようだ。そしてコミュニケーションに熱心な研究者は評価が低くなるという。しかしその現状も変わってきた。正しいデータを伝え、それを拒否する人を「バカだなあなんでわかんないの」で終わらせず、その裏にある心情まで汲み取らないと伝わらない。

ここで紹介された内容を読んで私は「あれっ!?」と思った。

前に読んだ本。これで解説されている内容が出てきたのだ。

 

monyakata.hatenadiary.jp

 

アラン・アルダさんは、ある講演で対立するものどうしのコミュニケーションについて質問されてこのように言っている。

「お互いに敬意を持たなければ、わたしたちはいったい、どこに行けるというのですか」

 

SNSでは日々、罵倒、諦め、無力感、炎上が広がっている。そこに「敬意」はあるだろうか。

「こんなの高校の生物やってればわかるだろう」
「簡単な計算すらできないのか?」

そういう言葉で、相手が無知を恥じて学ぼうとするだろうか。

敬意を持てない相手に敬意を持て、と言われても難しいのはわかる。だが、思わず見下し罵倒したくなるような人が、そうなった背景について、多少「なんか事情があったのかな」と考えるくらいはできるかもしれない。

 

最近「人は科学が苦手」でもあるけど、「人は科学が得意な人が嫌い」なんではないかなと思うようになってきた。

そして「人は嫌いな人が言うことが正しくても嫌い」。政府が嫌いな人は政府主導のことは協力したくないのではないか。新型コロナウイルス接触確認アプリについて「入れようね」と言ったら「こんなアプリ、政府が個人情報を収集するためにやってるかもしれないよ」と言う人がいた。IT企業の管理職もやっているエンジニアだ。そういうことが不可能ではないと知識があるが故にそう思う。で、もしそういう人が会社の上司で大きい声でそう言ってたら部下はどう思うだろう。そう言う人が父親だったら、子供はどう思うだろう。中立な評価がネガティブな方に動くのではないか。

結局近くにいる人の意見、いつもいるコミュニティの中で、人の考え方は影響される。だからこそ、時々は風通しをよくするべきだろう。

幅広い人と出会うべく、同じような人とだけ付き合わず、クローズドな場所で止まっていないで、動くべきなんだろう。

そうは言っても、このご時世じゃあなぁ。