「ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から」三井誠
こちらはお知り合いの京大の先生がご紹介されていたので知った本。
科学不信、身近で重い問題だ。今まさに全世界を覆っているコロナウイルスの脅威に対し、専門家の方々が正しい情報を発信しようとし、医療関係者の方々もがんばっている。それなのに正しい情報は伝わらず、デマ、噂、コロナは風邪だとか言い出す人まで。そして次亜塩素酸水の話題もホットだ。空中に噴霧するのはコロナウイルスに効果がないだけでなく有害であると専門家が発信しているのに、必死になってそれを否定しようとする企業、人。
どうしても私は科学者の方々の方が身近にいらっしゃる環境が長いので、SNSでもそういった方々の呆れ嘆く声がたくさん流れてくる。
「理科教育が浸透していないからでは」という言葉も聞く。
しかし。この本を読むと、どうも人が科学に否定的になるのは、受けた教育や身についている知識のレベルが低い(端的に言うと、バカだから)ではない、らしい。
ええーっ。じゃあ、人々が似而非科学に騙されないよう、正しい知識を身につけるよう、サイエンスに触れる場所を、カジュアルに作ろう!なんていう、私のノラヤサイエンスバーなどの努力は無駄だったの?
……いや、私も思ってはいたんだ。サイエンスバーに来るのは結局最初から問題に対する興味関心があって知識があって、一般市民とはかけ離れている人たちだということを…
それでも日本はまだマシだ。トランプが大統領になって支持を得てしまう、その背景には強烈な「科学不信」があった。そして宗教を背景にした進化論の否定。UFOの存在を信じる人たち。
冒頭の、地球温暖化についての調査は衝撃的だ。科学的な知識があっても、それでも支持政党で考え方が変わってしまう。しかも知識が多い人ほど、その傾向が強い。知識イコール考え方、主義主張、じゃないのだ。
残念なことに、科学を信じたくない、そのほうが都合がいい人がたくさんいる。この本だと、キリスト教の福音派(進化論を否定したい)、石炭など一部の産業界(地球温暖化を否定したい)。科学のせいで食えなくなるわけだ。このへん、次亜塩素酸業界と同じだ。たばこ業界も同じだ。(以前たばこ屋さん向け新聞を見てあぜんとしたことがある。まるでたばこのおかげで健康を維持できるといわんばかりの内容まで…)
インテリの言う机上の空論なんて信じたくない。自分たちは実際に経験して実感することしか信じない。
そういう人は、けっこういる。なんとなくカッコいい響きがある。それじゃ自分だけという狭い視野でしか物事を考えられないじゃないかと思う。でもそれでいいのだろう、地球規模の問題よりなにより、まず自分が生きていかなきゃいけなきゃいけないんだから。
知識があっても、政治、宗教の背景があって信念で否定している人たちに、どうしたら、わかってもらえるのだろうか。
そこで最後の方に出てくるのが「伝え方」への取組だ。残念なことに、多くの専門家は伝え方のプロではないし、コミュニケーションに時間を取られるくらいなら自分の研究に力を入れたいと思うようだ。そしてコミュニケーションに熱心な研究者は評価が低くなるという。しかしその現状も変わってきた。正しいデータを伝え、それを拒否する人を「バカだなあなんでわかんないの」で終わらせず、その裏にある心情まで汲み取らないと伝わらない。
ここで紹介された内容を読んで私は「あれっ!?」と思った。
前に読んだ本。これで解説されている内容が出てきたのだ。
アラン・アルダさんは、ある講演で対立するものどうしのコミュニケーションについて質問されてこのように言っている。
「お互いに敬意を持たなければ、わたしたちはいったい、どこに行けるというのですか」
SNSでは日々、罵倒、諦め、無力感、炎上が広がっている。そこに「敬意」はあるだろうか。
「こんなの高校の生物やってればわかるだろう」
「簡単な計算すらできないのか?」
そういう言葉で、相手が無知を恥じて学ぼうとするだろうか。
敬意を持てない相手に敬意を持て、と言われても難しいのはわかる。だが、思わず見下し罵倒したくなるような人が、そうなった背景について、多少「なんか事情があったのかな」と考えるくらいはできるかもしれない。
最近「人は科学が苦手」でもあるけど、「人は科学が得意な人が嫌い」なんではないかなと思うようになってきた。
そして「人は嫌いな人が言うことが正しくても嫌い」。政府が嫌いな人は政府主導のことは協力したくないのではないか。新型コロナウイルス接触確認アプリについて「入れようね」と言ったら「こんなアプリ、政府が個人情報を収集するためにやってるかもしれないよ」と言う人がいた。IT企業の管理職もやっているエンジニアだ。そういうことが不可能ではないと知識があるが故にそう思う。で、もしそういう人が会社の上司で大きい声でそう言ってたら部下はどう思うだろう。そう言う人が父親だったら、子供はどう思うだろう。中立な評価がネガティブな方に動くのではないか。
結局近くにいる人の意見、いつもいるコミュニティの中で、人の考え方は影響される。だからこそ、時々は風通しをよくするべきだろう。
幅広い人と出会うべく、同じような人とだけ付き合わず、クローズドな場所で止まっていないで、動くべきなんだろう。
そうは言っても、このご時世じゃあなぁ。
布マスクを作って着用してみた感想
布マスクは正直簡単ではない。小物ってでかい物に比べると細かくて大変。誰でも簡単に作れる!という人は作れる人だから言うのである。
しかし使い捨てのマスクはどんどん無くなっていくし、仙台では相変わらずどこでも売ってない。布マスクの効果を疑問視する声もあるが、マスクが買えないなら洗えるマスクに頼るしかない。
幸い私にはミシンはある、糸はある、布もある、マスクに使えそうなゴム紐もある。そして洋裁を習った経験がある。なので布マスクを作ってみた。
2種類のマスクを作った
まず、手元の使い捨てマスクを採寸し、型紙を起こし、プリーツマスクを作った。ゴムは縫い止めるのではなく、マスク本体の端を3つ折にして中にゴム紐を通すようにした。
プリーツを畳むのが面倒で、アイロンをたくさんかけなければならない。この手間が大変だった。
ちなみに、プリーツがこんな形になっているタイプを真似した。複雑なタイプだったかもしんない。
そしてもう一種類、SNSで話題になっているHKマスクを作ってみることにした。
動画は工業用ミシンが慣れている人がだーっと作っているので一瞬で済みそうに見えるが、一般人はそうはいかない。
普通の人が作るときは、こちらのブログがすごく参考になる。
1作目:ガーゼのプリーツマスク
一作目は、息子が赤ちゃんのときにお祝いにいただいたガーゼタオルケットをほぐしてプリーツマスクを作った。布マスクと言ったらガーゼと相場が決まっている。
しかし、ガーゼはふにゃふにゃで、裁つときもずれるし、アイロンをかけてもプリーツの癖付が難しいし、ミシンで縫っていてもずれやすい。ガーゼはかなり難しい布であることがわかった。
一応、薄めたハイターにつけてすすいだあと乾かしたら、プリーツがほとんどなくなった。アイロンかけてもあまり効果なし…
でも、一応、マスクの体裁にはなっている。
(そして実はプリーツの表裏を間違えた)
2作目:HKマスク
ガーゼでプリーツが維持できなかったので、そもそもプリーツなどない、シンプルなHKマスクを作ることにした。正直、このタイプのデザインは、キャシャーンみたいであまり好きでなかったが。
ガーゼは肌に接する内側だけに使うことにして、手持ちの端切れを外側に使った。
曲線の裁断が、ちょっと難しい。いい加減に裁断すると、上下混乱する。
ミシンで縫う時もこの曲線が慣れてないと難しい。縫代1cm折り返しは、宇樹義子さんもnoteで書いていたけど、アイロン定規を使うと楽。アイロン定規はてきとうな厚紙で自作しておくと重宝する。
本来はゴム紐を縫いとめたあと、さらに横に紐を通し後頭部で結んでフィットさせるのだけど、それは省略してしまった。
ただ、耳にかけるゴムの長さがちょうどいいかどうかは、やっぱり一度使ってみないとわからない。そして、「やっぱり緩かった(またはきつかった)」場合は、縫い目をほどいてゴムを付け直さなければならないのがたいへん。
HKマスクのいちばんの難関はこのゴムのサイズ調整だと思った。
3作目:プリーツマスク
HKマスクと同じ布の組み合わせでプリーツマスクも作ってみた。ガーゼだけで作ったときよりしっかりしている。そしてプリーツがあるので、布がずれにくく、顔の動きにフィットする。「覆われている」感が強くて安心感がある。
4作目:プリーツマスク
この頃、「マスクは白でなければならないと会社・学校で言われた」というニュースを目にした。くっだらねえなと思いつつも、これから私が就職活動する上では白でないとまずかったりするかもしれない、あと、葬式に出たりするときも白があったほうがいいだろう。そう思ったので、白バージョンを作った。
息子が高校の理科の授業で着ていた白衣を外側の布に使った。張りのある布で、作りやすかった。
このマスクは、一度アイロンをかけると手洗いしてもプリーツが維持できた。白衣偉い。
余計な一手間
HKマスクで、マニュアルにはないけど、布端(布を切ったところ)が切りっぱなしだとほどけそうで心配という方は、1cm折って縫う前に、ジグザクで布端をかがるように縫っておくと安心。
センターの曲線部分を縫ったあとは、こういうふうに縫代に切り込みをいれるど、もぞもぞしません。(上記で紹介したnoteの宇樹義子さんもやっている)
あと、アイロンで縫代を割って、さらに1mm縫い目の両側をこういう風に縫うとぴしっと平になっていいよ。
使用してみた
※私の作ったマスクが医学的に感染予防に効果があるのかどうかはまったくわからないし確かめようもないので、あくまで着用感の話です。
スーパーかコンビニに買い物に行きついでに散歩する。そういうときはどのマスクでも特に問題はない。
ランニングのときやちょっと汗をかく時は、HKマスクのほうがいい。
マスクしているとやっぱ苦しい。走ってるときは人がいないとことにきたら、外したりずらしたりする。このとき、コンパクトなHKマスクの方が楽ではある。
そしてあっというまに湿ってくる。湿ってくると内側のガーゼが口にへばりつく。HKマスクだと、センターが立体的で外側へのカーブになっているためそんなにべたっとは付かない。ちなみに使い捨て不織布マスクだと、結露してびしゃびしゃになるので、湿るだけの布のほうがまだましなのかもしれない。
そして、動きによってマスクは、ずれる。ゴム紐がちょっとでもゆるいと、頻繁にずれることになる。このとき前述のようにHKマスクだと縫い直しが必要になるのだった。紐はじゃっかんきつめに調整しておくべきだと思った。
布は、ソフトな素材より張りがあるもののほうが、長時間形を保って快適だ。
そういうわけで張りのある布で作った緑の柄のHKマスクをランニングの時によく使う。
忍者みたいなので中年女性がするのは変だと最初避けてたが、結局使い心地がいいし、自分の姿は見えてないから人目など元々あまり気にしないたちなのもあり、愛用するようになった。
サングラスにこのマスクだと平常時なら不審者だろうけど、このご時世ではまったく問題ない。(と思う)
また、このマスクは使っている布が少ないので乾きやすい。 ランニングのあとは着ていたウェアと一緒にざぶざぶ洗って干してしまうと夕方には乾く。プリーツマスクだともうちょっと時間がかかる。
布マスクを使っては洗い、干して、使いまわしているうちに、気がつけば使い捨てマスクをまったく消費しなくなっていた。
スーパーでも布マスクの方をたくさん見かけるようになり、派手な色でも柄でも黒でもなんでも、普遍的なものになってきた。ほんの数週間で「普通」の認識は変わる。
使い捨てマスクの品薄もそろそろ解消されるのかもしれない。
マスクでファッションを主張する人も現れるだろうけど、一時的なものだろうなぁ。
もし今から自作するなら
布選びがポイントだと思います。顔に触れるものなので、柔らかく優しい素材を選びたくなりますが、はりのあるピシッとした布のほうがいいです。
また、縫う前に水を通して、乾かしてよれよれにならないことを確認したほうがいい。
そういうわけで、着なくなったワイシャツなどを活用するのがおすすめ。
縫い物って誰でもできるわけじゃない
最後に再度主張しておくと、マスクを自作して寄付するとか美談が流れてくるけど、誰でも簡単に作れるものじゃない。すごく手間なので、もし身近にマスクを作ってくれる人がいたら大いに感謝して、一枚につき缶ビール2本くらいは差し上げて欲しいものである。
3月、メンタルが死にかけた話
はじめに
大学入試及び入学までいくらかかったかの記録 2020年
日経新聞、「大学受験・入学に170万円超」ええー。入学「まで」の費用でこれか。内訳が知りたいな。
— さとかわ♨️ (@sato_kawa) 2020年1月6日
そんで反対側の紙面には予備校の案内がどーんと。
差し迫って参りました!!
息子が一人暮らしを始めたのを一区切りとして、これまでかかった費用を公開します。
入試から入学までかかった費用
入試〜合格までの部
- センター試験 18,800
- 私立出願 36,080円
- 国公立出願 70,133円
- その他 4,192円
合格してから一人暮らし始めるまでの費用
- 入学金その他納入 389,584
- 引っ越し運送費 36,300
- アパート契約関係 125,320
- 生協加入(+学食パス入金) 72,850
- 交通費(2回行った) 160,090
- 宿泊費 26,000
- 生活用品 91,934
振り返って
ピアスが刺さらない!
先日、たいへん焦る出来事があった。ピアスが刺さらなくなったのだ。
出がけに化粧して着替えて、最後にピアス……しかしうまく刺さらない、この焦り、ピアス人(?)ならわかっていただけるだろう。
ピアスはいつも、左からつける。
30年愛用しているピアスがある。これ、ちょっと太いので入りづらいんだ。それが、入らなかった。
あれっ。なんどか刺し直す。おかしい。穴じゃないとこに刺した?そうではなさそう。でも、貫通しない。
まあこのレベルのことはよくある。
気を取り直して、一旦、右の耳にピアスをつける。すんなり入った。そして最後左にチャレンジ……またダメだ!
姿見の前でちゃちゃっとやるつもりだったのを、改めて化粧用の鏡をセットし、座って、よーく見てみる。耳たぶの表も裏も、穴がある。ちゃんと見ながら刺してみる。やっぱりだめ。
穴が塞がった?そんなことはないだろう、5日前にも同じピアスをつけて出かけたんだし。私は2週間くらいしない日もある。
ためしに、耳たぶの裏から刺してみる。すんなり通った。なぜだ。じゃあ、表から。うーんこっちからは入らない!
なんでなんで。気ばかり焦る。早く出かけたいのに。
じゃ、このピアスは諦めよう。
ちょっと細めのパールのピアスでやってみることにした。こっちなら刺さりやすい。
……ええええ!?こっちのピアスも、入らない!
鏡に、耳たぶの裏側を写してみた。あと、0.3mmくらいの位置にピアスの先端が透けて見える。皮一枚向こう側に手で触れられる。これを、ちょっと、ずらせばいいだけなのに?全然貫通しない。ダメだ!いっそ、ここで穴をあけてしまうか?いやそれは痛いだろ。やめとこう。だって裏からは刺さるんだし。新たに穴をあける必要はない。
いろいろやっているうちに血が滲んできた。だめだ。いじくりまわすのは限界。そして、この状態でピアスを刺さずに放っておいたら、穴が塞がってしまうだろう。
再度、裏からピアスを刺してみた。またすんなり通った。そこで、表側にピアスキャッチをはめて固定。とりあえず貫通している状態をキープ。これでやっと出かけられた。
髪で隠れるから、耳の裏側にパールがある間抜け状態はよっぽど注意深い人でないと気づかないだろう。
耳を出さないようにしつつ外出を終えて帰宅。今度はパールでなく、小さなカラーストーンのピアスを入れてみる。しばらく貫通した状態にあったせいか、今度は表からもすんなり入った。
安定させるために、そのピアスを数日つけたままにしておくことにした。
ピアスを日常つけないと、こういうことになってしまうのだよなぁ。
あー、参った。焦った。
ピアスは就職して1年目か2年目に両耳に空けた。
しかし、会社員をやめて仕事が変わり移動手段が主にバイクになると、ピアスはなかなかつけないものになった。ヘルメットをかぶるからだ。ヘルメットにひっかかって耳がちぎれそうになったり、実際ちょっと切れて血が出たりしたのは1度や2度ではない。
だが、ヘルメットをかぶらなくていい日は、ピアスを楽しんだ。飲みに行く時、デートに行く時、お買い物に行く時。それでも普通のピアス人に比べると着ける頻度は低いと思う。そもそも化粧もあまりしないし。
やがて私も歳を取り、30半ばを過ぎた頃。異変が起き始めた。ピアスが刺さりにくくなってきたのだ。
私の耳たぶは厚い方だ。刺す時、けっこう距離がある。
歳をとって皮膚、肉体、全体的に「ハリ」がなくなり、ピアスホールにも強度がなくなってきたのだ。だいたい、おっぱいが垂れ始める頃だ。
想像してほしい。トンネルの内壁がふにゃっとなって、全体が重力に負けてたるんでいる中を、突き進まなければならない状況を。
前は「すかっ」と入っていたのが、「うむむむ」と結構な抵抗を感じながら刺さなければならなくなった。耳たぶが薄い人はそんな苦労もないのかもしれない。
こういうたるみ状態だと、ときどき、「ん?貫通しない?」ということが起きる。そういう時は無理に貫通させようとすると傷をつけてしまうので、なんどか刺し直してみる。それでだいたいなんとかなった。
ただ、針のように細めのピアスでは本当に内壁にささってしまうようになった。繊細なデザインのピアスが好きだったのに、ほとんど使わなくなってしまった。
あまり放置しておくと、ピアスホールがなくなってしまうという。それは困る。なにが困るわけでもないけど。
ピアスをつけるっていう選択肢がなくなるのが、つまらない。
あくまで自分の場合だけど、化粧は他人のためにして、ピアスとマニキュアは自分のためにしてる。
ピアスをしない人からすれば、理解できないだろう。おしゃれなんてそんなもん。
バイトをやめて1ヶ月経った
アルバイトを辞めて1ヶ月経つので、その変化を書いておこうと思います。
1. 太った
1ヶ月で、生活強度が下がりました。コンビニ仕事ってだいたい生活強度Ⅲくらいだと思うんですけど、今は当然のようにⅠです。生活強度って何?という人はこちらを。
買い物行く時にバイクや自転車じゃなく歩くようにしたりしても、焼け石に水。
仕事で週3動き回ってたのにはとうていかなわない。確定申告やデスクワーク中心の仕事、簿記の勉強をしていたら、じわじわじわじわと、太りましたよ。1kgくらいですけど。その1kgは、自分が「動かない人」になってしまった証拠ですから、本当に、重い。
あと、声も出してないから、それもエネルギー消費減らしてると思う。
2.結局寝ない
バイトのために朝は早く起き、夜はなるべく早めに寝るようにしていたけどなかなかそうも行かず、慢性寝不足のような状態でした。
バイト辞めて、ようやく、人並みに7時間以上寝れるようになるな!と思っていたんだけど。
結局、朝早起きする必要がないと思って夜更かしして、寝ないんだこれが。
だめじゃん。
3.眠い
これまで、バイトのあとは眠くて眠くてどうしても昼寝しないと持たなかったんだけど。
バイト辞めても眠くて眠くて昼寝している。これはどういうことだろう。
4. 腰痛再発
デスクワーク中心になってしまうと、たちまち、腰痛が再発した。
私はずっと腰痛持ちだった。
20代の頃から整体に通ったりプールで歩いたりジムに行ったり腰痛ベルト巻いたり、いろいろやったけど一進一退。
それが、コンビニで立ち仕事をするようになってから、雲散霧消した。5年ものあいだ、私はもう腰痛持ちではないと思っていた。
それが。
数週間でたちまち、あの痛みがやってきた。
デスクワークする場所が食卓しかないので、机も椅子も仕事用ではない。そのせいかもしれない。コワーキングスペースに行ってちゃんと仕事用のいい椅子に座ると、ましだから。しかし、腰痛のためにコワーキングスペースに行っても今の収入ではお金がかかりすぎる。
スタンディングデスク導入しようにも、そんな場所はなく。
必然的に、仕事へのモチベーションが下がる。10分くらいでもう痛い。仕事したくなくなる。
というわけで、困っている。
来月になるとこれにさらに、「収入が減った」が追加される。
一番困るのが1番と4番だ。中年でこれがあるとダメージがはんぱないのだ。なんとかならないのだろうか。やはり私はデスクワークはしないほうがいいのか。
辞めて良かったことは何か
正直、コロナのマスク欠品とティッシュ及びトイレットペーパーの品切れ騒ぎに巻き込まれなくてすんだのはちょっとほっとしている。
ものを売る商売をしているとこういうトラブルは時々あって、アイコス発売の時も、それはそれはひどかった。だがアイコスの時は明らかにやばい転売ヤーが多かった。今回は一般市民が買い占めに走って店員にごねているそうだから、ほんと怖いし常連さんがそういう人になっていたらと思うと胸が痛い。
あとバイト辞めたら毎晩ビール飲めるじゃんと思っていたけど、敢えて禁酒期間を置いているので、それは全然意識できていない。
運動強度を上げたい
運動強度をあげるには、毎日走るくらいしか今は思いつかないが、やっぱりそれはきついと思ってしまう…
毎日ふつうに生活して仕事してる中でちゃんと体を動かして、アイドリングというか、通常が動いてる状態にしてないと、辛いし、体にもよくないと思うのだが、いい方法ないだろうか……
食べたい食べたい、わしわし食べたい
もうすぐ死ぬかもしれないな。
なんとなくそう思うようになった。
数ヶ月前までは、どこまでもどこまでも遠い暗い道を歩いているようだった。青空がどうやっても見えない、井戸の底みたいなところを、わたし、いつまで歩き続けなければいけないんだろう、という。
ここんとこは目の前に立ちふさがる壁が「ドォオオオオン」と、できて、
「あなたの人生はこのへんで終わりですから。もう進まなくていいですよ」
と、言われているような気がする。
なんの根拠もないけれど。
あ、そうですか終わりですか、しかたない。もう、疲れた。
もう人生で思い残したことはないけど、死ぬのに苦しんだり痛かったりしなきゃいけないのが嫌だ。
私、どうやって死ぬんだろうな。
突然重病を宣告されるのか。バイクで事故るのか。それとも、身近な人に殺されるのか。
大学の後輩が突然死んだことがあった。ふつうに生活していたのに、朝親が起こしに行くと布団の中で息絶えていたそうだ。そういうことって、あるんだ、びっくりした。
20代の子だって突然死ぬんだから50にもなろうというわたしは、もっと死にやすいだろう。
となれば、死ぬ前に食いたいものを食っておかねばならない。
生きていると、食いたいものを好きなだけ食うと、でぶになるし健康に響く。しかしもし死ぬならどうでもいいじゃないか。
とんかつが食べたい。塩釜市場で海鮮丼を食べたい。ラーメンが食べたい。伊藤商店。潮の音。千極煮干。
ちょっとまて。パンも食べたい。パンもいいよ。
ふだんSEIYUの見切り食パンを70円くらいで入手して、その6枚切りの1枚の半分を一食分としているので、普通の菓子パンが150円などで売っていると「食べたいけど、ばからしい」と思って買わないのだ。
これももうすぐ死ぬなら食っておいたほうがいい。
でもわたしはきっと、そういう状況でも、見切り品で安くなったものしか買わないだろう。これは合理的判断だと思いたい。だって味も品質もほとんど変わらないから。
あとごはんだよな。こめのめし。
いくら丼が食べたい。ウニ丼が食べたい。いや普通の牛丼も食べたい。カツ丼も食べたい。カレーライスもいいね。こういうどんぶりもの、ずっと「太るから」と最小サイズを頼み、通常サイズのときはちかくにいる息子に「多いからあげる」と食べさせて、自分の体重維持に励んできた。でも死ぬんだったら、ちゃんと「おなかいっぱい」になるまで食べてもいいんじゃないだろうか。
ポテチも食べたいなー。プリュンゲルスのサワークリーム好きだ。
シュークリームも食べたい。あのほとんど空気でできているしろもの。なんであんなに幸福なのだろう。
からあげ弁当が食べたい。からあげ、だけではなく、弁当になっているもの。
コロッケも食べたい。揚げたては熱すぎるから、ちょっと時間が経ってまだ表面が「さくっ」としているときに。これもいつもは1個しか食べないけど、2個とか3個食べたい。
肉まん食べたい。大福食べたい。プリン食べたい。
こうして書き散らすと、気づく。普段わたしが、いかに食べたいものを我慢しているか、そしてそれが炭水化物ばっかりなのが。
肉や魚や野菜には、この「食べたい食べたい」という気持ちが湧いてこない。そりゃ塊肉にはそそるけど。喉の奥から振り絞るような飢餓感、渇望感の対象は、いつだって、てっとりばやくエネルギーに変換できる炭水化物や糖分なのだ。
「食べたい食べたい、わしわし食べたい、炭水化物を、糖質を」
糖質制限なんて無理だと思う。
「食べるのを我慢する必要はありません。別の食品におきかえるだけ」
などと、やさしくその手の解説書は言うけど。
きらきらひかる米のめしにかわるものなどあろうか。湯気を立てて、はいわたくしエネルギー源でございます、とずっしり存在する、ご飯。
ふんわりしてて、こっちが脱力するオーラを出していて、あの接近したとたんかぐわしい香りと幸福感につつまれる、パンにかわるものがあろうか。
そして日本における食の多様性をこれでもかと体現した多種多様のラーメン。食べ始めから終わりまで一つのストーリーをつむぐような体験。あれにかわる体験があるだろうか。どんぶりに顔を近づけ時には両手でささげ、上半身をぜんぶささげるような、なにものにも邪魔されたくない気分。
なんでそういうのを捨てて置き換えられる気になれるんだろう、わからない。
あー。食べたい食べたい。いつだって食べたい。
「食べたい」を追求する食の冒険への旅は、確実に死ぬ前にやっといたほうがいいな。