仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

思考停止する人の思考〜2ちゃんねるは何故潰れないか?

ここのところ、梅田望夫「Web時代をゆく」の内容があまりに気持ち良くって、料理の合間も寝る前も風呂でも読む有様。そんな自分の現状が少々気持ち悪くなったので、ここらでそんな麻薬のように気持ちいい梅田ワールドを叩き割ってくれるような本が読みたいな、と思っていたら書店でこの本を見つけ、買ってしまいました。「はぁ〜やっぱりひろゆきっていい男だわ…」と帯の写真に吸い寄せられたわけではない…と思う。
2ちゃんが潰れない理由はどうでも良いので、考えたことを。
特に小飼弾氏との対談を読んで感じたことなのだけど、「思考停止」しがちな人が、ひろゆきを不快に思うのかも。というのも、私もしばしば「思考停止」をしてしまう。小飼氏もひろゆき氏も、みんな何故思考停止するのか不思議だそうなので説明すると、「だってそんなこといったら何もできない」「そんなこといったら私のこれまで信じて来たことはどうなるの」という気持ちになったとたん、不快の感情が押し寄せる。これは自己嫌悪の胃がずーんと重くなるあれに似ている。その不快の感情により、あ、この会話はもう続けたくない、この件についてはもう考えるのよそう、という方向に行くのだ。
自己嫌悪に似てるというより、自己嫌悪そのものなのかも。「そんなことを知らなかった自分の馬鹿さを認めたくない、自分のこれまでの人生を否定したくない」ということか。そしてそれが相手への不快感にすり替わる。本書の中である編集者の言葉として「ひろゆき氏と話していると自分が頭悪い気がして、嫌になった」というのはまさにこのことなんだろう。

例)停止する人「ボーナス出たし宝くじ1万円分買うんだ〜」→思考する人「そんな当たる確率の低いもの買うなよ」→ 停止する人「(確率については思考停止)でもいいじゃない、夢を買ってるんだから…」→思考する人「そのお金は捨ててるようなものだよ。もっと有効な、例えば◯◯とか××とか…」→停止する人「でも宝くじの収益は役立てているっていうし」→思考する人「じゃ、宝くじじゃなくて募金すればいいでしょ。一万円。」→停止する人「(不快感噴出)…(嫌だわこの人。せっかくの私の夢を。もう話題を変えよう)…あー、なんかお腹空いてきちゃった*1

思考停止する人としない人の違いはなんだろう。小飼氏とひろゆき氏は頭の良さと言っていた。でも、私だって馬鹿でいるのは嫌だなぁ。できればあの不快感が押し寄せず、そこで自分の馬鹿さを素直に認めて、思考継続できる人になりたい。どうしたらそうなれるんだろう?
ネットでは良く見かける。あなたの言っていることはおかしいよといくらやんわりいって、かみくだいて説得しようとすればするほど、相手はひたすら反発。論理的に破綻しても、矛盾しても。矛盾をつかれると余計反発。そして切れて「もう話したくない」と消えてしまう。相手の中にはあの不快感が渦巻いていることが想像できる。もし不快感をやわらげるか消す方法がわかったら、ニセ科学とか信じている人を反発されることなく説得できるかもしれないのに。人の「思考停止」を消させる方法って、あったらすごいかもしれない。
その結果、幸せかどうかはともかく。小飼氏とひろゆき氏も「子供は馬鹿に育ってほしい」と言っていたしね。

*1:「お腹空いた」って便利だ。考えてみたらこういう場で本当によく使う。