仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

「スイミー」で考えた

息子が今国語で「スイミー」をやっています。原作絵本(日本語)と比べると、教科書の方は微妙に「正しい日本語」にされていて味気ない。仕方がないけどページが圧縮されているし。

スイミーは「みんなでちからをあわせることのたいせつさ」が主題だと記憶していた。でも、今読んで、別のことに気がつきました。

スイミーは、最初兄弟と仲良く暮らしていたけど、ひとりぼっちになります。寂しかったスイミーは、海中のおもしろいものを目にするたび、だんだん元気を取り戻します。でも、スイミーは最初から海の中に住んでいたのに、なんで初めて見るかのように、海中のおもしろいものを今更発見していくんだろうか?
絵本は28ページ、うち、12ページがこの面白いものを見つけていく過程に割かれている。全体の3/7だ。教科書ではここが2ページに圧縮されて非常に残念。
そして、クライマックスの、大きな魚の形になって泳ぐところは、意外にあっさりしていて、ぷつりと終わる。「ぼくたち、ちからをあわせたら、できたぞ、やったぁ!」というような描写はまったくない。


オトナの私としては、このお話を「孤独から得る強さ」の大切さを語っていると解釈しました。
仲間達となれ合っている間は、スイミーは外に目を向けることがなかった。一人になって、一人で生きていかなければならなくなって、ようやく外の世界を知る。新たに出会った仲間達を外の世界に誘い、魚の形になって泳ぐ知恵は、「力をあわせて」というより、外の世界を知ったスイミーが得た知恵なんじゃないだろうか。
それから、スイミーは黒くて泳ぐのが速い、異端・異能の存在。だからこそわかる、外側からの視点…のようなものも、あるのかなぁ。

作者の真意はなにか?なんて、テストじゃないんだから、いろんな解釈があっていいですよね。まぁ、私はそんな風に考えて、「おおー、深い」と思いました。

ちょっと違う話になるかもしれないけど、群れてなくても、一人でいても、いいんだよ…ということを子供にもわかっててほしいと思うのだ。つるむのが嫌いな私は、子供の頃から、自分って変?と思い続け、大人になっても「群れなきゃいけない」と思い続け、「無理はやめた」と思ったとたん、楽になった。
息子は母親とは違い、モテるし、非コミュではないようだ。だからこそ一人になる強さも知って欲しいです。いつか。