仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

また誰かに出会えればいい

人からパワー貰うと、文章とか絵にしてアウトプットしないと気がすまない。溢れ出すと止まらないこの衝動はまるで恋だね。
先週後半からたくさん人に会って喋った。木曜はid:h_sakuraiさん、金曜は美容院行ったし土曜日は防災訓練とdachasだったし。以下、電波が出ているかもしれないので注意。
しばらく、胃のあたりに石が沈んでるような心持ちだった。というのも、少し前、知人に人格否定的なことを言われたのだ。ほんのささいな言葉だし、多分言った本人も忘れているだろう。でも、その言葉の全否定の響きがいつまでもじくじくと残っていた。自分でもそう言われても仕方がないと思う反面、私は何も悪いことしてないとも思いつづけ、結局、こんなことをいつまでも反芻する私はなんて駄目なんだと、グルグルと考えていた。

ところが日曜になって、気がつくと「あ、もうどうでもいい」という気分になっていた。一気にたくさんの人に会っていくうちに、私にかかわる人はこんなにたくさんいて、その中のたった一人が言ったことなんて小さいことだと、すーっと悟ったのである。

私には愚痴ってストレス解消するような友達はほとんどいない。
もし、私にそんな仲のいい友人がいて、「◯◯さんにこんなこといわれてさー」「えーっ酷いね。そんなことないよ」「そうだよね」「◯◯さんのほうがおかしいよー」という会話をしたら、私はすっきりしただろうか。
違うと思う。
そこから逆に◯◯さんの悪口に発展して、今度は後ろめたさを感じるかもしれない。また、友人はこういったけど他の人はどうだろうか、とか、実は◯◯さんだけじゃなくあの人もあの人もそう思ってるんじゃないか、とか、不安は尽きないかもしれない。
だから、会う人の絶対数をどかーっと増やした、先週の後半が効果的だったのだ。

一人だからこそ、いろんな人に会って、いろんな人の気配を浴びることができる。喋ったことのない話題について喋って、やったことないことをやって、知らなかったことを知って、考えたことがなかったことをたくさん考えて。頭の中のすみずみまで刺激され、川底を転がる石みたいに、たくさんの面を磨かれていく。もし、すっごく気の合う仲良し同士、いつも一緒だったら、どうだろう。その人(たち)とくっついている面は、いつまで経っても磨かれないままなのだ。磨かれていないことにも気づかず。

一人であることを、恐れず恥じず。誰かに嫌われたら、また誰かに出会えればいい。好かれなくても。