仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

身体知

どうしよう!本嫌いなのに、本の感想ばっかりブログに書いてる。

内田樹と三砂ちずるの対談。対談の本っておもしろい。片方がへぇへぇと言ってるばかりで、もう片方が自分の主張を喋りまくるパターンだと、なんだ今まで読んだ他の著書と書いてあることが同じだよ、と、ちょっと損した気分になるんだけど、このお二人はちょーどお互いいい話を引き出しているパターンだなと思った。もっとも私は内田センセイの方しか知らないんだけど。
三砂ちずる氏のほうは、いずれも立ち読みしかしたことないんだけど、「オニババ化する女たち」を読んで当然のように反感を覚えw、「昔の女性はできていた」を読んで半分くらい共感した。
実感として、産む前と後とではからだの感覚が全然違う。勘も冴えるし、危険予知能力も増えるし、とにかく頭より体で感じることに敏感になる。母性ですねとかそういう綺麗事ではなくむしろ野生化するような。でもそういう能力に滅茶苦茶助けてもらえる。もっともそのように冷静に思えるのは、私の子供がもう8歳で且つ私が仕事をしているからだろう。子供が小さくて主婦していた頃は本当に毎日が精一杯で辛くて辛くて仕方がなかった。
だがやっぱり…いいこといっぱいだからみなさん子供産みましょうよ、と言いたいけど言えない。私の周りは圧倒的に、産みたくても産めない人、ほしいけどなかなか恵まれない人のほうが多いのだ。だから複雑な気分。産みたくても産めない人はどうしたらいいんでしょうかというのに応える部分が、どうしても弱いので。

本書でも、どうしても、話をなんでもそっちのほう(身体のほうのいろいろ)に原因を求めすぎているような気がして、おいおい、ちょっと待ってよ、まぁほどほどにね、と言いたくなった。産んだ人間としては半分ぐらい身に覚えがあるだけに余計、のめり込まないように注意しながら読んだ。

非常に同意したのは、内田先生がこう言っている部分。

人間関係で傷つくというのは、たいていの場合、生命力を奪ってしまうような人の傍にいるからです。そういう人って、実際にいるわけですよ。善悪とかかわりなく、ネガティブなオーラを出している人って。本人は自分のことを思いやりのある善意の人だと思っているんだけど、その人のそばにいるとこちらの生命力がゆっくり損なわれてゆくような人って。身体感受性が鈍い人はそれがわからない。だから「その人のそばからそっと逃げ出す」というオプションを思いつかない。そういうネガティブな人って、口で言っていることは語義レベルではまともだし、つじつまがあっているし、本人も「あなたのことを考えている」とか「あなたのために言うのよ」というふうに言うので、どうしても「わるい人」のようには思えない。でもそういう人のそばにいて、その人の言葉をずっと聞かされているうちに、聞くほうがどんどん衰弱していく。そういうこわいコミュニケーションってあるでしょう。

いる。たくさんいる、そういう人。言ってることはすごく正しくて、ありがたく思わなければならない、でも、なんかこっちのやる気を思い切り殺いだり、がんばる意欲を喪失させ、なんか自分がすごくダメ人間に思えてきてしまう、そういう人。
リアルではよさげなのにネット上の人格になると、善意のもとに他人をざすざすと刺す人もけっこういる。どっちが素なのかわからないけど、刺す人には私は近寄らないようにしている。逃げます。逃げてもいいと思う。
だからね、ネットを使っていろんな人とつながるのが容易になったけど、つながりゃーいいってもんでもないだろうと思うのだ。
繋がらないほうがいい人は確実にいるので。言葉や業績だけ捉えて「いい人」と判断し、つきあいを通じて憔悴していくのは避けたい。だから人にあったときのぼわっとした感じを大事にしたほうがいいと思う。相性ってもんもあるし。これも内田先生の言葉だけど、「一緒にごはんを食べたいかどうか」これだよねー。