仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

女としていろいろ欠けている件

年末なので毒を吐こうと思う。
しみじみと思うのだけど、女としての「ふつう」の感覚が、昔からいろいろと欠如している。


たとえば、「装う」「飾る」に、魅力を感じない。
クリスマスの飾り付けとか、したいと思わない。光のページェントが、別に見たいとも思わない。キャラ弁とかデコ弁とか、作ろうとも思わない。化粧は面倒だからしたくない。服もできれば毎日同じのを着たい。


「かわいい」が、どういうものなのか、よくわからない。そういう感覚がないと社会的生活が送れないから仕方なく多少は身についたように思う。子供の頃描き始めた人物の絵は、他の子とまったく違っていて、巨大な星の入っている目と、多数の線で髪の毛を表現しているのがふつうなのに、炭団のような黒丸の目、海苔のような髪の毛を描いていた。


たとえば、「誰かのために尽くして愛情表現」が、苦手。
旦那さんのために愛妻弁当を作ろうという気にならない。手作り弁当は、お金がないから仕方なくつくるもんだと思っている。自分もべつに食べたくない。
旦那さんの帰宅を待って夜遅くまで起きているということが、できない。絶対睡魔の方が勝つ。なんどかやってみたが腹が立ってしまって駄目だった。


いわゆる女性が好きなデザインがわからない。たとえば、こういうもの。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%89%8B%E4%BD%9C%E3%82%8A+%E5%B7%BE%E7%9D%80&hl=ja&tbm=isch&imgil=3ErlecEtjK51sM%253A%253BuWbRGD-zbW87oM%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fmatome.naver.jp%25252Fodai%25252F2137325742497643101%25252F2137635861323204403&source=iu&pf=m&fir=3ErlecEtjK51sM%253A%252CuWbRGD-zbW87oM%252C_&usg=__ibLE4fLSFoEFLJFOMVvtXGLf7Qw%3D&biw=1269&bih=600&ved=0CC0Qyjc&ei=IBudVPGvO-PUmgXOi4CwDw#imgdii=_
花柄、レースに魅力を感じない。なんで他の布で切り替えてつくるのかさっぱりわからない。


「誰かと一緒が好き」が、わからない。
誰かと同じなんて絶対嫌だ。みんながそうするからわたしもそうしたい、が、わからない。
働いていたときの「女性は女性どうし、まとまって昼食」の風習が大嫌いだった。一人でごはんを食べるのが大好きだ。


「無限にぺちゃくちゃおしゃべり」がわからない。うるさいの嫌い。複数人が集まると、とたんにまったく会話に参加できなくなる。
基本的に喋りたくない。


思うに。これらの女性らしさって、母とか妻とか家庭を運営するための適性みたいなもんじゃないだろうか。全然根拠はないけど。こういうのを満たしているひとたちは、幸せな結婚もして、まっとうに育児を楽しみ、家事を楽しんでいるように思う。

実家に帰った時。しみじみと、母が言った。
「私とか、お前は、家庭とかそういうものに、そもそも向いていないんじゃないだろうか」
私は心から同意した。
「んだ、んだ」
母が家庭に向いていなくて家庭を持っていなかったら、私はこの世に生まれていなかったから、同意するのはおかしいかもしれないが、本当に、そう思ったから。
母も、いわゆる女性らしいことが苦手だが、上記に挙げた最初の2点は得意だ。装うことが好きだし、イルミネーションも好きだ。私より圧倒的に女らしい。多かれ少なかれ、女性はある程度は女性らしくはないんだろう。私はその割合が大きいわけで。


女らしくなくて、家庭の適性がないことは、本当に不便だし、コンプレックスも感じる。だが、子供がいるからこうしなきゃ、妻だから母だからこうしなきゃ、と思えばおもうほどしんどくなるので、息子が立派に反抗期になっているのを機に、負い目を感じるのは、もうやめようと思う。


いろいろ飛び回りたいんだよね、と母は言った。私も、そうだ。
「行きたいとこに行きなさい、行ける時に」
と、母はいう。本当にそうだ。あと数年ぐらいだろうか自由なのは。親の介護と自分の不調がおそらく襲ってくる。


動こう、私は。動けるうちに。