仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

自殺に関する本を読んだ(3)末井昭「自殺」

自殺に関する本でずっと気になってた。なにしろ「母親のダイナマイト心中から60年」なんて書いてある。買って、一気に読んだ。いろんな意味で衝撃的な本だった。2014年の読んだ本で間違いなくベスト。もっと早く読めばよかった。というわけで、レビューもめちゃくちゃ長いです……
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いままで自殺関係の本を読んだけど(「自死という生き方」「生き心地の良い町」)その中ではいちばん、自殺者を責めていなくて、自殺者への視線が暖かくて、自殺者へ寄り添っている、近い感じがする。

末井さんを始め、この本には一般名詞で言うところの「ダメ人間」「クズ」がたくさん出てくる。末井さん自身は、多数の女を同時に愛し、不倫離婚再婚、さらにパチンコ競馬先物取引不動産で億単位の借金を抱える。末井さんの回りの人間もホームレスだったり借金を返さなかったり、かなり駄目だ。こういう本を読むと、TEDとか感動して起業する意識の高い人ばかり見ていちゃ駄目だと思う。彼らは上澄み液にすぎない。世の中の大半はこっちなんじゃないかと思ってしまう。末井さんは白夜書房という立派なアングラギャンブル系出版社(今はそうでもないらしい)にいたんだけど、そういうすごい人だってこういう闇を見てきたわけだ。
末井さん自身とその周辺の人々の話もかなりすごいが、取材に基づいた部分も興味深い。秋田で「秋田県の憂鬱」という本を出し秋田が自殺率No.1であることを世に知らしめた法医学者の吉岡先生、樹海で自殺者を100体以上見つけて自殺志願者にも声をかけている早野さん、自殺未遂とアルコール依存症といろいろやりながら自殺に関するイベントに出演したり書籍を出版している月野光司さん。特に樹海の章はすごい。実際に樹海を歩いて見つけた写真なんかもあったりして。生生しい。案内した早野さんの経験に基づいた、樹海に来る人の傾向とか、遺留品の傾向とか、こういうケースがあったとか、話がすごく面白い。面白いと言っていいのかわからないけど。
自殺が目の前にある人達の話を読むと、ほんとに誰でも自殺する側に行っちゃう可能性があるんだな、自殺ってすぐそばにあるんだな、と考えさせられる。「遠くにあって批判すべき自殺」が一般認識だけど、「身近な人でも死にかねないところでみんな生きている」のが多分当たり前だと思う。


私が読んで一番印象に残ったのが、Fという女の話だ。Fはボーイッシュで、末井さんのところで仕事をしていたが末井さんが惚れ込んで、ストーカーみたいになり、Fと関係を持つようになり、Fは他の男性とも付き合いがある。末井さんは妻がいるので妻には仕事で遅くなると言って朝帰り。Fとのホテル代その他のためお金もなくなり自販機本作りでバイトをし(さらにのちの妻となる人とも付き合っていたらしい)、仕事とバイトとFとで眠れない日が続いたけどそれでもFとの関係はやめられない。Fは精神を病み入院、すっかりおかしくなって、ビルの8Fから飛び降りたが生き延びてしまった。Fは一生消えない全身の傷と動かない体を引きずり、末井さんとホテルに行ってセックスする。というところで終わる。足を引きずりながら、はにかみながら、末井さんに近寄るFのビジュアルが強烈に思い浮かんだ。一番驚いたのは、人は8階から飛び降りても死ないことがあるということ。たまたまメディアテークの7階に行った時、この話を思い出し、窓から下を見たら相当な高さだった。これよりもっと高い8階でも落ちて死なないことあるんだ、死なないんだったら飛び降りなんて超怖くて痛いじゃんと思った。以来、マンションを見ると8階ってどのぐらいの高さだろうと、つい見てしまう。


何回もこの「自殺」を読み返して、そして今まで読んだ自殺関係の本を思い出して、考えた。やっぱ「どんなクズでも、死なないほうがいい、生きていてもいい、生きていればいい」…という認識でいたほうが、生きやすい世の中なんだろう。
自死という生き方」を書いて本当に自殺してしまった須永一秀氏は、人生の極みを経験したと思って、これから下降していくだけなら、つまり、クズになっていくなら、生きている資格がない…そう思ったんだろう。「生き心地の良い町」に出てくるA町(自殺多発地域)の人のように、他人に迷惑を掛けたくない、噂になったら恥ずかしい…そういう意識が根底にあって生きているとしたら、やっぱりクズは生きていけないと思ってしまうだろう。
モラルも常識もふっ飛ばして、自殺しかねない状況から、苦悩の果てを経て生きつづける、「自殺」に出てくる人たちは、死にたい人が復活するためのロールモデルになるんじゃないかと思う。

クズでもいい、生きていればいい。今、そう断言できる人は少ないだろう。でもできれば、私はそんな度量を持てるようになりたい。では、人に損害を与えてしまう人でもいいのか。人を殺してしまう人でもいいのか。「人はどんなに駄目でもクズでも生きていていいことを、証明しなさい。」という試験が出されて、広大な解答用紙の空欄を目の前にしたような、そんな気分になった。