仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

接客とは。

この日記は、ほとんど私のまわりの誰にも同意されないだろうと思って封印していたのですが、思い切って公開します。

 未来食堂、少し前、東京に行った時、昼に行ってきました。

店主のせかいさんの著書を読み、またさまざまなメディアで取り上げられ、周囲の知人の評判も良いので、かすかな期待を胸に行ってみたんですが。
百聞は一見にしかず。
 
私の率直な感想は「合理的すぎて冷たい」。
 
48年ぶりという寒さが東京を襲った日に行ってしまい、本当に体感で気温が低すぎたのもあるかも。
店に入ってから出るまで、せかいさんが私をほとんど見なかったと思う。
いらっしゃいませ、ありがとうございます、も、なかった。
席について、かじかむ手でコートを脱いであまりの寒さにお茶に手を伸ばした時にもう、ランチが出てきた。速さに驚いた。とはいえおなかすいていたので、すぐ食べられるのは嬉しい。
「お魚揚げたてお出しします」と言われ、そのあとすぐにメインの揚げたてお魚、とろみのついた汁が出てきた。
えーとごはんは…たしか、おひつから自分でよそうシステムだったよね。
おひつがとなりの席の前にある。これに手を出していいんだっけ?まあいいや、違ってたらごめんなさいって言えばいい、旅の恥はかきすて。となりのおひつを引き寄せ、自分でよそう。どうやらこれでいいみたい。いただきます。
入り口は開けっ放し。ちょっと寒い。
お魚はさくさくしておいしい。汁物も不思議な香りがついていてとてもおいしい。おひたし、ひじきの煮物、ちいさな盃に入っている。うん、ふつう、とても、ふつう。全体的に量が少ないなと思ったので食い意地の張ってる私はごはんをおかわりした。東京は物価高いというし、私はラーメンと立ち食いそばと酒以外の外食はほとんどしない人なので、相場がわからない。これで900円、普通なのだろう。
食事を終えた人が出るとすぐ次の人が来店。コートを脱いでいるあいだにもう、食事のお盆が出る。
となりに座った人に、おひつをそっと差し出した。「あ、ありがとうございます」その恰幅のいい男性は小さく頭を下げた。一瞬のやりとりに心がゆるんだ。
厨房ではひっきりなしに言葉が飛び交う。言葉というより指示と報告。「〇〇さん、××お願いします」「洗い物残りゼロです」「△席さん××です」「〇〇終わりました」私の行きつけのラーメン屋もこんな感じで指示と報告が徹底してるけど、そこは元気さと勢いのある声かけであるのに対し、未来食堂のはひたすら感情の削ぎ落とされた淡々としたやりとりだった。
食べ終わった一人の客が「あの、今から手伝いたいのですが」「まかないさん希望ですね。助かります、ではそこに荷物を置いて…」まかないさん希望者は多いのだろう。すぐ対応できるよう仕組みができてる。まかないさんにもテキパキと指示するせかいさん。
食事の後あいた食器が下げられ、お菓子とお茶のお盆が出てきた。これで「あなたのお食事は終了です」が暗に示される。お茶とお菓子を食べたらのんびりするのはお店に悪い、身支度しつつ「ご馳走さまでした」と声をかけてお会計。100円引の券をもらった。
着替えてもう一度店を出る前に「ご馳走さまでした」と声をかけると「お粗末様でした」と、落ち着いた声が帰ってきた。入店退店の挨拶をするのは、せかいさんだけ。
店を出てトイレを借りて、見ると私のいた席にはもうお客さんが入っていた。
「ありがとうございました」じゃないんだ、「お粗末様でした」なんだ。
全てのお客様に、せかいさんはテキパキと「お粗末様でした」と答えていた。
 
もやもやした、なんとも説明のつかない、不満までもいかないけど満足とも言えない、気持ちをかかえつつ、考えながら神田の古書店街をふらふら歩いた。
 
これ、試金石なんだろうか。できるエグゼクティブなひとたちは未来食堂を絶賛する。この徹底した合理性、感情のないすぐさま食べるだけのやりとりを心地よく感じられる人でないと、これからはやっていけないのかもしれない。早く出てきて早く食べられてよかったね、無駄な会話もうっとおしい元気さもなくて。実に合理的でとても心地良かった。そんなふうに感じるものだろうか。
私は、骨の髄までコンビニ店員としてのうるさいぐらいの接客が染み付いている。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」が、全ての基本であり出発点。だから徹底する。笑顔で、顔を見て、トーンの高い声で。だから未来食堂が冷たく感じてしまった。
うん、まさに、未来だった。過去のうっとおしい接客の常識を捨てた形だった。
「お粗末様でした」で、送るのは、あんまりかなあ、なんでお粗末様にしたんだろう、全然粗末じゃないのに、と思う。
「ありがとうございました」がお互い感謝で終わって気持ちいいだろうに。
回転を上げるには、コートを脱ぐ間にもう食事が出てくるのは仕方ないかもしれないが、お茶を飲んで、ほっとする時間が欲しかった。せかいさんに汁物の中身を聞きたかったが忙しそうでそんな雰囲気ではなかった。
 
そんな、いろんなもやもやを、おそらくどうでもいいことを、私は気にして、だから負け犬一直線なのか。
 
なんで私がこんなにもやもやするのか、それは私がおばさんコンビニ店員だから、というのの他に、カウンターとその中に人がいるというインタフェースの理由もあるのではないかと思い至った。
これが大学生協半田屋のように、棚やレーンの向こうに人がいてほいほいと食べ物を渡すシステムならなんとも思わない。
しかし、カウンターに人が座るというのは、やっぱなんかこう、食べる飲む以外に、一息つきたい、人心地を得たいというのが、あるんではないか…カウンターって心がほどける、場所じゃないのかな。
…ああ、でも自信ないな。この感覚は古いかも、一般化してはならない。単に一人なら他に選択肢ないからな。
「ああ、寒かった」「寒いですね」なんていう非合理的な無意味な余計なやり取りが、カウンターというインタフェースならより起きやすいのではないかと思われるのですが、論文を検索したわけではないのでエビデンスは不明。
 
だから、マニュアル通りの会話以外はだるいしたくない、俺に話しかけないでほしいというphaさんみたいな人は未来食堂いいのかもしれない。若い20代30代の人はみな、そうなのかもしれない。私も昔はできるだけ喋りたくない、洞穴にこもって面を打って生きたいというそっち側の人間だった筈なのに、もう骨の髄まで笑顔と元気をお届けするコンビニ店員になってしまった。最低限のやり取りに徹するのがつまらなく感じるようになってしまった。
おそらくマイノリティは私だ。合理性追求が正しい。Amazon Goのお店もできたし、私はいずれ淘汰される側の人間になってしまったのだろうな。
 
元気よく明るく挨拶は、自分が気持ちいいからしたいのであって、本当に相手のことを考えていた行動だったか?
そんな問いが立ち現れて、愕然とした。
基本はそうだと言われていても、基本すらゆらぐことも当然あるはずだ。お客様のニーズは変わり続けるのだから。
ああ、私はやっぱりまだまだ全然だめだ。
 
とぼとぼ歩いたら、神田達磨のたい焼き屋が目の前にあったので、羽根つきたい焼きを食べてほっこりした。
この日、夜、交流する飲食店、パクチーハウスを訪問した。うっしいさんに念願の対面を果たし、店全体を巻き込んだ佐谷さんの「カンパク」も見れた。こういう、暑苦しいぐらいの熱狂的なノリのほうが、私は好きだな。だってコワーキングスペースオーナーだもん。
 
得られた学びとしては、未来食堂が評価されるということは、淡々と合理的な無機質な対応が好まれる客層が確実にあって、それがどんどん増えてきているのだろうという点。
 
だとすれば「即時に判断して相手に合わせて対応を変える」これしかない。
同じ接客方法でも嬉しい人嫌な人、評価は180度変わる。
生保の人から大学教授、社長まで相手するのがコンビニだ。万人を快適にできるのが接客のプロだ。
よし、超難しいけど、めんどくさいけど、やったろうじゃないの。メラメラと火がついた。
明日も誰かの笑顔のために。
 
追記:
せかいさんの著書を読んだときのブログです。