仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

3人以上になると途端に話せない

「3人以上」まで入力すると、「会話が苦手」などと候補に出てくるので、この症状がある人は多いのだろう。

 

私は、3人以上でまともに会話ができない。

打ち合わせ、ディスカッション、意見交換。そういうところで、自分がうまく話せたことが、一度もない。

「私はそうは思わないんだけどなぁ」

「ああ、自分の意見を、言いたい、言いたい!」

「この話題で最適な実例を知ってます、知ってます!紹介したいんです」

「あ、これ、私のことかな?言う?言う?言ういわなきゃうgy−あああああm他の話題になってしまったあああ」

などと、毎回脳内で悶え苦しんでいるのに、表面は残念な顔で薄笑いを浮かべて、その場の雰囲気を楽しんでいるかのようなように装ってしまうので、誰もわかってくれない。

 

長縄跳び、の怖さなんです、わかります?

あの、ぐるぐる回る中に、はいらなきゃ、はいらなきゃ、と思ってタイミングを伺っていて、もうこれ以上待てない、よしっと入ると、バシッと縄が足首を打つ。

そんなかんじで、思い切って話し出すと、ほとんど誰かと同時に喋ってしまい、「あっ……」と言葉をひっこめる。

 

「あれ、むなかたさん全然喋ってないですね」

「すみません自分のことばかり言っちゃって、むなかたさんどうですか」

私の沈黙に気づいた他のメンバーがこっちに振ってくれるところもあるが、その時は唐突にやってくるのでしどろもどろになってちゃんとしゃべれない。

だから、あ、べつに喋りたいことないんだなこの人、と解釈されてしまう。

これは社会人としてたいへんにまずいことである。まずいことであるが、幸い私はあまり偉くないため、3人以上で会話する機会が非常に少ない。集まりなどではひたすら我慢してきた。

 

インターネットの登場で、私はそんな長縄跳びの恐怖を味わうことなく、複数人の会話にダイブすることができるようになった。インターネットってすごいんですね!ところがネットが仕事やら現実の世界と密接につながってきた昨今のSNSの世界だと、リアルでも会わなきゃいけなくて、リアルでは全然喋らないんだこの人、となる。ネットの私の饒舌なイメージを持って現実でもそうだと勘違いされて、過度な期待を負われてしまうこともある。

「せっかく会えたのにむなかたさんとほとんど喋りませんでしたね!こんどはもっとお話しましょう!」

「せっかくの機会だからもっと喋ってください」
などと言われることが良くある。

もう恐ろしくて恐ろしくて。いいです、あの、現実で多人数の会話って私苦痛なだけです、ネットだけの付き合いにしましょうよ…と言いたくなる。

 

さて「3人以上の会話が苦手」で検索するとそれなりにみんな相談しているし解決したいみたいなんだけど。

「気にせず、聞き上手でいたらいいのでは?(この意見めちゃくちゃ多い)」→いや、じっと聞いてるのいやなんです

「どんな話題が出ているのか、上手に全体を俯瞰できていないのでは。僕との会話レッスンを」→できてるよ

「父親との関係のトラウマが。カウンセリングを受けましょう!」→めんどくさい

「広範囲発達障害です」→だから?

私、社会不安障害と診断されて薬飲んでたこともあったけどあまり意味なかったんで。

 

すげえな、我慢するか病院行くかどっかの商売ネタになるしかないのかよ。

もういいわもう。

私、3人以上だとしゃべれないんですー!許してねー!って言ったって誰も許してくれないし。

記憶なくすぐらい飲んだときは、めちゃくちゃ喋るらしいんです、めちゃくちゃ気分よかった記憶はあるけど話した内容は覚えてません。

 

しかしここではたと気づく。

私、2人でもそもそもまともに話せないじゃん。

それが3人以上だと問題となりやすいのは、それが、意思決定の場だったり、仕事上必要だったりするケースが多くて、意見を言えない自分が不利益を被ったり、後から悔しい思いをしたりするからだ。そーかそーか。

 

書いていると本当にめんどくさくなってきて、思い出すと辛さで胃がちくちくしてくるのでそろそろやめるけど、シラフで記憶なくすくらい酔っ払った状態になったらきっと私も喋れるようになるのだろう。

 

ああ、薬や酒に頼るしかない人生の人たちがとたんに身近に思えてきた。