仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

Facebookどうしよう

Facebook(以下、FB)との付き合い方が、さいきんどーもよろしくないように思う。

コワーキングスペースやその運営者とつながりを持つのがほとんどFBだったので、コワーキングスペースに興味を持ち始めたあたりからどっぷりはまった。

ノラヤが始まってからは、運営の要がFBページだったので、とにかく水を飲むように使っていた、使わざるをえなかった。

 

ノラヤをやめたら、ぷっつりと使う機会が減った。

あの、日々の「情報発信しなければ!」という追われている感がなくなった。

反応があったときの「ベルに赤い文字で数字の通知(かつては地球に数字の通知。これ、なんて呼ぶんですかね)」が、全然ない日もある。

当たり前だ、発信してないのだから。

 

ただの個人になった今、使い道ないもんだなぁ、と改めて思っている。

私は立派な活動しているわけでもないし、日々社会問題を追いかけているわけでもないし、どうしてもFBに発したい情報なんて、ノラヤがなくなったらもうぜんぜんなくなってしまった。うまいビール飲んだとかどっか行ったとか、リア充自慢くらいしか使い道ねーなというかんじ。

あと、なんかがんばったから褒めて!に使うようになった。ランニングとか、びあけんとか。

承認欲求の塊とはよく言ったものだ。

「つながり」…という意味でも、新たな繋がりは増えなくなった。そしてtwitter経由のつながりのほうが増えた。そう、偶然の面白い出会いってtwitterのほうが多い。

名刺交換の時に渡す名刺がないので、じゃぁFBで、となることもあるのだけど、名刺交換したあとつきあいがないと名刺も捨ててしまうように(私は捨てる。で、困ったことはない)その後付き合いがないと友達も切ってしまう。

 

よくないなーと思うのが、その「ベルに数字」がつかないので、FBを見るのが「誰かの反応をチェックする」から、「乗っかってる情報を無限に探しに行く」になってしまって、前よりだらだらFBを見るようになったことだ。

「…今日も特に反応ないか。当たり前だよね。じゃあビール女子グループを見て新しいビール情報を。だらだらだら。あ、あの人最近なにやってんだろ。へー。だらだらだら。ん?こういう情報あるんだ。リンク先を……だらだらだら」

こんな感じである。

 

twitterも無限に見ようと思えば見れるけど、なぜかこっちは「飽きる」。そして私は変わった人をたくさんフォローしているので大量に見ると必ず怒ってる人に出会って「疲れる」。それで離れられるのだ。

 

まぁ、見てる時間で言えばtwitterの方が実は長いかもしれないけど。

FBがどうでもよくなってくると、ますます、素晴らしいコワーキングスペース運営者とかキラキラした世界から遠くなってしまうような気もする。

でも離れてみても、いいのかもしれないな。