仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

ビールが失われた世界

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ビールを自宅で飲まなくなって1ヶ月以上経った。

ただの嗜好飲料350mlをやめただけじゃねーか。最初の3週間はけっこう平気だった。楽なもんだ。これだったら一生辞めてもいいな。

ところが。日が経つにつれ、ビールに結びついた生活のさまざまなものの多さに気づき、それが失われた日々を過ごしているもの哀しさを感じるようになった。

 

 

元アル中のコラムニスト小田島隆さん著「上を向いてアルコール」を、以前読んだ。

その中に酒を絶った後の世界を、「4LDKの部屋に住んでいるのに、アルコールのある部屋2部屋に入らず残り2部屋だけで暮らす気分」というように表現していた。

今はとてもよくわかる。

たとえば。チータラ、ビーフジャーキー、ポテトチップス、柿の種、バターピーナッツなどの塩っぱいスナック。 これを買って来る時は自動的に「ビールとともに」と思っていた。飲まないので、全然買わなくなった。

料理もそう。アヒージョ、牡蠣のオイル煮、生ハム、ジャーマンポテト、大きなフランクフルトにザワークラウトマスタードを添えたもの。チャーシュー。これまでビールとともにあった料理たちが、とたんに色あせた。そりゃ、おかずとしてごはんと一緒に食べればいいけど。なんだかちがう。私は反省した。これまで、自分はビールを飲んで、こういうつまみ系料理をごはんのおかずに出して、度々息子に「酒のつまみじゃねーか!」と文句を言われていた。息子の気持ちがよくわかった。すまんこれは酒のつまみだ。

餃子や焼き鳥、麻婆豆腐、唐揚げ、アジフライ。ごはんのおかずになるこれらの料理も、やっぱりビールとともに食べたい。おいしいよ。おいしいんだけど、なにか、さみしい。

結果、食べ物の選択肢が、かなり減ってしまったのですよ。

 

寂しいといえば、夕暮れにビールがないのが寂しい。

私は綺麗な夕焼けを見た時、綺麗な季節の移り変わりを見た時、

「ビールとともにこの景色を見たい!」

と思うのだ。わかってくれるだろうか、誰か。短い時間しか訪れない、自然現象と季節の美しさを祝福したいこの気持ち。

そんなこといって、たいてい他に家事だのなんだのやって、ビールを実際に飲むのは夜になって落ち着いてからになるのだけど。

それでも、夕暮れに「ああ、ビール飲もう」と思って、冷蔵庫においしいビールがあるという、それまでの時間はとても幸せなのだ。

そのほかにも、ふわっと日常にやってくる、ビールな気分とでも言ったらいいのだろうか。

今日はいい日だったからビール飲もう。

嬉しいことがあったから一人祝おう。

がんばって10km走ったからビール飲もう。

お風呂から上がったらビール飲もう。

ビールな気分をつかまえて、大事に育てて、「よっしゃ飲むぞ!」って、ビールを飲む…それが、たまらなく好きなのだ。

しかし。今は、ビールな気分が湧いても「いや、今私飲めないし」と、それをしゅっとしぼめる。冷水をあびるがごとく。がっかり。さみしい。

夕焼けを見て、青空を見て、「あー、ビール」と思いながら感じる幸せ。今日のいちにちを幸せな気分でしめくくるビール。それが失われてしまった。

 

ちなみに、いつでもそういう素敵な飲み方していたわけじゃない。どうしてもガソリンが必要だから飲む、という時もあった。

一番多いのが、夕方飯を作る時だ。

この飯を作るのがたまらなく嫌でめんどくさいのが定期的にやってくる。体が疲れているからでも、仕事が忙しいからでもなく、なにをどうやってもモチベーションが上がらない。

そういうときは、(揚げ物など手先が鈍ると危険な作業は終わってから)プシュッと缶をあける。爽やかな香りを吸い込んで、喉を液体が通り過ぎて、「はああ」と、一息つくと、全身にじわっとなにかがみなぎって、ちょっとやる気が出るのだ。

「めしつくるの嫌い、死ぬほど嫌い、逃げたい」といいう袋小路の思考から抜け出し、「あの食材であれでも作ろうか」と、考えがポジティブになる。よし、音楽でも聞くか、とイヤホンをつける。そうやって、ようやく、飯が作れる。

しかし先日はそれができなかった。どうしても飯を作るのが嫌で嫌でしょうがなくて、ついに家族に頼んで弁当にしてもらった。家族は自炊主義者ではないので喜んで近所のお弁当屋さんのからあげ弁当を食べた。この時の出費は自分のこづかいである。ああくそ、金がかかる、と思いながら自分はラーメン屋にラーメンを食べに行った。缶ビール一本なら200円前後なのにこの時の出費は1500円である。

ビールって、飲むと「ようこそビールの世界へ」という風に世界が変わる。「ああ、来たかったよ、やっと来た」というときもあるし、「嫌だから逃げてきた!」というときもある。私はビールの世界の住民になって、ほがらかに幸せに生きるのだった。

 でも、その世界への扉は、今は、パタンと閉じられている。行こうと思えばいけるけど行かない。

 

さて、ビールを飲まないことで得られたものについても言及しておかなければ。

実際、飲まないメリットはとても多い。

自宅で飲まないことにしたら「夜、思い立ったらいつでもバイクに乗れる!」と気づいた。当たり前だ。前は、飲んだらその日は閉店!で、体も脳も動かない。世の中には飲みながら知的作業ができる人もいるらしいが、私はできない。飲んだあとの時間は飲んで食って寝るしかない不自由時間なのだ。

急に欲しいものがあるとき、バイクにまたがってさくっと買えるわけだ。便利だ。

そういえば飲んだ翌日はどうしても体の動きが鈍かった。習慣となっているトレーニング3セットをすれば体は起きるのだけど、やってる間がちょっときつい。

 

ビールをやめてた理由の一つは勉強時間を確保することだ。今まで酔っ払ってふわふわしていた時間に、私は簿記の勉強をガリガリと進めた。

SNSで無駄口を叩かなくなった。スマホからSNSのアプリも消しているんで、気軽には書けない。

そして、酔っ払いがすごく「バカ」に見えてきた。

酒を飲んでグダグダ崩れている人を見ると、心底くだらないと思うようになった。

酔っ払いがバカにみえるということは、飲んでない私が賢く思えてしまうのだ!この優越感は素晴らしく気分がいいぞ。

  

ただ、ストレスがたまるようになった。

息子の受験、自分の資格試験、バイトをやめたことによる環境の変化、(そしてもう一個最大のストレス源、今は書けない)、そういうストレスを、「気合い」「気力」だけで乗り切れるほどの若さと体力がないのですよ。

ビールを飲まないなら、ちゃんと別の幸せになる手段を用意して、定期的に摂取するようにすべきだった。そうでないと、一番手軽な幸福にひたることになる。それは「食べ物」である。せっかく美しい体型を維持しているのに。立ち仕事をやめた運動不足も相まって、悲惨なことになりそうだよ。

幸せマネジメント、だいじだよなぁ。金もかからずどっぷり幸せになれる方法を用意しとかないとダメなのだ。これは今後も気をつけたい。

 

ダラダラ文章を書いているうちに、ビール解禁の前日となった。

なんだかんだ言って、長かった。明日が楽しみだ。

なんとなく想像はつく。

飲むと、「あーおいしい。でもこんなもんだっけ。私があれほど渇望していた飲み物は」と、なるんじゃないかな。