仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

2022年の十大ニュース

2022年、私にはあまりにいろんなことが起き過ぎたので、例年10個もない十大ニュースが10個じゃたりないという事態に。厳選しました。

 

ちなみに、去年の十大ニュースは…

あれ?書いてない。

あまりに仕事が過酷で一年を振り返る余裕がなかったよ。

いや、まあ、トップはあの件なんだけどね。

 

しょうがないから一昨年の十大ニュースでも貼るか。

monyakata.hatenadiary.jp

 

2020年、なかなか辛い感じでしたほんとに。

辛いまま、さらにいろいろあって2021年に移り、そして2022年!!

ヒャッホー!十大ニュース行きますよ。

1. 就活の果てにやっと掴んだパート職を辞めた

あれは49歳の春、2019年。ノラヤを閉店して息子が大学に入学したのを機に「ちゃんと稼ぎたい」と就活し、ボロ負けした私は50歳になった時に正社員の道は閉ざされたと判断、小売業パートになったのであった。

が、そこは大変酷い仕事環境でございました。

実際働きはじめてどうなんだという話は、すごくすごくすごく語りたいんですけど守秘義務もあるしまた別の機会に。 一言だけ言っておくと、いいこともあればわるいこともあります。(2020年の十大ニュース)

こんなこと書いてましたが、嘘です。入社2日で「辞めたい」と思った。従業員がみんな常にイライラして怒っててお互いの悪口陰口言い合って不満が渦巻いてました。会社もなにもかも酷かったです。メンタルがどんどんネガティブになり、ハードな肉体労働で体重がスルスル減りました。しかし生きる為です、少しでもやりがいを見出そうと頑張りましたよ。

嫌なことをA4の紙1枚にびっしり書き連ねた位、嫌でした。このあと何年勤務し続けても昇進はできず時給は一生1,000円を超えないことがわかり、土日休めない、母がどんどん衰えてきてるのに何かあった時駆けつけられない、年末年始出勤必須、などが決め手となり退職。

2. 大学の事務補佐員になった

小売業退職後は仕事のあてもありませんでしたが、以前からTwitterでお付き合いのあった大学の先生から事務補佐員(アルバイト)の仕事に声をかけていただき半年間勤務しました。本当にありがたいことでした。小売業で心身ともにボロボロになった私がペースを落として働いても前より給料がよかったです。すべてはtwitterのおかげです。

場所が私の大好きな東北大学青葉山キャンパスで、本当に環境が良くて、空が広くて空気が爽やかで鳥の声がよく聞こえて、いるだけで気分が良くて人格が洗われていく感じがありました。

大学職員の特権で大学図書館で面白そうな本を見つけて読んだり(農学部図書館が面白かった)、昼休みには散歩して、学生さんに交じって学食で安くておいしいごはんを食べて(本当に学食大好きでした)、そうやっているうちに「この世も悪くないなぁ」って思うような、生きてる感じを取り戻せました。最先端の学びと研究の空気を感じることで私もまた勉強したいと思うようになってきて、それがLPICの資格取得につながったと思います。

あんなに小売業ではネガティブに堕ちていたのに。やっぱり環境って大事。

3. LPIC Level1、Level2取得

毎日スーパーコンピュータの上で勤務していたのも影響してか(?)、なんかまたITの勉強したいと思うようになった。

IT系といっても、ウェブデザイン、プログラミング、アプリ作成、ネットワーク、グラフィックなどなど、いろんな分野にひととおり手を出していて、自分がやりたいのは何?と思ったときに、そういえば昔、Linuxいろいろいじってた頃楽しかったなと思い出し、じゃLinuxの資格はどうだろうと思った。

詳しい経緯とか勉強法はこちらのNOTEに書いたので読んでいただければと存じます...

note.com

note.com


テキストも大学生協組合員だったので割引購入できましたありがたや。自習スペースや図書館など大学には勉強する場所がたくさんあるので、たくさん活用させていただきました。大学にいなかったら資格取れなかったと思います。noteにも書いたけどLPIC202にすごく苦労したので、集中して勉強する場所があるってかなり大事だと思います。ありがとうございました本当に…

最終的に4回試験に合格して、11月にLevel2を取得することができました。

4. 就職した

LPICのLevel1に合格したのをtwitterで無駄にアピールしてたら昔RubyKaigiとかRails Girls Sendaiでお会いしたhiroponzさんに「うちで働きませんか」と声をかけていただきました。

IT系の企業、しかもフルリモートの東京の会社で、雲の上みたいなすごい素敵な会社で、社員を大事にするカルチャーがすごい良い。

いや、無理でしょ就職できるわけがない、と思いましたが、ちょうどその頃、ジェーン・スーさんと堀井美香さんのOVER THE SUNを聴いていて「チャンスが目の前にあったら掴みに行く人でないと、仕事はその後もらえないし、先へは進めない」と言うような内容が流れてきました。

www.tbsradio.jp

もしその回を聞いていなかったら私は98%辞退していたと思います。でも聞いた後なので辞退する率が70%くらいになりました。そして残り30%に賭けました。

結果、就職できて現在に至ります。最初の数ヶ月は猛スピードで多くのことを覚えなきゃいけなくてへとへと、「脳が疲れる」感がすごかったです。しかし新しいチャレンジに少しずつ取り組ませてもらうようになりじわじわ自分の成長も感じております。

何より、一緒に仕事している人がみんないい人ってほんとうに素晴らしい…

すべてはtwitterのおかげです。

 

というわけで、1~4位は仕事関係の話。

 

5. 髪をブリーチ、インナーカラーした

小売業を辞めて一週間で「二度と小売業に戻らないよう、接客ができない髪型にしてやる!」と思って、やっちゃいました。

生涯初の、ブリーチ。そして、インナーカラー。色は赤です。

50歳越えてですよ。無茶な要望をかなえてくれる美容師さんに感謝。来年は一度金髪(っぽく)したいなと。

緑とか青にもしたいけどね。

なお、染めた後で2の大学事務補佐員になったんですが、大学なのでいいことにしました。ここは外見でどうのこうの言うような場所じゃない。(はず)

6. 肘折温泉に一人旅した

何年も前から一度行きたい行きたいと思っていた肘折温泉に、ひとり旅。
 
暑い中、電車とバスで時間をかけて到着した、やまあいの温泉街。独特の風情は最高でした。お湯がめちゃくちゃ暑くて大変でしたがさすが源泉近くってかんじでした。お蕎麦やさんとかカネヤマ酒店の角打ちとかカルデラ温泉館とか行きたいところがたくさんあるので、今度は2泊してゆっくりしたい。
折しも、先日ものすごい積雪となってニュースになりましたね。

7. 母が腰を痛めて要介護になった

これも実は1位にしたいぐらいの大きな出来事で、私の生活もがらっと変わったんですけどね。

秋田の実家で一人暮らししている母が、転びかけたのを機に動けなくなりました。とにかく痛い、なにをやっても痛い。家事、外出が不可能になり、もっとも症状が酷かった時は私と弟が面倒見ました。これはもう無理、と、私が関係各所に電話して、GWごろからもろもろ手続き等をい経て、母の要介護認定をしていただきました。

母も最初は「要介護認定なんていいよ」と言ってましたが、やっぱり一度福祉のお世話になっておいたほうがのちのちいいですもん。

そして、GWごろから、私は2週間に一回実家に帰って母の世話をしています。小売業のままだったら絶対無理。一部リモートワークも可能な大学事務補佐員だったから対応できました。

めちゃくちゃ金がかかりますが弟が出してくれてます。しかし私の週末は二回に一回は潰れることになります。だから自由になる週末は思い切り楽しむようにしてます。

8. 謎の腹痛に悩まされ3ヶ月苦しんだ

これ、本当に辛かったです。大学で勤務しはじめてしばらくして、2月くらいから5月ごろまで、右下腹が痛くて痛くてたまらなくなりました。痛い時と痛くない時がある。病院にも行ったが、盲腸でもなく、潰瘍の薬とブスコパンを渡された。そして下腹だけでなく胃や腹全体が痛い時もある。もうこれは病気だ。私の人生もここまでか。

4月に息子に会いに群馬に行きましたが、その時もせっかくレンタカーを借りて観光したのに、もう途中から痛くて痛くて運転が苦痛に。お昼もなにも食べられなくて現地の病院を探してかけこみました。でも異常なし。予約していた息子成人祝いの料理店もキャンセル。さんざんでした。

胃の内視鏡大腸内視鏡、両方やってもらいました。絶対なにか病気だと思ったんですよ。でも、なんともない。

潰瘍だと思って1ヶ月くらい禁酒したのに、潰瘍もないし悪いところもないってなんなんだよふざけんなよと思って以降痛かろうがなんだろうがビール飲みました。痛い時はブスコパン飲んでやりすごしているうちに治りました。いまでもたまに痛いけど。

なんだかわからん。まあ、多分原因は歳なんだと思います、50過ぎたら年に一個は体の不調が出てくるんでしょう、去年も手足がいたくてものを力入れて握れなくなり、整形で見てもらったけどその後ほっといたら治ったし。おそらく来年もどっか不調が出ます。そのうち年に一個が2個、3個、60ぐらいには10個ぐらいになってるのかな。

それより大腸内視鏡が本当に辛い体験でした。

この思い出はどっかに書こう。

9.くられ先生のイベントに行った

薬理凶室をご存じでしょうか。

www.cl20.jp

今年は動画を見まくって本も買いまくりましてすっかりはまりました。

www.youtube.com

なお本は有害図書に指定されるなど一部で話題となりました。

www.sansaibooks.co.jp

 

そんな中、仙台でくられ先生のトークショーが開催されると知って即申し込み。

honto.jp

これきっと若い人たくさんなんだろうな、場違いなんだろうなと思ったらおっさん世代の人もいてうれしかった。グッズ販売、書籍サイン会のお作法がわからずおどおどしてました。yasu先生にいつもtwitterみてますってご挨拶できてよかったです。生のくられ先生素敵でした。

10. バイクが長期にわたり不調、その原因は…

ある時から、バイクの電装系がおかしくなりました。キーを回してもライトやニュートラルランプがつきません。しかし何度かかちゃかちゃ回してると点きます。その瞬間を狙ってエンジンかけてました。

「高齢バイクにありがち。ハンドル切ったら電気ついたりしない?ためしてみて」とバイク屋さんに言われたのでやったら、たしかにハンドルを切るとついたりする。揺らしたりカクンってハンドル切ったりして点いた瞬間を狙ってエンジンかける、を繰り返しているうちに、点灯することがほとんどなくなってしまった。いよいよ入院を覚悟でバイク屋さんに持っていくと、なんと。

バッテリー端子部分のネジが緩かったのが原因でした…

なにがあったかというと、私がバッテリー充電器を買って、自分でバッテリー外して充電して、戻したんです。その時に、ネジがちゃんとはまってなくて、接触不良になっていたらしい。そういえば、不調が起きたのはバッテリー充電してからだ!

バイク屋さんに全部しっかりネジを締めてもらったら、嘘のように不調がなくなりました。その後、バッテリーだけでなくすべてのネジの締まりが悪かったことがわかりました。私、力なさすぎ。にしても、30年もバイク乗っててこんなの初めて体験しました。

 

 

そういうわけで、このブログを書き始めてから初めて経済的安定を手に入れたかもしれません。身も蓋もないですがやっぱり経済的安定を手に入れると精神が圧倒的に安定します。日々しみじみ幸せを感じて、そうするといろんなことが前向きに考えられてやりたいことや挑戦したいことが増えてきます。

ガソリンがないとね。エンジンふかせないんだよ。って前にも書いた気がするな。

ただ、いつまでこの幸せがつづくかわかんねーなという気持ちも相変わらず根底にあって、とはいえ小売業とかコンビニとかも私は経験してるから、何やっても生きていけるぞと思いますね。

来年はふるさと納税、したいなぁ。(今はまだ収入が低すぎてやっても意味ない)