仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

私は本当に困っている

困った。
本当に困った。

下品な話であるとお断りした上で。


腹が重い。
何度もトイレに行ってはトライする。だめだ。妊娠後期の地獄を思い出すほどの駄目っぷりだ。
出ない。


引っ越した。
二階建てから平屋になった。一日10回以上も往復していた階段がなくなった。
そして、トイレが洋式オンリーになった。


なんのことかわからないと思うので、私が1998年から公開しどこからもリンクされていない、このコンテンツを見ていただきたい。
和式トイレを保存しよう
そう、私はずっと和式派なのだ。
ていうか、和式でないと、すっきり出ないんだよぉおおおおおおおおお!


前述のサイトの後ろの方に、ちまちまと追記してきたが、自宅が洋式だった期間も、どこかに行けば和式があったから、困らなかった。駅、学校、公共施設。そういうところにおいて、ほとんど誰も来ない長居できる和式トイレを見つけ出すのは一種の私の得意技でもあった。ぼろくて薄暗くて人が近寄らないようなところに行けば確実にあった。


そして、この4月から。
はじめて、身近に気軽に行ける和式トイレがない生活を余儀なくされている。
震災を経たのもあるだろう。
公共の場での和式トイレはほぼ、撲滅された。
薄暗い「確実にありそう」なところでも、そこだけ綺麗な洋式トイレになってしまった。


それでも、私は、舐めていた。
私も十分大人だし、ここ数年調子が良かったので、洋式でもスルーっといけるでしょと思ってたのだ。ところが。
階段昇降がなくなり運動量が極端に減った私の腸は、スルーどころか拒みはじめた。
思い込みかと思って、トライする。
だめだ。力が全然入らない。あの感覚が、ない。


私は気づいた。あの調子のいい日々は、階段があったからこそだと。
そして、いつでも駆け込める和式トイレが自宅にデンと構えていた、安心感があったからだ、と。困ったときはいつでもおいで。僕が受け止めてあげるよ。
失ったものが、こんなに大きかったなんて。
そしておそらく、二度と手に入らない。お金持ちになって自分で家でも建てない限り。和式トイレなんて、誰も保存してくれないんだから。


1998年に「和式トイレを保存しよう」を書いた時からさらに、和式トイレ嫌いの人は増えたろう。こんな文章を書いた私は、笑いもの以外の何者でもないだろう。
でも、切実なんです。


こういうことを書くと、便秘にはこれが聞くわよ!と、おせっかいが大量発生すると思われるので、あらかじめ申し上げておきますと。
物心ついた時から便秘です。母親から拷問のように数々の便秘対策をほどこされ(スイマグ、浣◯、クロレラ、マッサージ、灸、玄米食、なんたら酵母、ヨーグルト)、それでも出なくて怒られました。「ここ便が溜まっている!」と下腹を掴まれ怒られた。屈辱だった。屈辱でも出ないものは出ない。幼い私は得意の絵で母親から哀れんでもらおうとした。いまでも覚えてる。「でないよ〜」と困っているかわいそうな自分の自画像を。
大人になってからは便秘薬依存に苦しんだ。漢方なので優しく習慣になりません、って書いてたのに嘘つき。食物繊維たっぷりの食事も作ってみた。でも駄目。水分が足りないと聞いてたくさん水を飲んだが、トイレがもともと近い私のトイレの回数がさらに増えただけでウンともすんともいわなかった。
そういうわけで、便秘対策はぷろへっしょなるです。たいていのは「やったことある」です。
えへん。(威張るな)


いっそのこと、おそらく私以外誰も必要としない仙台和式トイレマップでも作ろうかと思いつつ、ああ、腹が重い。
重いので愚痴でした。
すみません。


夫や息子はスルーな人生だ。しかも息子など両親の教育の賜物で和洋ハイブリッドスルー能力の持ち主だ*1
2人して私を馬鹿にするのだ。
あざ笑うがいい。昭和の残党の私を。
このまま、ふんづまり(母が私を称してよくそう言った。今思うと酷い)のまま、朽ち果てていくのだ。

*1:保存しようのサイトで「野グ◯のできる子供にしたい」と書きましたがそれも既にクリアーしてます。