仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

死ぬかと思った雪中バイク

バカである。

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酒好きが何かと理由を探して飲むように。ランニング好きが隙間時間も走るように。この寒く雪も降る季節に「乗れる」と思ってバイクで出勤した。そこから間違いだった。

 

2020年の暮れも押し迫った夕方に死ぬかと思ったので書いておく。いや死にはしないだろうけど怖かった、まじ怖かった。

 

12/30。その日の路面は乾いていたし気温の予想も高めだった。私は仕事へ向かう嫌な気持ちを少しでも楽にしたくて、そして物理的な体の負担も減らしたくて、所要時間の短いバイクでの出勤を選んだ。所要時間はせいぜい15分。冬用防寒ウェアを着込めば歩くより寒くない。

朝の青葉通一番町駅地下駐輪場は利用者が少なかった。私は「仙台市民はヘタレだから冬バイクに乗らないんだよね。私なんて車ないから年中乗っちゃうよ。気合が違うよ」などと内心うそぶきながら駐輪し防寒具を脱いで出勤した。

 

どうやら雪が降ってきたらしい、と、勤務中に気づいた。

17時に退勤。もさもさと降ってくる雪。すこしだけみぞれ雪が積もった道路を見て一瞬「バイク置いて帰ろうか」と思った。しかしこの後の天気予報は厳しい雪と冷え込みを伝えている。最悪、再度バイクを動かせるのは5日くらい後になってしまう。歳を越してしまう。駐車料金が5日分かかってしまう!100*5=500(回数券なので)。

息子にLINEで聞いてみた。「そっちは雪積もってる?」返事が来た。「積もっているってほどじゃない。びちゃびちゃ系」凍ってないなら、大丈夫だ。私は500円が惜しくて乗って帰ることにした。息子からは「くれぐれも安全運転で、やばそうなら押してきてください」と。おいおい簡単に言うなよ。雪の中押すぐらいだったら置いて帰るっての。

バイクに乗らない人は押すことがどれだけ大変か知らないよな。そう、息子はバイクに乗る人じゃないのだ。バイクに乗らない人の判断に頼ってしまったことを、私は10分後に激しく後悔する。

ヘルメットに付着する雪を時折グローブで払いのけながら、安全運転で走った。しかし青葉通りを抜け広瀬川を渡るころから、様子が変わる。路面が白くなっていった。

私は忘れていた。さっきのLINEから時間が経過していることを。そして時間が経てば雪は積もる。当たり前だ。

さらに。私の自宅は少し山の方にある。そちらに近づくと、気候が違うのではと思うくらい、気温も下がるし、雲も増えるのだ。

ゆっくり目に広瀬川にかかる橋を渡り、交差点は白線で滑らないよう細心の注意を払って曲がった。まだ、走れると思った。

ところが。家の近くまであと数百メートルという頃。どんどん積もった湿り気のある雪は、完全にタイヤの溝を埋めていった。ある交差点で、

「ゆるゆるゆる~っ」

と、後輪がふらついた感じがした。滑った!転ぶ!?

背中に一気に冷汗が流れた。

やばい。

なんとかもちこたえ、少し走って、止まった。全身ガクガク震えた。

エンジンを止めてサイドスタンドをかけて、バイクを降りて周囲を見渡した。

雪は5cmくらい積もっていた。なんてこった、わずかの時間でこんなになるなんて。こんな中走ったことないよ!転ぶの前提の林道の中なら雪の中連れて行かれたことがあるが、あれはなんかあったら助けてもらえる体制ができていた。ひとりでアスファルトの公道を走るのとわけが違う。

この後の自宅までの道のりを思い描いて、愕然とした。S字カーブを伴う、かなり急な下り坂。しかも幅3メートルもなく、一方通行ではない。前後から車が来る可能性のある中、バイクを持っていけるのか?!

あの坂を行ったら、確実に滑る。乗っても押しても止まっても滑る。エンジンかけていなくても、バイクが重力につられて、すべるにきまってる。

無事に通り抜ける自信がまったくなかった。

悩んでいる間にも、雪はもっさもっさと降り続いて道を覆う。

そこでバイクを路肩に駐め、レスキューでもなんでも呼べばよかった。 鍵かけて放置でも仕方なかっただろう。でもそんなことしたら盗まれるし、そこは狭いのにバスも通る道だ。甚だ迷惑だ。

なんとかバイクは持って帰ろう。押しても、家までは。私はまたも判断を誤った。

 

ふたたびエンジンをかけ、ゆっくりと路肩を走った。そして恐怖のS字の坂に来た。恐怖で固まって動けなくなった。だめだ。坂の途中でまたエンジンを止めた。サイドスタンドをかけたが、その状態でも転ばしそうだ。雪がどんどん積もる。前に通った車のわだちすら白い。だめだ、ここにバイクを置く?無理、まったく路肩に余裕がない。ひとの土地に置くわけにいかない。

押そう。バイクを降りクラッチを入れ、すこしずつ押した。足が滑ったら終わりだ。ゆっくり押して下りた。

あんのじょう、クラッチ入っていても、タイヤはどんどん横滑りしていった。このまま加速していったらバイクはがっしゃんと横に流れてしまう!

私がハンドルを握っているのはもうバイクではなかった。ただの、橇だ。押しているわけでなく、ただ、滑って、落下していった。

速度が増した。駆け足になった。雪の中、バイクと私は一体となりズルズルと…

 

途中のことはよく覚えていない。おそらく1分もない時間が経ち気がついたら、坂の下にたどりついていた。どうやら私は無事坂をバイクを転ばすことなく降りることができたようだ。

震えながらバイクに跨りエンジンをかけた。すっかり雪に埋もれた家までの道を、ゆっくり低速で走った。最後に家の前にバイクを移動するのにも非常に苦労した。段差を乗り越えるスロープが金属で、スリップしそうだった。

またもどうやったか覚えてないけど、私はなんとか家の横に駐輪することができた。

死ぬかと思った。

いや、死にはしないけど、ほんとに、ほんとに怖かった。

 

あの坂から自宅まで、車が一切来なかったのが本当に奇跡だった。

バイク歴30年、私は立ちゴケも走りゴケも未経験だ。事故ったこともない。怖い思いを私はちゃんとしていないがために、こんな無理をしてしまった。

歳を取ると経験を重ねて慎重になるというが、「大丈夫」という経験を重ねてしまうと、むしろ無理をしてしまう。

そこで、大丈夫だとおもってなんかやってしまって、じじいやババアは命を落としてしまうのだろうなあ。いやそれならまだいい、他人の命を奪ってしまったら。

気をつければいいってもんじゃないのだ。

 

不思議なことにこんな経験をしても「もうバイクには乗らねえ」という気には一切ならない。だって生活手段だもんなあ。

老人が免許を返納しないのも、車がない生活が選択肢にないからだろう。

 

息子には「かーちゃんは絶対バイクで死ぬ」と言われているが、死ぬならいいけど(良くないが)重い後遺症を負って息子にフル介護の負担がかかる可能性はとても高い。

改めて、自分の中の「歳食ったが故の無謀さ」が存在することを実感した。

ああ、怖かった。

 

2020年の十大ニュース

おわっ。2020年が終わってしまった。毎年恒例の十大ニュースが書けませんでした。

しかし「書かなくては」と思い続けて、結局ぜんっぜん余裕がなくて書けなかったのです。

 

去年はこういう年でした。

 

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さて。今年は。息子の大学進学を機に人生変えようと思っていて迷走中です、もちろんコロナの影響もあります。

1. 仕事を始めた(パートだけど)

2. 就職活動を3月~10月に渡ってして「なんの成果も得られませんでした」

3. コンビニのアルバイトを辞めた 

このへんまとめて「どーん」という変化でした。時系列でいくと、3→2→1なんだけど。だから1月から10月のできごとなのでほぼ1年にわたって苦しんだ件ですね。

まともにお金を稼ぐ人になろう、と思った。言い方を変えれば必要に迫られた。まずはまともにお金を稼げないコンビニのアルバイトを辞めました。5年も続いたし、思い入れもたくさんある。嫌な思いより楽しいことばかり思い出す。

そして就活を始めた。ハローワーク、情報誌、ネット、アプリ、いろいろな方向から応募し、20社くらい成果は得られず。

50歳になってしまったのを機に、「もう正社員は無理だろう」と正社員のアプローチをやめ、「なんでもいい、ただ、ちょっとでも時給が高いパートで少しでもたくさん働きたい」と探し始めたところ、見つかったのが今の勤務先。業種は小売業です。

目指せ月収18万!から目指せ月収17万!になり、結果的に今月収13万。まじかよすくねえって感じなんですけど。

実際働きはじめてどうなんだという話は、すごくすごくすごく語りたいんですけど守秘義務もあるしまた別の機会に。 一言だけ言っておくと、いいこともあればわるいこともあります。

4. 3月、死ぬかと思うくらい大変な時期を過ごした。

この時の大変さは生涯の中で1,2を争うだろう。

私、人生で辛いことがあったら「あの大学の非常勤をやった時期の辛さに比べたら!」って思うようにしてるんですけど。

あ、よかったらこの渾身のブログシリーズも見てくだせえ。

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…この頃の辛さを超えました。

死ぬかと思った、3月は。

まあ詳しくはこのブログに書きましたので。

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一つだけ言っておきます。

大学受験生の母はまじでつらい。他にイベントや新しいことに着手するのはやめたほうがいい!!!!!!!

(まあ前期一発合格ならこんな苦労はしないのだがねみなさんがんばってくださいほんとあははははははは、思い出しても胃が痛い) 

5. ビール活動引き続き

2019年の冬に知り合った仙台のビールコミュニティの方々と交流が広がり、楽しいビールライフを送ることができています。

6. 息子が受験

詳しくは4を参照のこと。

といっても受験がすべて仙台で済んだのはよかったですねぇ。

7. 息子が高校卒業して大学生に

他県にアパートを借りてがんばって一人暮らしをしていましたが、今は仙台におります。 リモート授業だからね。

8. コロナ

息子はオンライン授業、夫は在宅勤務。

そういうわけで家にいつも3人いることになり。つらい。

私は布団で眠ることができなくなりました。(説明はめんどくさいので会えた人にだけ話しますが、もう半年ほど布団で寝ていません) 

 

オンライン授業については、その前から一人暮らししていた息子とzoomで定例ミーティングしていたり、そもそも息子がゲームでPC慣れしているのもあって、おそらく一般の学生さんよりずっと適応が早かったようです。

息子は対面授業よりずっといいって言ってました。いわゆる飲み会やサークルなどのキャンパスライフには元からあまり興味がなかったみたいなので。

9. MacをやめてWindowsにした

1~3に関連するんですけど。私、ずーーーーっとMacだったんです。Adobeソフトを使いまくり、グラフィックソフトを使いまくり、プログラミングとかいろいろ仕事はすべてMac。血となり肉となりMac使いとなっていたんです。

でも、ふつうに仕事するなら、Windowsじゃないとお話にならない。ふつうの会社は98%Macじゃないですか。

求人票に書いているんです。「Word、Excelの基本的な機能が使える」(中にはsumが使えること、とか書いてある。それ、スキルだったのか)

私、Google のdocやspreadsheetは普通に使ってますよ。でも世間で求められているのはマイクロソフト謹製のOffice。そんで購入しましたよ。Macに入れてみた。

そうしたら、フリーズしてぜんっぜん使い物にならない。固まる、遅い、だめ。

そもそも今のMacってソフマップで買った中古のMacbookAirです。そろそろ限界かもなと思っていた。

さて、困った。ふつうに仕事するならWindows。またプログラミングやグラフィック関連の仕事するならMacの新しいやつ。もちろん高い。この腰痛を抱えて、デスクワーク必須の後者の仕事を探すのか。いや、それより50歳未経験ババアなら、一般に普及しているWindowsを使えるほうがいいんじゃないのか。

結局Lenovoを買いました。

当初はもちろんめちゃくちゃ戸惑いました。バーチャルデスクトップの背景が変えられないのが嫌、とか。あと英字→かな入力の切り替えがいつのまにかALT+半角全角でなく、半角全角だけになっていたとか。

やがて、慣れました。だって結局、ほとんどがブラウザベースなんで、Chromeさえ入れればあんまかんけいない。

今や、違和感なく使っています。

そしてOfficeの勉強のために本も買ったんだけど、勉強は途中で止まっておるな。

10.日商簿記3級受かった

その頃やっていた(今もやっているが)仕事で、簿記の知識が必須だなと思ったので、受験しました。仕事にも生かせて、とても面白かった。

成績は満点を狙ったんですが…当日ちょっと迷った部分があって、はたと間違いに気づき、手がふるえながら、電卓もうまく叩けず(簿記は電卓を使わなければならないのです)字も書けないぐらい慌てながら、答えを直したところがあって、それが結果的に正解で、1問だけロスしたという驚異的な成績で終わって、ほんと良かったです。

で、3級の合格が見えたところで「よし、次は2級だ」って、テキストをメルカリで買って2級目指して勉強始めたんです。そもそも就職の役に立つのは2級以降。

よし!やるぞ!と思ったんです…が…。

就活の過程で、やる気を亡くしました。

やっぱ経理って全然興味が持てないんだよね…正直、楽しくない。

3級の時は面白かったけど、なんだろ、めんどくさくなりすぎるとダメなんですかね、私。

 

さて、来年こそは、笑って迎えたいですね。(と、もう何年も言っている気がする)

粉ふるいを分解して洗ってみた/人の記憶が簡単に変わること

粉ふるいという調理器具がある。ホームシフターとかいう名前で売ってる。中に粉を入れて持ち手のレバーを「かしゃかしゃ」とすると、ふるうことができる。お菓子作りをする人には必須のアイテムだ。購入して18年くらいになる。

私はお菓子作りが好きなので愛用してきたが、最近、どうも持ち手の「かしゃかしゃ」がスムーズに行かず、引っかかるようになってきた。しかもふるって出てくる粉の量が少ない。詰まっているみたいだ。横から手でパンパンたたいて落としながらようやく使っている。

よく見ると、ふるいのネット部分は着色し、汚れもこびりついているようだ。パーツが接する部分に錆のような茶色いものも見える。
多少の汚れは気にしない私だが、錆は、まずいなぁ。
それにうまく使えないのはストレスだ。時間もかかるし。
捨てて新しいのを買うか?

手にもって思案し、ゴミ箱に放り込む直前で、思い直した。長年の汚れを綺麗にするくらい、試してみてもいいんじゃないか。
小麦粉をふるう時しか使っていないから、タンパク質を分解できる洗剤かなんかにつけて、汚れをうるかして(※通じない人はググってください)みるか。分解もできそうだし。

ただの洗剤よりはアルカリ性がよさそうだ。
そういえばプロは粉ふるいをどうやって手入れしているんだろう?
そうだ、まずは粉ふるいの洗い方を検索してみよう。
検索してみた。

 

「粉ふるいは、洗っちゃだめ!」

衝撃の事実。
粉ふるいは洗ってはいけないという検索結果がずらりと出てきた。

がーん。
知らなかったよそんなの!
いままで、使い終わったら水中でがしゃがしゃ動かして、じゃーっと水を浴びせて、乾かしていたよお。

なんだよー、洗っちゃダメなのかよ。
でも納得できないなぁ。汚れるじゃん。汚いじゃん。
しかしもう遅い。18年間洗い続けていた事実は変えようがない。

実際にしっかり汚れはついているし。綺麗にしてみよう。失敗したら買い替えるということで。
粉ふるいの下部のピンを外すと、バラバラに分解できた。ほほうこうなっているのか。シンプルな構造だから組み立ても簡単だろう。そして洗剤を溶かした液を作って、バラバラになった粉ふるいを浸し、一晩うるかした。

 

翌日。
うるかした洗剤液はやや濁り、無数の茶色の粒が浮いている。温泉みたいだ。いや、汚れが落ちているぞ。
要らない歯ブラシでパーツをこすると、つるりと汚れが落ちる。いける!
すごい!綺麗におちることおちること。
錆だと思っていたところは、全部汚れだった。全然劣化していなかった。
ぴかぴかになった!

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うわー新品同様だ、やってみるもんだなぁ。それぞれのパーツを手に取り、うっとりと眺めた。
ふきんに並べて乾燥させた。ブログのネタにしようと思って写真も撮った。
乾いたので組み立てようと思ったが、そこで「ネットで既に誰かが分解整備しているに違いない」と気づき、検索した。

あった。
私のと同じ粉ふるいだ!

ameblo.jp

全粒粉?何度もふるってるけど気にしたことなかったなぁ。

で、手元の粉ふるいを組み立てにかかる。

…構造が簡単だから…あ、あれ?どういう順番だっけ!?

焦った。

ネット2枚、回転する羽2枚、動力伝達の棒、回転するパーツ、軸、ピン、小さなワッシャー(?)。

ええーとお。思い出そうとしたが無駄だったので、先に紹介したブログに全面的にお世話になることにした。

 

…しかしここからが苦悩の道だった。

ハンドルから針金状の棒が内部に来て、白いパーツに前後の動きを伝えてそれが回転する。その部分を、なかなかうまくはめることができない!内部は狭いから、ピンセットや指先を駆使するがなんども外れる。
ううなんだこれ。難しい。泣きたくなった。
苦労の末ようやく二枚目の羽とネットを重ねるところまで来て、はた、と気づいた。

軸がない。全体のパーツを留める軸がない。

 

あれ。
さっき手にもって眺めたよ。私、はぶらしで洗って、このふきんの上で乾かしたのに。
そのビジュアルが鮮明に目に浮かぶ。
おかしい。

慌ててテーブルの上を探す。
落としたな!そのへんに。

ない。
隣の部屋に行った?
ごみと一緒に捨てた?
バッグの中に入り込んだ?
椅子をずらし、床のクッションをはがし、掃除機を導入し、狭いところも探し、

ない。

椅子の座面の隙間。
服のポケット。
戸のすきま。

ない。

あああ。
一体。どこにいってしまったんだ。
おちつけ。

またも床を這いつくばった。
30分も探したろうか。
ああ、ここに監視カメラがあったらいいのに。パーツをどこかへやってしまった瞬間が写っていて、すぐ見つかるはずだ。
人間のログが欲しい。

ため息をついて、諦めた。
一旦、やめよう。他のことをしよう。そのうち思いがけないところから出てくるかもしれない。
さらにパーツをなくさないよう、袋に入れてしまっておこう。
私はビニール袋を用意して粉ふるいのパーツをしまい始めた。

 

と、そこに息子がやってきた。
ものをなくしたときは、自分以外が探すとすぐに見つかることがある。私は息子に話しかけた。
「息子よ、かくかくしかじかで、部品を一つ見失ってしまったんだ」
「なくしたの」と、息子。
「たしかに、洗い終わった時はあったんだよ、ほら、写真に」
先ほど撮った、パーツを並べた写真をスマホに表示して、息子に見せ…

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…ない。
スマホの写真を見て、私は目を疑った。
ふきんに並べたパーツに、軸が写ってない。
あれ?
洗い終わった時点でなかった!?

まさか。
私は流しに直行した。

そして、洗い桶に沈んでいる小さな軸を見つけたのだった。

ショックだった。軸が見つかったのはほっとした。
だけど、完全に記憶が作り替えられていたのがショックだった。


私はその軸を手に取って眺めたと思っていた。細かい汚れが落ちたなと思いながら。でもそれは軸ではなく回転するパーツの記憶だった。手につかんだ感触まであったのに、それも違った。
なんだなんだなにが起きた。

人間の認識ってこんなにもろくて簡単に書き換わってしまうのか。たかが「あるはず」という思い込みで。
「確かに見た、あった、触った」
という感覚が、まったく事実ではなかった。
こんなことってあるんだあ…
認知症や薬などで幻聴や幻覚、せん妄が現れるというけど、こんなに簡単に自分に同じようなことが起きてしまうんだ。
老化、だろうな、と認めたくないが自覚した。(ストレスもあるだろうけど)


気持ちを切り替えて組み立てを再開した。そしてそこからがまた大変だった。
探しているときにばらしたので、粉ふるいは最初から組みなおし。
これが、本当に本当に大変で。
先のブログの人も小一時間格闘したという、持ち手部分が全然うまくはまらず。
そして各パーツを重ねて重ねて、軸がうまく刺さるようにするのが本当に難しい。
ちょっとした衝撃ですべてが無になる。

ようやく、軸を差して、小さなピンで留めたときは心から安堵して、大きな大きなため息が出た。
そして思った。
なんか作業する時、写真って、撮っておくもんですね。

かしゃかしゃとハンドルを握ってみる。
以前のひっかかりはなくなって、スムーズに動くようになった。
めでたしめでたし。

 

というわけで、粉ふるいは洗っちゃだめらしいのですが、既に洗って何十年も使ってしまった私のような人のために、この記事が参考になれば嬉しいです。でも分解掃除は自己責任でね!あと細かいパーツをなくさないように十分ご注意ください。

「発酵野郎! ー世界一のビールを野生酵母でつくるー」鈴木成宗

 

 

ビール検定を受けるうくらいビールが好きだ。

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そもそも私が本格的にクラフトビールに目覚めるきっかけとなったのが、伊勢角屋麦酒のNEKO NIHIKIというビール。

飲んだ瞬間「めちゃくちゃおいしいー!」と心底感激した。その後飲み歩き買いまくるきっかけとなった。そのビールを作った会社の社長さんがこの本の著者の鈴木さんだ。

www.biyagura.jp

 

この本はずっと買いたかった。たまった楽天ポイントでようやく買ったわ…

なお私は本は図書館で借りることがほとんどなんだけど「発酵野郎!」はいっこうに仙台市図書館に入らない。けしからん。

 

鈴木さんは東北大学農学部出身とのことでなんか嬉しい。とんぺーの農学部出身の人って変人で楽しい人が多いので、きっと鈴木さんもそんな人だろうと思って読んだ。

いやーーーーー。期待に違わず面白くてへんな人だった。

伊勢角屋麦酒といえばクラフトビール好きなら絶対知っている会社だけど、その会社がこんな成り立ちでビールを作ることになったなんて知らなかった。

鈴木さんは酵母と戯れたくてビール造りを始めた。バリバリの野心家っぽいギラギラしたかんじが全然ない。

酵母がかわいい」って、ビール好きや研究者がよく言う。私は実物を見たことがないのでわからないけど、本当にかわいいんだろうなぁ。

 

この本にビールで世界一になったクラフトビール会社の社長の成功譚を期待するならちょっと違う。研究者っぽいユーモアとオタクっぽさが炸裂して、ビールにまつわる様々な知識が楽しく手に入れられる、「へぇー!そうなんだ!」の連続だ。科学読み物を楽しめる人におすすめしたい。

(だから正直、帯の推薦がちょっと嫌)

読めばビールが飲みたくなるし、手に入れた知識を語りたくなるし、楽しい気分になれるし、酵母がいとおしくなる。

 

鈴木さん、古巣の仙台に来て講演してくれないだろうか…

「だから、もう眠らせてほしい 安楽死と緩和ケアをめぐる、私たちの物語」西智弘

これもまた死に関する本で、なんでこんなに死を身近に感じたいのか、おそらく私が生きる現実が厳しすぎて逃避したいからだろう。

やれやれ、だ。

どんなに逃げたくても私は相変わらずだ。

 noteで課金して読んでいた連載に追加もされて本となった。出版されたばかりの本だったけど、仙台市図書館でキーワードアラートに登録していたので、すぐ読むことができた。

この本の出版は、名取の医師が関わった嘱託殺人事件の少し前。SNS安楽死を認めるべきか否かという投稿も飛び交っていて、そのあとこの本を読んで、前にも読んだことがあるけど改めてまとめて読んで、深く考えさせられた。

ガン患者の2人が登場する。まだ若く、結婚しているという共通点はあるものの、二人の考え方はまったく違う。さらに現在ガンで闘病中の写真家の幡野広志さん、長年安楽死について取材し著書もある宮下洋一さん、依存症の専門家松本俊彦先生、みんなそれぞれ自分の見てきたこと、体験してきたことから、考えることがまったく違う。でもそれぞれの立場からの意見は、ぜんぶ「なるほど」と思えることで、なるほどやっぱり簡単に結論の出る話じゃないんだなぁと思った。

良く知らなかった緩和ケアについて知ることができたのは良かった。こういう医療があると知ると、安心する。死ぬときはもれなくひどく苦しいんだろうなと思っていたので。

それでも、患者の一人の吉田さん(仮名)の様子は苦しそうで読んでて辛かった。やっぱり辛い描写を読むと「そこまでして生きなきゃいけないの?」と思ってしまう。

月並みな言葉なのが悔しいが生きるってどういうことなんだろうと考える。どういう状態で生きていたら、生きていたい、明日が来てもいいって思い続けられるんだろう。

読み終わっても答えは出ないが引き続き考えなければいけないのでもっとこの分野の本を読みたい。 

「平場の月」朝倉かすみ

 

平場の月

平場の月

 

50過ぎた男女のセカチューみたいな話を書きたいと著者が語っていたのでそうなんだろう。

これも人が死ぬ話。なんで読む気になったかというと、押し入れに敷いている昔の新聞紙にこの本の広告が出ていたのでちょっと気になっていたのと、朝日新聞の土曜日のbeのエッセイ「作家の口福」で著者が食べることについて書いていて、どうもたくさん食べる人らしく、親近感がわいたから。

映画化が決定?という情報も見かけたけど、コロナで延期になっちゃったっぽい。

須藤(女性)の喋り方のドライな感じが私みたいで好き。私もガンだったらどうしようと思って健康診断に追加料金も払って大腸がん健診もしてもらった。結果は問題なかったけど。いずれ私もこんな感じで突然ガンになって死ぬんだろうなと、この本読んだときも思った。

 

ふつうの、人が死にました小説と違うのは、主人公達がいろいろ背負った中年男女というところ。

因果応報、という言葉が出てくる。これがすごく怖くて恐ろしい。病気なんて誰にでも分け隔てなく降ってくるものだし、若い人なら「なんでこんなことに」と言える。でも、年を食ってそうなると、それまで蓄積してきた行いから勝手に理由をえり好みされて、

「ああ、なるほどね。そういうことをしたからそうなるのね」

と、理由付けされてしまうのだ。

人は理不尽が嫌いで、なんとかして納得したい。だってなにか理由がないと、自分だっていつ死ぬかわからないという恐怖と戦わなきゃいけないから。「あのひとはああいうことをするから、病気になるのよ、因果応報なのよ」そう言って安心して、それで噂話のネタとなる。いやだなぁ、ほんとうに。

そしておそらくその自動思考が私自身にもしみついているのが怖い。

「因果応報」と言われることに一つも思い当たらないほど潔白な人は、50くらいになるといないんではないかと思う。だから我々、悪いことした報いだなあとことあるごとに思って日々を送っている。

人が死んでしまう悲しい話だけど、不思議と「これは泣くわー」という重苦しさはない。あまり苦しんだり悲しんだりする描写がしめっぽく書かれていないからか。

誰かが誰かを確実に愛した記憶というのは、美しい。 それでも、因果応報と言われたまま死んでしまった悲しさを、どうかキラキラしていない飾らない描写で映画にしてほしい。

 

「兄の終い」村井理子 

httpsに切り替えたところ、Facebookのシェアがゼロにリセットされてしまった。

まあ、べつにいい。

 

けっこういろいろ本を読んだ気がする。たまっているのでじっくりブログにする余裕がなく、さらっと紹介エントリを続けてみようと思う。

「兄の終い」村井理子 

兄の終い

兄の終い

 

多賀城が出てくる。ドイのケーキが出てくる。 コーヒーロール、おいしいよ。

www.f-doi.com

 

村井さんのお兄さんが五十台半ばで突然死んでしまった。

冒頭のその描写でもう、強烈に「これは私だ!」と思ったね。

私もあと少ししたら、50半ばになったら私も死ぬんだろうな。強烈な予感を覚えて立ち読みしてて全身が震えた。

手に職を付けたくて、たくさん資格も取ったのに、50過ぎるともうどこも雇ってくれなくなる。ちょっと勘弁してほしいわ、リアルすぎる、今の私がそんなかんじなんだから。

お金に困り、きょうだいに金の無心をして、関係が悪化して、体調も悪化して、家庭も失って、友人も少なく、さらに就職しづらくなる無限ループ。縁もゆかりもない多賀城のアパートに居を定め、生活保護をもらって、やっと職を得たとたん死んでしまう。あー、私もそうなるだろうな。人生なんてそんなもんだろう。

著者と元奥さんの加奈子さんとの勢いに溢れた「終い」にまつわる作業の様子が描かれ(表紙の絵や中のイラストの、手足を振り回して走ってるような様子がまさにその通り)、加奈子さんがとても気持ちのいいひとで好きだ。この人は離婚するにあたっていろいろな決意を、困難を乗り越えて、そうなっていったんだな。私もできればそっち側になって強く生きたい。でもどうしてもお兄さん側なんじゃないかと思ってしまう。

生き残る側はどこまでも逞しい。悲しいけれど、頭に来るけど、明日はどうなるか分からなくなるけど、そのつらさも生きる側の特権。

このお兄さんにはまだ小学生の息子さんがいて、亡くなっていたのを発見したのもその息子さん。あまりに過酷な現実に直面してしまった少し心を閉ざし気味の息子さんが、これから新しい生活で、本当の自分を取り戻してくれたらなと願う。

私だったらもう息子も大きいし、友人もいないから「あ、そうですか」で済むだろう。