銭湯に入りたかった私はなにやら天から罰を受けたようだ
今朝は銭湯に行きたかった。行くぞ、そのために朝からカップラーメンを買った。
夕飯をこれで済ますためだ。料理だのなんだのしているとあっというまに時間が遅くなる。だから仕事して、カップラーメン食べて。またちょっと調べものしたらちょうどいい時間になると思ったのだ。
準備万端、夕飯にはカップラーメンを食べた。
しかし、今日は午後に天気が急に変わって、不安定な雨模様に。
私が銭湯にいく交通手段はバイクだ。ツーリングだったら覚悟を決めてカッパを着るが、湯上りにカッパはあまり着たくない。風呂に入っている間濡れたカッパを置く場所もないし。
どうしよう。
きょうはやめようか。
でも。逡巡しているうちに雨が小降りになった。
今だ!
銭湯道具を袋につっこみ、水筒に冷たいお茶を入れた。湯上りに無駄にお金を使わないためだ。
バイクで走り出してすぐ、スマホを忘れたことに気づいた。しかし銭湯に行くのにスマホは必要ない。
途中ちょっと降られたが、ほとんど濡れることなく銭湯についた。
意気揚々と銭湯の玄関の自動ドアを抜け「こんばんは!」と常連っぽく挨拶したところで、ふと不安になってリュックを開けた。
そうしたら。
財布がない。
えっ。
リュックはモバイルバッテリーとお薬手帳、クレジットカードと電子マネーのカードしか入ってなかった。
銭湯セットの入ったバッグもひっくり返した。こちらにも、ない。
「お財布忘れちゃいました!」
気まずいので番台に声をかけて、バイク置き場に戻り、再度確認。
やっぱり、ない。なんてこった。うそー。
ここの銭湯はもちろんカード払いにも電子マネーにも対応していない。
どんよりと雨雲が立ち込める夜の空を仰いだ。どうしよう。
クレジットカードのキャッシングが使える…でも金利が高すぎる。銭湯のためにキャッシングは、ちょっと。
カードが使える別のスーパー銭湯にいく?いや、遠い。ぜんぶ30分くらいかかる。天気が不安定な状態で遠くにバイクで行きたくない。
家に戻って財布を持ってまた来る?だめだ間に合わない。その頃は銭湯の閉店時間だ…
詰んだ。
帰ろう、今夜は銭湯は無理だ。
ちきしょう。
カップラーメンまで用意したのに。
なんで財布を忘れるんだ、今日に限って。雨で判断を迷っているときに気持ちの隙ができたか。
バイクで家に向かうと、小雨になった。
交差点では車に幅寄せされた。
泣きたい気持ちで泣いてはいないがヘルメットのシールドに雨粒が付き、どんどん視界が悪くなってきた。
泣きっ面に蜂、リストラ女に雨。
カッパを着るタイミングを逸して全身やや湿った状態で自宅に着いた。
あーあ、自分の愚かさに本当に悲しくなる。
明日にでもクマに食われてしまいたい。
自宅のボロアパートに着いてみると、財布とスマホは台所の流しの脇に一緒にあった。
そうだ、水筒を用意したときに、ここに置いたんだ。
はあー。
あのとき、スマホを忘れたと気づいたときに家に戻っていたら!スマホと同時に財布を発見しただろう。
あの場所からだったら3分もかからず戻れたのに。
私が銭湯に行きたい理由は、広いお風呂に手足を伸ばして入りたいのももちろんだが、自宅の風呂がしょぼすぎるのだ。
バランス釜で水圧が低く、用意を始めて入れるまでに夏は1時間、冬は2時間以上かかる。もちろん風呂場全体も古くて狭い。
だからバイクで20分で銭湯に行けるならそっちに惹かれてしまうのだ。
あーあ。
私、何か悪いことしたかなぁ。したんだろうな。
思い当たることばかりだ。
どうも私は詰めが甘い。そして銭湯への熱意が足りない。
財布を忘れない、だけではなく、思い立ったらすぐ銭湯に行けるように常に用意しておくべきでは。
もうバイクのコンテナボックスに常にお風呂セット入れちゃおう。銭湯代も入れとこう。
いつか、まともなお風呂のついたアパートかマンションに住みたい、と思っていた。先月までは引っ越してもいいかな、なんて思ったりもしてた。
でも、それは当分無理のようだ。
生活コストをさらに下げて、銭湯代を捻出しよう。
さて、今夜はシャワーで我慢して、湯上りに買っておいたアイス食べますかね。
山形蔵王、温泉とビールのバスの旅
明日の湯は走って行ける温泉だった
前から思ってました。走るようになってから、意外と二本足で行けるところって広いぞ。15キロくらいまでなら行ける。
ならば、大好きなあの温泉に行ってみよう。
その温泉とは、「明日の湯(あすのゆ)」。仙台市郊外にある知る人ぞ知る温泉だ。もちろん秋保作並みたいな観光地ではない。まわりに何もない。
公式ホームページなどというしゃれたものは存在しないからググって下さい。
ここは、お湯が良い!
温度、肌触り、色、匂い、泡付き。
そして広すぎない四角い湯船がよいのだ。
長年通ってると、ちゃんと補修も継続して行われており、綺麗に使いやすく維持されているのがわかる。
そんな明日の湯が、私の住んでいるところから10キロ程度であることがわかった。
じゃあ、走って行こう。
単なる行って戻るではなく、明確な目的があるランニングは楽しい。
今は冬だけど、走れば汗だくになる。着いたら温泉入ってさっぱりして、そして帰りはバスに乗ればいい。確か泉中央駅行があるよな。
着替えとお風呂セットを背負って出発!幸い天気は良い。
途中まではいつも走る幹線道路だ。
やがて細い道へ。下流ではあんなに大きな七北田川も、こんなんだ。橋の上から地層が見えた。
ちょっと有名な地名、「鼻毛橋」。
ふう、なんとか着きました。実は9キロだった。近いなー!
こんな、定食屋さんのような入り口。
温泉の由来があった。
休日の昼間なんで混んでるかなぁと思ったら意外にも女湯は貸し切り。
ありがてえ。いやー、本当に気持ちいいお湯です。湯温はそんなに高くないのに、じんわりと芯まであったまる。
後から来たおばさんは、湯船の中で鼻歌を歌っていた。
脱衣所でそのおばさんが話しかけてきた。「私はすぐ近く。どちらから?」「北仙台の方です」「なら20分ぐらいで来れるわね」いやいや…まあ、ここに来る人はほとんど車だ。まさか1時間かけて走ってくる人がいるとは思わないでしょうね。わたしもそう思う。
にしても、この温泉の近所なんて羨ましい。温泉の近くか銭湯の近くに住むのが私の夢だ。
さて問題はこの後。
バスで帰ろうと思ったんですよ。でもね、もたもたしていたせいでバスがしばらく来ないことに気づいてしまった。そこでこの近くにできて一時期話題になった謎の?建物に行ってみることにした。
これができた時は根白石になぜ?!と思ったんだけど。
これです、BIZ CREEK。タイルがGitHubの草みたい。七北田川沿いに建っている。
カフェとか雑貨とか服とかあってここだけ駅前のファッションストアの一部みたいなのだ。会社概要とか調べてもどうもどういう人が運営してんだか見えないのでようわからん。
違和感ありまくりだが、とにかくなんか食べよう。
入ると意外とたくさんお客さんがいて8割が若い女性。
せっかくなのでカレーをいただいた。食べながらこの後の作戦を立てようと調べたが、やっぱバスがないとどう考えてもこの場所からしばらく動けないようだ。
実は午後に友人と品物受け渡しの予定があった。なのでほんとに申し訳ないけどその友人に車で迎えに来てもらった。
待ってる間散策した。
この迷路みたいな3階建の建物のうち、二階までしか使われていないようだ。
カフェのカウンター席は電源が取れる。Wi-Fiもあるので、ツーリング途中充電がてら寄るのもいいな。
夏は川に面した外の席がすずしそう。
川には鳥がたくさんいた。牛越橋近辺では見ない種類の鳥たち。
友人が来てくれて、無事その後帰れたのでした。病み上がりのところ、呼びつけて申し訳なかった。(まあ無事な顔が見れて私は嬉しかった)
今回の教訓としては、明日の湯は以外と近いってことと、バスの時間に間に合うように行動しましょうってことである。
今度はちゃんとバスに乗って帰れるよう、早く来たいね。
おしゃれビルは…まあ、次は夏に。
高速点滅LED
自宅の玄関の灯りが、おかしい。
実は去年からなのだが。
高速点滅するのだ。
このアパートに私が入居する際に新しくつけたらしい、LEDの作り付けの灯り―ブラケットライト、というらしい―立方体で上と下に光が漏れてくるタイプ。
これが、たまに、ピカピカピカピカピカピカ点滅する。
そしてそれはどうやら寒い日だけらしい。
普段は室内にあるスイッチでオンオフする。
電球や蛍光灯ならそれを替えてみようかと思うのだけど、このLEDはどうやら装置全体と一体化しているみたい。しかもバスコークみたいなもので全体が壁にくっついている。だから簡単に交換できないのだ。
どうしよう。大家さんに言うしかないな。そう思っているうちに点滅はしなくなった。まったく再現しなくなったのでそのままに。
んで今年の冬、またピカピカピカピカピカピカがはじまった。
「今日は点滅しないでくれよ!」と祈りつつ、スイッチを入れる。
うちは道路のはじっこにあり、私の玄関のあかりがついているとかなり明るい。だから自分のためより防犯の意味で点けるようにしている。
だが、高速点滅は困る。なんか非常事態かと誤解されるかもしれないし。
秋田の実家の近所で、同じように点滅しているLEDを見たことがある。それは2棟のアパート敷地への入り口の灯りだったせいか、ずっと放置されている。
大家さんにいうべきか。そして今日はふつうに点灯している。
うちがボロアパートだからだろうか。電気がなんか不安定なんだろうか。わからないままである。
やっぱりいろんな人と接するべきだと思う
年末年始の衝撃。
弟に、布でものを包むのを頼んだら、やり方を知らなかったのだ。
あの、つまり。風呂敷みたいなでかい、正方形の布のセンターに物を置いて、布の対角線上にあるそれぞれの角を持ち上げて物の上部で結ぶ…ううんと、文章で説明するとむずかしい、お弁当とか布できゅっと結んで包む、あれですよ。
弟は対角線じゃなく、隣あう角どうしを結ぼうとした。
50年生きてて、やったことないの!?と聞くと、「ない」と。
いやちょっとまて、これができない人がいるのか。そんなばかな。と思ったが、たしかに人生において必須の技術ではない。
もうひとつ、母がむせたか何かして咳き込んだ。
すると弟が「大丈夫か、横になれ」と言う。
「いやいや、咳が出ているときは寝るより体起こしたほうがいいでしょう」と私と母が同時に言う。これ常識でしょう。というと弟は首をかしげて
「あなたたちはいつそういう知識をインプットするのだね」
母は看護師だけど、私は…ん?いつだっけ。
常識だろうそんなの?と思ってしまうことが、ただの一部の思い込みであることが往々にしてよくある。
そういえば小売業に勤めはじめた頃、私も「常識でしょう?なにやってるの?」と同僚にいっぱいおこられて、泣きそうになりながら「知らんがな」と倉庫で毒づいていたっけ。
いろんなひとと接して、「常識でしょう?」がぶっ壊れていく体験をもっとしていったほうがいいと思う。
あけましておめでとうございます2022/恩知らず
あけましておめでとうございます。
新年になったからって世界は何も変わらないのだけど、なにかを考える一区切りというのはいいものですね。
ちなみに新年は実家におりまして、私にとって母が高齢者で体調不良を抱えていると実家は「のんびり」できる場とは程遠いので朝からキリキリ働いたらいろいろトラブル続出。そんなもんすよ。
さて昨日ギリギリで投稿したこれ。
読み返したら酷いなぁと笑ってしまった。だって私がお世話になった方々への感謝の言葉がなく「twitterのお陰」ってなんだよ(笑)
ほんとうに、私に昨年関わってくださった、みなさま、ありがとうございます。
皆さまのお陰で心穏やかに暮らせております。
私は恩知らずだ。
「恩知らずな奴とは付き合いたくない」というSNSの投稿を見るたび身が縮む。
昔から人から受けた恩を忘れてしまいがちで、たとえばなんかいただいた人とかお世話になった人とかに久しぶりに会えた時とか「わー久しぶりーきゃっきゃっ」と会話するだけになってしまう。んでしばらくたってから「あ、お礼言い忘れた!」と気づく。
人の顔を見るとすぐ「〇〇の件ではありがとうございました!」と出てくる人はすごいなと思う。人を認識する際の情報データの並び方が私は人と違うのだろうか。
それから私は「お返し」がうまくできない。人からものをもらったらお返しをするものだというのも長いこと知らなかった。「もらいっぱなし」はダメ、という感覚がわいてこない。「お返しとかいらないから!」という言葉をどれぐらい信じていいんだろうか。今までは貧乏だったのでその言葉に甘えてきたが、今後はそういうわけにはいくまい。それに、接する人のほとんどが自分より年下になってきたし。
私になにかと贈り物をしてくれる遠くの友人がいる。私の心が読めるのかというくらい素敵なものをいつもくれる。彼からもずっと貰いっぱなしでいたんだけど、ふとお返しをしなければと思い立った。
しかし人にあげるものを選ぶということが苦手で苦手で。どんなものが好きなんだろうなあと相手のことを思い浮かべても全然わかんない。うんうん悩んでなんとか送ったが、ふつうの人はこういうのを難なくやってんだろうか。
この話題をうまく落ち着けられるオチが見当たらないので、おしまい。
2022年の十大ニュース
2022年、私にはあまりにいろんなことが起き過ぎたので、例年10個もない十大ニュースが10個じゃたりないという事態に。厳選しました。
ちなみに、去年の十大ニュースは…
あれ?書いてない。
あまりに仕事が過酷で一年を振り返る余裕がなかったよ。
いや、まあ、トップはあの件なんだけどね。
しょうがないから一昨年の十大ニュースでも貼るか。
2020年、なかなか辛い感じでしたほんとに。
辛いまま、さらにいろいろあって2021年に移り、そして2022年!!
ヒャッホー!十大ニュース行きますよ。
1. 就活の果てにやっと掴んだパート職を辞めた
あれは49歳の春、2019年。ノラヤを閉店して息子が大学に入学したのを機に「ちゃんと稼ぎたい」と就活し、ボロ負けした私は50歳になった時に正社員の道は閉ざされたと判断、小売業パートになったのであった。
が、そこは大変酷い仕事環境でございました。
実際働きはじめてどうなんだという話は、すごくすごくすごく語りたいんですけど守秘義務もあるしまた別の機会に。 一言だけ言っておくと、いいこともあればわるいこともあります。(2020年の十大ニュース)
こんなこと書いてましたが、嘘です。入社2日で「辞めたい」と思った。従業員がみんな常にイライラして怒っててお互いの悪口陰口言い合って不満が渦巻いてました。会社もなにもかも酷かったです。メンタルがどんどんネガティブになり、ハードな肉体労働で体重がスルスル減りました。しかし生きる為です、少しでもやりがいを見出そうと頑張りましたよ。
嫌なことをA4の紙1枚にびっしり書き連ねた位、嫌でした。このあと何年勤務し続けても昇進はできず時給は一生1,000円を超えないことがわかり、土日休めない、母がどんどん衰えてきてるのに何かあった時駆けつけられない、年末年始出勤必須、などが決め手となり退職。
2. 大学の事務補佐員になった
小売業退職後は仕事のあてもありませんでしたが、以前からTwitterでお付き合いのあった大学の先生から事務補佐員(アルバイト)の仕事に声をかけていただき半年間勤務しました。本当にありがたいことでした。小売業で心身ともにボロボロになった私がペースを落として働いても前より給料がよかったです。すべてはtwitterのおかげです。
場所が私の大好きな東北大学青葉山キャンパスで、本当に環境が良くて、空が広くて空気が爽やかで鳥の声がよく聞こえて、いるだけで気分が良くて人格が洗われていく感じがありました。
大学職員の特権で大学図書館で面白そうな本を見つけて読んだり(農学部図書館が面白かった)、昼休みには散歩して、学生さんに交じって学食で安くておいしいごはんを食べて(本当に学食大好きでした)、そうやっているうちに「この世も悪くないなぁ」って思うような、生きてる感じを取り戻せました。最先端の学びと研究の空気を感じることで私もまた勉強したいと思うようになってきて、それがLPICの資格取得につながったと思います。
あんなに小売業ではネガティブに堕ちていたのに。やっぱり環境って大事。
3. LPIC Level1、Level2取得
毎日スーパーコンピュータの上で勤務していたのも影響してか(?)、なんかまたITの勉強したいと思うようになった。
IT系といっても、ウェブデザイン、プログラミング、アプリ作成、ネットワーク、グラフィックなどなど、いろんな分野にひととおり手を出していて、自分がやりたいのは何?と思ったときに、そういえば昔、Linuxいろいろいじってた頃楽しかったなと思い出し、じゃLinuxの資格はどうだろうと思った。
詳しい経緯とか勉強法はこちらのNOTEに書いたので読んでいただければと存じます...
テキストも大学生協組合員だったので割引購入できましたありがたや。自習スペースや図書館など大学には勉強する場所がたくさんあるので、たくさん活用させていただきました。大学にいなかったら資格取れなかったと思います。noteにも書いたけどLPIC202にすごく苦労したので、集中して勉強する場所があるってかなり大事だと思います。ありがとうございました本当に…
最終的に4回試験に合格して、11月にLevel2を取得することができました。
4. 就職した
LPICのLevel1に合格したのをtwitterで無駄にアピールしてたら昔RubyKaigiとかRails Girls Sendaiでお会いしたhiroponzさんに「うちで働きませんか」と声をかけていただきました。
IT系の企業、しかもフルリモートの東京の会社で、雲の上みたいなすごい素敵な会社で、社員を大事にするカルチャーがすごい良い。
いや、無理でしょ就職できるわけがない、と思いましたが、ちょうどその頃、ジェーン・スーさんと堀井美香さんのOVER THE SUNを聴いていて「チャンスが目の前にあったら掴みに行く人でないと、仕事はその後もらえないし、先へは進めない」と言うような内容が流れてきました。
もしその回を聞いていなかったら私は98%辞退していたと思います。でも聞いた後なので辞退する率が70%くらいになりました。そして残り30%に賭けました。
結果、就職できて現在に至ります。最初の数ヶ月は猛スピードで多くのことを覚えなきゃいけなくてへとへと、「脳が疲れる」感がすごかったです。しかし新しいチャレンジに少しずつ取り組ませてもらうようになりじわじわ自分の成長も感じております。
何より、一緒に仕事している人がみんないい人ってほんとうに素晴らしい…
すべてはtwitterのおかげです。
というわけで、1~4位は仕事関係の話。
5. 髪をブリーチ、インナーカラーした
小売業を辞めて一週間で「二度と小売業に戻らないよう、接客ができない髪型にしてやる!」と思って、やっちゃいました。
生涯初の、ブリーチ。そして、インナーカラー。色は赤です。
50歳越えてですよ。無茶な要望をかなえてくれる美容師さんに感謝。来年は一度金髪(っぽく)したいなと。
緑とか青にもしたいけどね。
なお、染めた後で2の大学事務補佐員になったんですが、大学なのでいいことにしました。ここは外見でどうのこうの言うような場所じゃない。(はず)
6. 肘折温泉に一人旅した
7. 母が腰を痛めて要介護になった
これも実は1位にしたいぐらいの大きな出来事で、私の生活もがらっと変わったんですけどね。
秋田の実家で一人暮らししている母が、転びかけたのを機に動けなくなりました。とにかく痛い、なにをやっても痛い。家事、外出が不可能になり、もっとも症状が酷かった時は私と弟が面倒見ました。これはもう無理、と、私が関係各所に電話して、GWごろからもろもろ手続き等をい経て、母の要介護認定をしていただきました。
母も最初は「要介護認定なんていいよ」と言ってましたが、やっぱり一度福祉のお世話になっておいたほうがのちのちいいですもん。
そして、GWごろから、私は2週間に一回実家に帰って母の世話をしています。小売業のままだったら絶対無理。一部リモートワークも可能な大学事務補佐員だったから対応できました。
めちゃくちゃ金がかかりますが弟が出してくれてます。しかし私の週末は二回に一回は潰れることになります。だから自由になる週末は思い切り楽しむようにしてます。
8. 謎の腹痛に悩まされ3ヶ月苦しんだ
これ、本当に辛かったです。大学で勤務しはじめてしばらくして、2月くらいから5月ごろまで、右下腹が痛くて痛くてたまらなくなりました。痛い時と痛くない時がある。病院にも行ったが、盲腸でもなく、潰瘍の薬とブスコパンを渡された。そして下腹だけでなく胃や腹全体が痛い時もある。もうこれは病気だ。私の人生もここまでか。
4月に息子に会いに群馬に行きましたが、その時もせっかくレンタカーを借りて観光したのに、もう途中から痛くて痛くて運転が苦痛に。お昼もなにも食べられなくて現地の病院を探してかけこみました。でも異常なし。予約していた息子成人祝いの料理店もキャンセル。さんざんでした。
胃の内視鏡と大腸内視鏡、両方やってもらいました。絶対なにか病気だと思ったんですよ。でも、なんともない。
潰瘍だと思って1ヶ月くらい禁酒したのに、潰瘍もないし悪いところもないってなんなんだよふざけんなよと思って以降痛かろうがなんだろうがビール飲みました。痛い時はブスコパン飲んでやりすごしているうちに治りました。いまでもたまに痛いけど。
なんだかわからん。まあ、多分原因は歳なんだと思います、50過ぎたら年に一個は体の不調が出てくるんでしょう、去年も手足がいたくてものを力入れて握れなくなり、整形で見てもらったけどその後ほっといたら治ったし。おそらく来年もどっか不調が出ます。そのうち年に一個が2個、3個、60ぐらいには10個ぐらいになってるのかな。
それより大腸内視鏡が本当に辛い体験でした。
この思い出はどっかに書こう。
9.くられ先生のイベントに行った
薬理凶室をご存じでしょうか。
今年は動画を見まくって本も買いまくりましてすっかりはまりました。
なお本は有害図書に指定されるなど一部で話題となりました。
そんな中、仙台でくられ先生のトークショーが開催されると知って即申し込み。
これきっと若い人たくさんなんだろうな、場違いなんだろうなと思ったらおっさん世代の人もいてうれしかった。グッズ販売、書籍サイン会のお作法がわからずおどおどしてました。yasu先生にいつもtwitterみてますってご挨拶できてよかったです。生のくられ先生素敵でした。
10. バイクが長期にわたり不調、その原因は…
ある時から、バイクの電装系がおかしくなりました。キーを回してもライトやニュートラルランプがつきません。しかし何度かかちゃかちゃ回してると点きます。その瞬間を狙ってエンジンかけてました。
「高齢バイクにありがち。ハンドル切ったら電気ついたりしない?ためしてみて」とバイク屋さんに言われたのでやったら、たしかにハンドルを切るとついたりする。揺らしたりカクンってハンドル切ったりして点いた瞬間を狙ってエンジンかける、を繰り返しているうちに、点灯することがほとんどなくなってしまった。いよいよ入院を覚悟でバイク屋さんに持っていくと、なんと。
バッテリー端子部分のネジが緩かったのが原因でした…
なにがあったかというと、私がバッテリー充電器を買って、自分でバッテリー外して充電して、戻したんです。その時に、ネジがちゃんとはまってなくて、接触不良になっていたらしい。そういえば、不調が起きたのはバッテリー充電してからだ!
バイク屋さんに全部しっかりネジを締めてもらったら、嘘のように不調がなくなりました。その後、バッテリーだけでなくすべてのネジの締まりが悪かったことがわかりました。私、力なさすぎ。にしても、30年もバイク乗っててこんなの初めて体験しました。
そういうわけで、このブログを書き始めてから初めて経済的安定を手に入れたかもしれません。身も蓋もないですがやっぱり経済的安定を手に入れると精神が圧倒的に安定します。日々しみじみ幸せを感じて、そうするといろんなことが前向きに考えられてやりたいことや挑戦したいことが増えてきます。
ガソリンがないとね。エンジンふかせないんだよ。って前にも書いた気がするな。
ただ、いつまでこの幸せがつづくかわかんねーなという気持ちも相変わらず根底にあって、とはいえ小売業とかコンビニとかも私は経験してるから、何やっても生きていけるぞと思いますね。
来年はふるさと納税、したいなぁ。(今はまだ収入が低すぎてやっても意味ない)