仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

調理に手袋を使うと楽

時々、調理の際に使い捨てのビニール手袋を使うようになりました。いろいろあります。例えばこんなんです。

スーパーでも売ってます。食品衛生法適合って書いてあるのがいいと思います。

料理雑誌などのレシピ解説で、ビニール手袋している写真はないですよね。だからみんな普通は素手で料理するでしょう。プロでも、個人営業のカフェとかは素手でしょうね。最近は焼肉屋さんやらーめん屋さんは手袋するようになりましたけど。
手が汚れたら洗えばいい。それはそのとおり。
でも、ビニール手袋は心理的に楽になることがわかりましたです。使いましょう。

これからの季節、頻繁に指がひび割れますよね。よね、って言われてまぁ荒れ症の女性ぐらいしか同意してくれないかも。傷があると食中毒の原因となる黄色ブドウ球菌が繁殖します。これについては専門家の説明を読んでください。

黄色ブドウ球菌食による中毒

じゃぁ傷がなくて手をちゃんと洗って消毒すれば……と思われるかもしれませんが。

私のような「料理めんどくさい族」は、調理用手袋の存在がありがたい、他の理由もあるのです。

たとえば肉を切るとき。魚を扱うとき。ハンバーグをこねるとき。コロッケをつくるとき。つまり手がべとべとねちょねちょになるようなとき。また、どうしても箸やスプーンではうまくできず、手の作業が必要になるとき。
作業が終わったら、手を洗ってから、次の作業しなきゃいけないですよね。
それが、すごくめんどくさい。
水温が下がるとお湯もあんまりあったかくなくて、肉の脂なんて洗剤つけてもなかなか落ちない。
コロッケの小麦粉や卵も、カピカピになったパン粉も、簡単には落ちない。
じゃぶじゃぶごしごし、指の間も洗って、そしてようやく綺麗になったとき「ああ、また手の油が奪われてしまった…」と思う。風呂にはいるときに、じわーっと滲みていくあの痛みが、想像できてしまう。
つらい。

それがですよ。
ビニール手袋をつけるだけで。ぽいっと捨てればすぐ作業継続可能!!!
この、手をべたべたにしなくていい、毎回ごしごし洗わなくていい、それがものすごく料理の心理的障壁を下げてくれるのですよ。
衛生的な理由プラス、心理的に、こんなに違うとは思わなかった。
「手がべたべたするからこの料理したくないなぁ」「手に臭いがついちゃうからちょっとなぁ」というかすかな気持ちが、これまでごはんのおかずを考えるときに、あったと思うのですよ。ほとんど本人は自覚なくても。無意識に影響していたと思うのです。
それが、問題なくなった。
躊躇なくべたべた料理ができる。これはどう考えても良いことです。

少し前に、ビニール手袋で握った寿司は食べる気がしないとか、おにぎりは素手で握らないと愛情が、とか見かけたんですが、無視です。関係ありません。

さらに。
これまで箸やスプーンやヘラなど使ってた料理でも、じつは手で盛り付ければ早いし楽なのもあることに気づきました。ということで、時々手袋をした手でやるようになりました。効率化に繋がりました。

最近思います。
耐熱の料理用手袋があったらなぁ。
ムニエルをフライパンで焼いたり、グリルで焼き魚を焼いたりするとき、手でひっくり返せたら崩れなくて楽なのに!と思うのです。
手で炒められたら、チャーハンのごはんの塊がつぶしやすい。
オムライスだってまとめやすいかも。

「昨夜のカレー、明日のパン」木皿泉

寒くなってきました。そんな時はちょっとあったかくなるお話が読みたくなりませんかね。というわけであったかくなる本。
図書館で本棚で見かけて借りて来た本。背表紙を見たとたん、この本を新聞か雑誌で見た記憶が蘇った。著者はご夫婦。脚本家をしている。


最初の1ページで、もう、これはやられた。絶対、好き、と思った。

「ほう、笑いましたか」
その日の夕方、焼売とビールをやりながらテツコは、その話をギフにした。ギフとは、義父のことである。

焼売とビールを「やりながら」、ですよ。
おわあああ!焼売とビールをやりてぇ!と、猛烈に思いました。といっても飲んだくれグルメ小説ではない。

テツコとギフを中心に、ちょっとはみ出した人たちがちょっとだけ変わったことを考えてちょっとだけ変わったことをして、なんだかおかしくもかなしくも、いろんなことが起きる。そんな日々が綴られる。
テツコさんもギフも、大事な人を亡くしている。生活に悲しみが一本、消せない強い線が通っているのに、それをなぞりつつ、二人は楽しそうにじっくり暮らしている。古い平屋の一戸建てで。庭の大きなイチョウとともに季節がめぐる。
テツコさんは可愛げがあまりないタイプの女性で、私はこういう人がとても好きだ。そしてギフはおっさんのくせに妙に可愛げがある。このギフも好きだ。テツコさんの彼氏の岩井さんも間抜けでちょっとばかな人だ。
登場人物が全員、一緒に飲んだら楽しそうだなこの人たち、という愛すべきキャラなのだ。素敵だ。
いろんな時代に生きたいろんな人たちが出てくる。それぞれの人生が私の過去を思いだすし、私の未来を予想させる。

私も父と家でビールを飲みたかったなぁ、と、思う。テツコとギフみたいに。そして、私も家で息子とビールを飲みたいなぁ、それまで死ぬわけにはいかないなぁ、と思う。でも、死ぬ時は、死ぬんだよね。避けられない。

で、これが映像化されていた。
著者が脚本家なので、映像化された脚本も木皿泉さんによるものだった。
ツタヤにないからNHKオンデマンドで見たんだけど。これがまた、よかったです。まだ一話しか見てない。でも、パンの描写がさあ。たまらなかったですよ。もちろん、ビールと焼売も。
これから二日に一回ぐらいのペースで見ようと思う。
http://www.nhk.or.jp/pd/yubecurry/www.nhk.or.jp

いんちきマフィンとマドレーヌ。始まりは原価厨でも。

とあるパティシエの方のマドレーヌ発言がtwitterで話題になった。

これを見て、私はどうも納得できなくてもやもやしてしまった。
この方、手作りお菓子を否定するのではなく原価厨を批判したかったというのが真意のようだったけど、それでもやっぱりもやもやした。


手作りするっていうのは……安上がりだとかそれ自体が楽しいとか愛情がこもってるとか、それがもたらす結果の損得よりも。「こうすればマドレーヌが作れる」を身につけるというのは、自分の選択肢が1個増えることで、それが「得」だと思う。

お菓子であれなんであれ、これはこれが原料でこうやって作る、という知識があって技術があることは、自分の世界を広げる。
マドレーヌってパウンドケーキと同じで、卵と砂糖とバターと小麦粉を同量と、ベーキングパウダーを入れてまぜて焼くだけなので、焼き菓子の中でも簡単なほうだ。
マドレーヌ - Wikipedia

もちろんお店で売るものは材料もこだわり手段もいろいろ違うのだろう。だが一般人が求めるレベルってはたしてそんなハイレベルなものなんだろうか。そうでなければ、なんとなく「作ろう」と思い立って実際作ってしまったっていいじゃないか。

「マドレーヌ」の文字ばかり見ていたら、作りたくなってしまった。
というわけで実際に思い立って、作った。
思い立ってから焼き始めるまで30分。焼く時間が30分。

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マドレーヌ型ではない。ので、マドレーヌとはいえないか。しかも(鮮度が)危ないレモンの汁と皮をすりおろしたものが入っている。加熱しているとはいえ家族以外に提供できないしろものだ。
これは「いんちきマフィン」と即席で命名した。息子に受けた。ラムを塗って翌日食べた。おいしい。


基本が分かったら砂糖を減らしたり、チョコチップやくるみやレーズンを入れたり、全粒粉にしたりココアを 入れたりとアレンジもできる。卵を泡立てるスポンジケーキじゃないからそんなに失敗しないし、もしかするとプロが食べたら「こんなん売れん」なのかもしれないけど、私はその差に気づかないし、家でばくばく食べる分には問題ない。

一度「作る」という目線ができると、いままで買っていたものに「どうやったら作れるんだろう」と考えるくせがつく。
自分では絶対作れない、3層以上のレイヤーで作られたケーキなどはより一層尊敬する。
「この食材の組み合わせもありか!!」など、真似できそうなときは、自分でも真似する。それで実際おいしかったりする。
おいしいものが増えるのは、人生が楽しくなることだ。だから、作る側の視点があれば、人生が楽しくなるよ。

ただし。作る行為が苦手な人もいる。向き不向きがあるから、無理にはおすすめしない。
そしてもちろんオーブンがないと駄目だし泡立て器やふるいも要る。
ハードルは高いわなー。

そう考えると、きっかけが原価厨でマドレーヌを自作というのは、あるんだろうかと思えてくる。原価厨でもオーブンやお菓子制作の道具はあるということだから。損得の概念、よくわからない。
まぁいいや。
私が思うのは、作る行為で、新たに知識と技術、および視点を獲得することは、圧倒的に損より得だということです。


ついでに。
「手作りは愛情こもってるからおいしい」には私はあまり同意しない。
愛情とか心がこもってなくても、おいしいものは技術があればできる。
経験上、時間がないとか買い物してないとか限られた条件で、おもいつきてきとう速攻レシピで作ったもののほうが、うまかったりする。不思議。

松島マラソンの10kmに初挑戦した話

1年前に「松島マラソン出よう」と、全然運動もしないし走ったこともないのに思い立って、だいたい週2〜3、走って、そしてようやく。

matsushima-half-marathon.jp


10/8走ってきました。
無事、完走。

ああああああああああ。長かった。
晴れた日も凍った日も雨の日も走り。
1年かけて目指していたのに。2週間前に膝の内側が痛くなり病院行ったら鵞足炎と言われてしまった。病院の先生も「無理はしないで」としか。とにかくなんとか休んでストレッチして痛み和らいだのかなんだかよくわかんない状態で、前日を迎えたらさらに、モチベーションそがれるような出来事があり。
足は痛いわ体重は減らないわで、泣きたくなるような気分だった。制限時間1時間20分って短くないか?私、10kmを1時間15分ぐらいでしか走ったことないのに。時間内にゴールできるんだろうか。しかし気をとりなおし、とにかく1日だけがんばろう、おわったら自分にたっぷりご褒美あげようと思った。
ラソンは何度も出ていて慣れている弟を東京から呼びつけて参加した。そしてスマホを家に忘れた。でがけにスマホに作ったチェックリストで荷物のチェックしていながら、そのスマホを!バカすぎる。うーんまぁ写真が撮れないのとSuica電子マネー使えないのだけ我慢すれば、まぁいいか、厄落としだよ!と解釈。ちょっと気が楽になった。

ラソン大会そのものがもちろんまったく初めてで、本当に老若男女が集まっていて、うわー走る人たちってこんなにいっぱいいたんだーと驚き、異文化体験の気分だった。
ファミリーで来てるし団体たくさん来てるし。そのへんにテント張ってるし。男の人は人前で着替えるし(弟の話だと女の人でも着替える人いるらしい)。


スタート前に9時だというのにガンガン暑くなってしまった。あまり暑い時走ってなかったのでちょっと不安に。
スタートしたら、後ろの方なのでまったりモードなのかなと思ったらみんなだんだん静かになって黙々と走る。松島は坂があって大変、というのをさんざん聞かされてきたけど、自分の家の周囲の坂にくらべたらそんなでもなかった。河岸段丘の下の方に住んでるので、どこへ行くにも上り坂なのだ。不便なところに住んでてよかった。それでも人がみっしりつ詰まった坂が見えると「うわぁ」という気分になった。
弟はどんどん先に行ってしまった。さすが慣れてる。
私は足が痛まないよう無理せず、下りも飛ばさず、とにかく完走さえできれば!と普段どおりに走った。
スタートの町中に戻ってくると、町民の皆さんやハーフや5kmに出る人も声をかけてくれて、嬉しくておもわずじわっと来そうになったが、そうなると途端に呼吸が苦しくなり慌てて感情を抑えた。
淡々とゴール。終わってみれば足の痛みはそんなに気にならなかった。
とにかく走り終えた開放感でいっぱい。そして、牡蠣汁うまい。

記録証受け取って、これが欲しかった、あこがれの完走記念品Tシャツに着替えて、弟とのんびりストレッチした後、帰った。
そして仙台駅の「ぷらっと」で私の誕生祝いと完走祝いにビールで乾杯。走ったあとのビールはうまかった。弟と仙台名物の話やノラヤ常連の話を語り合った。

走り終えて思ったのは、ほんとにあっけない一日だったということ。もっと、この1年間が報われたとか感動的なのかと思ったけど、けっこう淡々としている。
不思議なことに、あんなに痛かった鵞足炎がいまほとんど痛まない。しかし、油断して走ると再発しそうなので我慢している。
このブログを読んでいる方は私が何度もダイエットしては戻り挫折し、を繰り返しているのをご存知かと思いますが、やっぱ単なるダイエットとか体力づくりって、続かないんですよ。目標、といっても「何キロ落とす」とかじゃなく、なにかひと目に晒される目標があるほうがいい。
ラソン大会っていうのは目標にちょうどいいなと思った。
今後も出たいと思う。
走っている人はみんな痩せていてかっこよくて、イケメンで綺麗で、私もそうなりたい、と思ったし、単純に走ると気分がいいし、知っている道でも走ると意外な発見が多くて探検みたいだし、楽しい。ただ、今後は筋トレもして筋肉つけないと足に負担がかかってまたトラブルになってしまう。自分の体調にすごく敏感になった。
体力がついてまずいことは1つもない。全然風邪も引かなくなったし、自転車で坂を登るのも楽になった。動きがシャープになってバイトでも家事でも動作が早くなる。時短。
ただ、そういう体に負担のかかり時間もかることをして、ダラダラネットを見るのはやめられず、結局睡眠時間を削ってしまっていたので、そのへんを今後ちゃんとしていきたい。

ラソンが終わって1週間。
まだまだ自分にご褒美モードなので、体重が増えてしまいそうだ。走っていないときに私は一体なにをして痩せようとしていたのか、忘れてしまった。
ちゃんと休んだら、また目標を設定しないとー。

というわけでそこのあなた。一緒に走りません?

包丁を研ごう

包丁を、ちゃんと砥石で研げるようになりましょう。
包丁を研げるようになると人生が変わるしお金も貯まるし暮らしもていねいになります、多分。

包丁の研ぎ方

包丁の研ぎ方は、貝印のサイトが参考になる。他にも検索すれば動画などあるかも。
www.kai-group.com
私は、新聞の生活面の記事を見てやろうと思い立った。小学校5年生の時である。なんで思い立ったか忘れたが、刃物にかっこいいイメージがあったかもしれない、厨二的なやつで。
その新聞記事には、研ぐときに包丁を寝かせる角度を「普通の家庭用の包丁なら、10円玉が入るぐらい。実際に置いて確認してみるとよい」と書いてあった。貝印のサイトだと「15度」とあるが、記事に書いてたとおり、実際に10円玉を入れてやってみた。
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初めてやったときは力を入れすぎたのか角度がまずかったのか、母に「かえって切れねぐなったでおい!」と笑われた記憶がある。
何回かやるうちにちゃんと切れるような包丁研ぎができるようになった。

包丁研ぎができるとなにが良いか

では、包丁が研げると何がよいのでしょうか。

料理をする時のストレスがはるかに軽減する

研いだ後、切れ味を確認するためにいつもダイコンや人参など普段使いの野菜の皮をむいてみる。このとき、「すぅうーーっ……」と切れた時の快感は、なんとも言えない。くせになる。
研いで初めて気づくのだ、こんなに切れにくい包丁で自分は料理をしていたのかと……
じわじわと切れ味が悪くなっていくと、気づかないのですよね。
力も入れなくていい、野菜を切るときの「めんどくささ」が激減する。これは幸せなことです。

切れる包丁を使いたくなり、自炊したくなる

ばんばん切れる包丁があると、積極的に硬い野菜をざくざくと切りたくなります。
自炊のネックは時間がかかりめんどくさいことです。ですが切れる包丁が手に入ると時間もめんどくささも軽減しますから自炊したくなります。あ、でも料理の腕がなければ無理か。がんばってくださいとしか言えない。

自炊すると健康になる

べつにコンビニやできあいのおそうざい否定派ではないです。でも、大量短時間調理と時間経過に耐えるとなると、炭水化物と油、濃いめの味付けが主力になってしまいますからねー。
そういった食べ物だって、量を控えれば問題ない。とはいえ、量が少ないのは悲しくて人生を損した気分になります。
ばくばくと食べても太らないのはやはり食物繊維たっぷりの野菜。食物繊維たっぷりということは切れる包丁が活躍します。
楽しくざくざく切ってばくばく食べていろんな栄養素とって健康になろう。

お金がたまる

できあいのお惣菜、コンビニでヘルシーなものを選ぶと高いです。そりゃそーです。
自炊するとコストは驚くほど低く済みます。自分の人件費や光熱水通費を考えなくていいからね!でも包丁が切れると作業時間の短縮につながります。フープロもヘルシオもいいですけど、ほぼ毎回使う包丁が使い心地がいいだけで、料理したくなりますからね。砥石なんて一回買えばかなり持ちます。お得です。

楽しい

砥石で包丁を研ぐのは単純に楽しいです。乾いたら水を足し、場所を変え、しゅーっしゅーっと音を立てていると気持ちがいい。
包丁を研ぐのにはいろいろ手段はありますが、砥石で研ぐときは腕だけでなく上半身全体を使います。この仕事してる感がここちよい。
「3枚のおふだ」の、やまんばも、このような気分だったのだろうと思いをはせます。はせなくてもいいけど。

注意点

包丁研いだあとの注意点

手を切らないように

以前は爪で止まってたのがすぱっといくようになってしまいます。気をつけましょう。

まな板まで切らないように

食材だけでなくまな板まで刺さってちょっとびっくりします。びっくりするだけ。

砥石は洗ってしっかり乾かしましょう

湿ったまましまうと、かびます。

まとめ

包丁を研ぎましょう。この仕事には男性も向いてます。ぜひチャレンジしてみてください。

RubyKaigi2017に行ってきた、そして来年のRubyKaigi2018は仙台だという話

窓の外は、降り始めた雨とすこしずつ暗くなっていく広島の町。広島は街の中の川が生きてるな。仙台はこうはいかないんだよな。もうちょっと観光めいたこともしたかったな。広島弁を聞かないままだったな。なんて名残惜しく思いながら景色を眺めた。

広島空港へ向かうシャトルバス車内。そろそろかな、とtwitterを検索。

「来年のRubyKaigiは仙台で開催!」
お、発表された。

私はRubyKaigi2017に3日間、一応スタッフとして参加してきた。飛行機の時間の都合上、クロージングの前に会場の広島国際会議場を退出してきた。

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RubyKaigiとは、これです。かつては日本Ruby会議って言ってましたね。
rubykaigi.org

ITじゃない知り合いのため説明すると、Rubyというのは日本発のプログラミング言語で、世界中で使われておりファンがおりユーザーがいる。私もかつてITで仕事して食っていこうと思っていた時に勉強して使っていた。Railsというフレームワークができてから一層人気は高まり、日本各地にRubyのコミュニティができて仙台でもRails勉強会@東北がkatahiradoを中心に開催されていた。あの頃はワクワクしていたなぁ。なんであんなに夢中だったのかというとなんといってもやっぱ仙台でも東京でもRubyコミュニティの人たちがniceな人たちばかりで、単純に楽しかった。いろんな夢や希望があった。飲み会も楽しかった。そしてRails勉強会@東北がきっかけで色々な人と繋がりができてそれが東北デベロッパーズコミュニティ(TDC)につながっていったのだった。というのをいまや誰も知るまい。

私は母親業と夫の単身赴任等でコミュニティ活動も仕事もセーブせざるをえなくなり、だんだんRuby関係やTDC関係には出なくなり、やがてITの仕事よりコワーキングの方に興味が移って、コンビニ店員のかたわらノラヤを運営するという現状である。だからもうITもRubyも遠い過去になっていた。

そんな私がおもいがけずRubyKaigi2017にひょっこり行くことになったのは、来年に向けての事情があり、日本Rubyの会の方々に声をかけていただいたからだ。
かつて仙台RubyKaigiを2回やるくらいコミュニティが活発だった仙台も、いまや、当時コミュニティにいたメンバーは引っ越したり生活が変わったり仕事が変わったりで、全然出てこなくなった。ネット上でふらふらしてるのは私ぐらいなのである。
私が最後にRubyKaigiに出たのは2011年。それからさらに規模が大きくなり、外国の方がかなり増えたという。今のRubyKaigiはどうなっているのか、見にきませんか?と。広島。遠い。それに私もうRubyistじゃないし。
しかし、こういう機会でもないと広島に行くことは一生ないだろう。行くとすれば、平日を含む3日間息子をひとり置いておくことになる。無理なのでは…と思ったが息子が「俺は大丈夫だ」と言うので、思い切って行くことにした。

久しぶりのRubyKaigi、まず公式言語が日本語でなく英語になっている。サイトに日本語のプログラムが一切ない。(なので、るびまで高橋さんの解説記事があった、今知った。)そして日本語話者の講演の時は同時通訳がつく。参加者も外国の方がとても多く、半数とは言わないがざっとみて2〜3割くらい?そして子連れで参加しやすいよう託児サービスもある。大きくなったんだなあ、国際会議なんだなぁ…というのが第一印象だ。
紙のプログラム等は一切配布せず、情報はウェブで見るようになっている。当然ネット接続が前提なのでWifiを全会場で利用できる。
スタッフは日本Rubyの会の方々をはじめ、Rubyistのボランティア、地元広島のRubyコミュニティの方々、広島の学生さん、などなど。

私はセッションを聞きながら人の案内とか忘れ物チェックとかやってた。セッションは内容は全然わからないんだけど、コミッター大集合とか、LTとか、この笑いが起きるあったかい感じはRubyのコミュニティならでは、と、懐かしく感じていた。そういえばtenderloveさんのセッションでは「草」の英語解説で有名になった件が当然のように出たし、青森に留学していたというJonanさんがセッションの前説で「デカ外人クイズ」を出していて、すごく楽しかった。なごやかな空気感は昔のまま。
1日目の公式懇親会にも混ざらせてもらい、久しぶりの方々に会って挨拶したら意外にも皆さん私のことを覚えていてくださって、すごく嬉しかった。懇親会といえば、2日目の夜はDrinkUpが5ヶ所で開催されていた。私は一番知り合いがいそうな永和システムマネジメントさんのDrinkUpにちょっとだけ顔を出した。すごい数の日本酒があった。その後のカラオケもすごかったらしい。前夜祭を含め連日開催されたこれらの飲み会は全部スポンサーがついていて、RubyKaigi参加者は無料。すごいことになっている。

ちなみに会期を通してスポンサーの部屋では、多くの会社が出店していたんだけど、それはビジネスカラーバリバリではなく、Rubyコミュニティ等でよく見かける方々がたくさんいて、企業の宣伝というより遊びに行くような感じだった。コーヒースポンサーがコーヒーを提供していて、ちょっと眠くなった時コーヒー片手にブースを回ることができて、すごく良いと思った。


もう開発者でもコードを書く人でもない私がRubyKaigiにいるのっていいんだろうか、場違いなんじゃないだろうかと、行くまでずっと思ったけど、いろんな空気を感じていると、規模がでかくなっても、Rubyのコミュニティの本質って変わってないんだというのがわかった。現場に行くことはとても大事だった。行ってよかった。
そして著名な開発者の方々がスタッフとして力仕事を含めいろんな雑用をこなしているのを見て、正直「これは開発者の人の仕事じゃないな」と思ったし、だからRuby知らなくても一行もコードを書いてなくても、Rubyコミュニティに貢献する方法ってあるよなぁと思った。

地方にRubyKaigiが来るのがどうすごいのか、広島の方が今年こういうブログを書いているのでぜひ読んでください。なんか愛がありますよね。
nyoho.jp

とりあえず来年に向けて私ができることは、来年仙台でRubyKaigiがあるよ、それはきっととても楽しいよ、そしておそらくそれはたくさんの地元の人が協力してくれるとすごくいいよ、と、いうことを多くの方に知ってもらうことです。
そういうわけだから、どうぞよろしくお願いします、仙台のみなさん。


3日間自宅でひとりぐらししていた息子は、特に問題なく生きていた。私が戻った翌日から期末テストだったんできつかったとは言ってたけど、あと数年したら一人暮らしするかもしれないんだし、練習になったと思う。ほっとした。
「家庭があるので動けない」という状態を、もしかしてようやく卒業できたのだろうか。だとしたら、こんな嬉しいことはない。(また大学受験の頃は動けなくなるのかもしれんけど)

誕生日特典は無視

もうすぐ誕生日だ。

誕生日というと、多くのお店やネットショップから「誕生日特典」の割引券やポイントプレゼントのお知らせが来る。
私はこういうのを利用したことが一度もない。

なぜなら、たいてい「ただでくれる」ものではないからだ。
「3000円以上お買上げの際にご利用いただける500円割引券です」
のように、一定額以上お買い上げしないとその特典は使えないのだ。

そのお買上げするものがしょっちゅう使う消耗品ならば、良い。しかしそういう誕生日特典を送ってくるところは、めったに買わないところなのだ。そんなにぽんぽん3000円以上とかお買上げしないわい、っていう。
もちろんこれは誕生日という特別感に「自分にごほうび」という魔の言葉をプラスして購買欲を刺激し、必要でもないものを「この機会に」「記念に」ということで買わせようという商法ですからね。こちとら貧乏人だい、騙されてたまるか。
「記念に」ってのも恐ろしい言葉だ。その時はテンション上がってていいものを買ったと思うけど、次の年には後悔していたりする。でもその後悔が「記念」って言葉で薄れてしまう。「記念」は消え物が良いよね。


そういうわけで今年も誕生日特典はつかわないと思う。
あ、一つだけ使った。クリーニング屋さんの50%割引だ。ただ、特定の曜日に50%割引になるので、いつもその曜日に持っていっている。その曜日を待たずにクリーニングを出すことができたというだけ。そもそもクリーニングに出すことなんて滅多にないので、これも毎年使ってなかったんだけど、今年は、たまたま。全然レアな特典ではないが、こういう生活に密着したものはまぁありがたい。

クリーニングや日用品など、普段の生活で使うものが安くなるのは嬉しいね。
えー、誕生日なのに、生活に密着したなにかがお得になったりもらえたり、そういうのが嬉しいって、なんか、むなしくない?特別感が欲しくない?

でもねぇ。私、毎日生活に追われて一日一日が過ぎていくので、その生活が楽になるのが、一番うれしいんですよ。
たとえば毎週、雨の日も風の日も出かけているバイク過積載買い物ツアー。疲れ切って自宅に戻って、重たい荷物を冷蔵庫につめこみ。さらにそれから夕飯を作らなければならないというあの日曜日の夕方の最高に辛い時間。それが、少しでも楽になるなら。
ここで毎週買う生活必需品、これがもし1ヶ月だけでも、毎週日曜の夕方に届くんだったら、すごく嬉しいぞ私は。そんなプレゼントは、ないのか。
バナナ・ヨーグルト・納豆・牛乳・毎日骨太・ソーセージ・弁当のおかず・あぶらあげ(生協の)・豆腐・豚バラ薄切り。

ああ、ネットスーパー使えばいいじゃんという話ですね。ちなみに生協の個人宅配は子供が小さい時は使っていたが、やめた。あれは保冷剤や発泡スチロールのボックスを置けるスペースが家にないと辛いのである。
あーもういいや。誕生日は何もいらない。
誕生日に特別なにかっていわれても思いつかないから、それを分割払いみたいにして、普段の生活をちょっとだけ楽にしたい。未来に希望が欲しい。

今年は家に誰もいなくなるので、実家に帰ります。

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