仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

‪本棚の10冊で自分を表現する、を、やってみた

お友達がやっていたのが面白そうだったので、真似しました。
twitterで#本棚の10冊で自分を表現する というタグが少し前に流行ったそうなのです。


しかし、大きな問題が。私そもそも、活字嫌いで本読めないじゃん。読書家でもないのに。
いやいや、そんな私でも影響を受け何度も読みたい本が、きっとあるはず……と思って探したが、やはり難航した。
むりくり、なんとか、選んだのがこの10冊です。

紹介する前に。
なんとなく手にとって、パラっと開くとそこに、その時もやもや考えていることについての回答がピンポイントに書いていたりする、そういうことってないですか。私にとって気に入ってる本は、そういう体験がやたら多い本。
あと、風呂に持ち込みたくなる本もあって、そういうのは風呂本と呼んでます。

では。左上から。

内田樹センセイつながりで知った名越先生。精神科医。疲れたり心がささくれたりする時に読むと楽になる。表紙の名越先生がすごくハンサムです。風呂本。


抜け感のある文体で読んでると自分にもできそうな気になってくるのがすごい。お金ないどうしよう、的な気分の時に読むと楽になる。これも風呂本。


ノラヤを作る時に参考にした本。多くのビジネス書の言うことと逆を行く。自分の感性のままに、いろいろやっていい、いわゆる成功のためのセオリーなんて置いといて。そんな姿勢には随分背中を押された。それで成功する人の方が少ないと今はよーくわかってるけど。


大好きなクマムシ博士こと堀川さんの本。クマムシをはじめいろいろすごい生物のお話を楽しめる。生物クラスタって面白い人が多い。そして実は、ジョジョで英語を学ぶ節が読みたくて買ったんだったりして。風呂本。


[asin:4895445224:detail]
すべてのセリフを脳内で秋田弁で言える。秋田さかえりたぐなる。
こばやしたけしさんは「地方は活性化するか否か」で有名になりましたね。


風呂本。お金ないどうしよう、的な気分の時に読むと楽になる。ただ、phaさんが自分より年収が上になってからは、なんだかちょっぴりジェラシーなのよ。


[asin:4480032088:detail]
[asin:4480032096:detail]
最近アニメ映画化された。映画化されないきわどいエピソードもかなり好き。花札のような絵は容易に江戸時代に入っていける。絵を描きたくなるし、人を描きたくなる。


[asin:B0096PE5GA:detail]
書いてあることが腑に落ち、そういうことか、とわかる体験がすごく快感だった。降りかかってきてしまう嫌なことや、自分でどうしようもないことに対する対処法を教えてもらった。
内田先生の本は一時期本当に次々に読んていて、そのうち内田先生ならこういうことを言いそうというのがわかってきて、読まなくなった。


えっと最近読んだばっかり。最近買った本だし。


目指したい人は…と言われて、まっちゃだいふくさんと、佐々木常夫さんを挙げる。
佐々木さんの講演を聞きに行ったこともある。はっきり言って壮絶すぎる。でもそんな経験を経て佐々木さんはとても穏やかな表情の人だ。そんな顔の人になりたいと思う。


そういえば最近、風呂で本を読めていない。風呂本もほとんど、ノラヤに持って来てしまった。これはいかんな。

ずっと読みたかったエンジニアとキャリアウーマンのラブストーリーのレディコミと再会した

たしか自分が大学生の時だったと思う。20年以上前。寮の先輩が置いてあるマンガの中にあったのだろう。レディースコミックスで、「流しのセキュリティエンジニアと、キャリアウーマンのラブストーリー」があった。
レディコミなのでそっちのシーンばっかりで、その合間にそのエンジニアがキャリアウーマンを手伝って華麗にトラブルを解決してみせるという内容だと、記憶していた。

て、後で自分が実際にシステムエンジニアになってからその内容を思い出し、あれはないよなぁ、と思ったけど、また読んでみたいなーネタになるだろうし、となにかの折りに思い出していたのだ。

で、先日、ふとまた思い出して、検索したら見つけてしまった!
タイトルも忘れていたけど、漫画家が伊万里すみ子であることをようやく思い出し、数ページの立ち読みで確信できた。
それが、これである。

1990年。25年前のマンガだ。
ついにあのマンガがまた読める。Kindle版を買って懐かしさに身もだえしつつ読んでみたら、ものすごい内容だった。
まず、「流しのセキュリティエンジニア」ではなかった。トラブル解決シーンも1回だけだった。

(以下、勢いであらすじを書いてしまった)

続きを読む

古市憲寿「保育園義務教育化」非認知能力、大事。

古市憲寿さんの本を、はじめてちゃんと買いました。薄いブルーを基調とした優しげな表紙で、古市さんとあかちゃん2人がふわっと存在している。実はウラ表紙の方が、赤ちゃんがかわいい。ページのはじっこにパラパラまんがつき。愛読者カードまで古市さんの手描きでどこまでも脱力させてくれる。

内容は基本的にまじめ。少子化を解消し、さらに社会全体のレベルアップもできる「保育園を義務教育にしたらいいんじゃないの」という提案である。

ひととおり読んですごく嬉しくなった。独身で子どもを持つ気も結婚する気もない、そういう立場の人である古市さんすら少子化がやばいと思っていて、語ってくれているのがありがたい。当事者が言うとどうしても感情的になってしまうからね。
とにかく立ち読みしてみたんだけど、冒頭からお母さんのボロボロな心をわしづかみだ。

「お母さん」が「人間」だって気付いてますか?

「そうだ……人間扱いされてない……」はっとしましたね。
おおかみこどもの雨と雪』を見た時、お母さんに倒れそうなくらい無理させてるのを美しい物語と描いているのが嫌でたまらなかったけど、お母さんなんてボロ雑巾のようになるのがお母さんも嬉しいんでしょ幸せなんでしょ、みたいな、世間の認識なんてそんなもんだ。ううう。そうなんだよ。古市さんありがとうわかってくれて……

文章は、これまでの古市さんの本と同じく、ゆるふわしていて、ときどきずっこけそうなネタや突っ込みが入っていて、「ふへっ」と笑いながら楽しく読んだ。

素晴らしいから息子にも読ませようと、うきうきしつつ思いつつ読み進めていたら、第5章は3行に1回の割合で「セックス」という言葉がでてきて目が点になった。ええとなんだっけこの本のタイトル…でも第5章は「男女を出会わせればセックスして子どもができるだろ」みたいな脳天気な少子化対策を考えている方々に読んでいただきたい。コンビニでもコンドーム買えるしラブホにも置いてあるのになんでセックスしただけで子どもができると思うのか。

気をとりなおして。保育園で期待される早期教育は「非認知能力」を高めることができ、それは学力やIQとはまた別で、大人になっても生き残るための大事な能力なのだそうな。

ちょっと聞き慣れない言葉だが、「非認知能力」とは「人間力」や「生きる力」のようなものだ。
社会性があるとか、意欲的であるとか、忍耐力があるとか、すぐに立ち直る力があるとか、広い意味で生きていくために必要な「能力」のことを、経済学者や心理学者たちは「非認知能力」と呼ぶ。

保育園は、ほんとうにいいと思います。
うちはものすごい個性的な保育園に息子が1歳の時から小学校入学までお世話になった。息子は個性をのばしてもらい、処世術を学び、育児が辛くてしかたなかった私は仕事をして、育児ノイローゼ状態にならずに済んだ。ワイルドでお勉強色が皆無の保育園だったけど、子どもらは大量の本や遊び道具に囲まれ、歌も演技も体力も、小学校に上がるとなまぬるく感じるぐらいいろいろ仕込まれたので早期教育と言えると思う。いろいろ勘違いと偶然で入った保育園だけど、「非認知能力」は確実に磨かれたと思う。

ただし、それが生かせるかどうかは別の話で。
「ああ、息子は保育園に行ってよかった」と読んでいたら

行動経済学者の池田新介さんの研究によれば、子どもの頃、夏休みの宿題をギリギリまでやらず、休みの最後にしていた人ほど、借金が多く、喫煙傾向にあり、肥満者になる確率が高いのだという。

という記述をみつけて、息子がまさに、夏休み最後の日どころか夏休み終わってから宿題に取り組んでいたところだったので、ずどーんと落ち込んでしまった。息子の非認知能力は……。

それにしても、早期教育は「コスパが良い」という指摘があったけど、ちょっと本文とは違う意味で、頷かずにはいられない。
私の実感としては「親の言うこと聞く素直なうちにいろいろ仕込んどけ」である。親の持ってきた本を読み、親がやろうよと言うことをやり、親と一緒にお出かけするのが大好きな時期に。それにその頃の吸収力は半端ない。(ほんとうにあの頃、『まんがサイエンス』を読ませてよかった。中学生になっても役立ってますよ)
小学校中学年以降は素直じゃなくなるし中学生になったらもう壊滅的にダメ。
「◯◯に行こう」「は?なんで俺が行く必要があるわけ?」「君のためになるしとっても面白いんだ」「それはかあちゃんがそう思うだけでしょ。俺がなんで言いなりにならなきゃいけないの。1人で行けば。」
エヴァに乗った碇シンジくんが素直に思えてくるぐらいだ。
なぜか息子はすごく口が達者なので(あれ、これってもしかして「非認知能力」だろうか)、口下手な私はいつも、すごすごと引き下がるのだ。プロでないとこいつらは説得できない。だから塾や習い事があるんだろう。大人になってようやく「学びたい」と気付き、学ぼうとしたらもう大変。「大人になってからも学ぶ機会はいくらでもある」というのは正論だけど、大人は仕事しなきゃいけないし家庭も持ってたりするから、経済力や使える時間が充分にない状態では無理。
子ども料金だったり公共交通機関がタダだったりするうちに、イベント行ったり博物館に行ったりキャンプしたりいろんなところに連れていっていろんな経験をさせたのは、当時は子どものためと思わず子どもをネタに自分が行きたいだけだったけど、潜在的な非認知能力の発達にはよかったんではないかなと思う。その能力がどっかに残っていることを願うばかりだ。

なんだか思春期の子を持つ親の愚痴になってしまった。

挑戦的なタイトルなので、タイトル読んだだけで反感を持つ人が多いかもしれないけど、これまでの育児のまちがった常識に丁寧に解説を加えているのでぜひ読んで欲しい。残念なのは、ちょっと短いこと。もっと長くねっちりと、古市さんの文章を楽しみたかった……。

古市憲寿さんの本を読んでみた

以前、「希望難民ご一行」を読んだのだけど、なにかと古市憲寿さんの名前を聞くのと、文体が気に入ったので、どさっとまとめて借りて読むことにした。

[asin:B00BB1ZY0S:detail]

古市さんは社会学者だと思ったら、実は会社もやっているらしい。
これを読んで実感したのは、やはりもう小学校卒業あたりから開成だの違う世界に行くともう、進む道は違うのだなぁということ。格差だ。息子を育てているとひしひしと感じるけど、環境ってやはり大きい。
古市さんの同僚たち、仲間たち、出て来る実業家たちが、ぜんぜんがつがつしてない。会社を大きくしたいとか、社会のためにどうこうとか、でかいことを言わない。自分たちだけ食えれば、そして遊びたい時遊ぶことができれば、という。そういった身の丈の働き方というのは私も同意するのだけど、私の場合「それぐらいすら稼げていないので、せめてそれぐらいを目指したい」という非常に消極的な理由であるからして、情けない。
エリート人脈、プラス、フットワークの軽さ、これがそろうと、軽やかに生きられるんだなぁと思う。正直羨ましい。ありがたいことに私も東北大学というエリート人脈があるお陰で、いろいろな人に繋がっていろんなことができる。そのアドバンテージは自覚して感謝せんといかんね。しかし、いかんせん家庭を持ってしまったのでフットワークが軽くないのが辛い。
そういうわけである意味、自分と比較して羨ましくてむかついてくる部分もなきにしもあらずなんだけど、古市さんの文体のゆるふわした口調が憎めなくて、そんなに腹が立たずに読める本。

[asin:4334036473:detail]

おすすめ。介護の本かと思ったら、それに留まらず世代論に発展し、読みながら脳内にたくさん火花が飛んで(ありふれた表現だと「気付きがある」ということなのだろう)楽しい。おっかなそうな上野千鶴子先生とゆるふわな古市憲寿さんが、お互い臆することなくバンバン語り合ってて、すごく面白かった。この本は、phaさんの「持たない生き方」にも何ヶ所か引用されている。偶然にもphaさんの本と並行して読んでいたので、このタイミングで読むべき本だったのだなと思う。
すごく納得したのは、古市さんが代表して語る若者(よりちょっと上)世代が、いつまでも子どもでありたがる、そして親も子どもがいつまでも子どもであるように育てた、ということ。自分は父が早く亡くなったのではやくオトナにならねばと育ってきたつもりなので、自分の夫など周囲を見て違和感を感じていた。その正体は、これだったのか、とおもった。
上野先生が、繰り返し、若い世代が声を上げていかないと、と伝えて、古市さんが「面倒」と答えていて、でも最後に折れて(?)いたのが面白かった。

[asin:B00BB1ZY0I:detail]

これも面白かった。
若者はかわいそうなのか?実は全然当事者達は不幸じゃないよ、という本。バブルや、三丁目の夕日的な世界と比べて悲惨だ大変だと言われる若者だけど、当の若者たちにしてみれば、その頃の方が不幸じゃないの、と。
結婚して子どもが二人いて持ち家を目指すべき、という価値観は、今の30代後半が最後なのかなぁ。ゆるふわな語り口で古市さんが書くと、ようやく若者たちが凝り固まった古臭い価値観をぶっこわしてくれそうで、期待しちゃう。

アートシステムファクトリはなぜ失敗したか―自営業になって10年が経った―

気がつけば自営業になって10年が経った。

自営になって10年もやってるなんてすごいじゃん!と言われそうだけど、ぜんぜんすごくない。収入は右肩下がりで、今年はおそらく開業以来の最低収入を記録します。稼げないなら、普通は廃業して他の手段を考えますよね。それでも続けているのは、夫に養われているから、稼がなくても生きていけるから。やーいやーい負け犬。

10年目でも10の位が増えただけで淡々と過ぎる。しかし、振り返るきっかけにはなるかもしれない。そこで「アートシステムファクトリはなぜ失敗したか」を考えてみた。

続きを読む

朝バイトを始めて一年が経った

朝から昼にできるアルバイトを初めて、気がつけば一年!
いろいろと感慨深い。まさか自分がこういう小売接客業ができるとは、って思ってる。でも、できるもんですね。

「で、どこでバイトしてるの?」って聞かれるけど、守秘義務があるので言えません。偶然見つけた方はどうぞ普通の他の店員と同じように接してください。というか知り合いに会っても会話する余裕もない。

思い起こせば去年の春。メインで仕事をいただいていたところから今年から別の業者にすると言われ、仕事がなくなってしまった。ここで自営業を辞めて就職すればいいのかもしれないけど、ノラヤを初めてしまったためその選択肢はない。40代で就職ができるとも思えないし。今までのようなITの仕事を探すか、ノラヤやってない時にできる短時間のバイトを探すか。実は、ノラヤを運営しながら営業時間中にできる仕事なんてほとんどないんです。なんで?って言われるかもしれないけどほんと、できないです。というわけでバイトすることにした。


仕事がなくなった頃、これを見た。


その通りだ、と思いましたね。
限られた時間でできる、残業もなく、ノラヤとも家庭とも両立できる仕事。時給が低いとか、経験がないとか、言ってられない。日銭を稼ごう。自分の幅を広げるチャンスでもあるよな、と思った。ほんと、お金がない危機感から「カネカネカネ」で、脳内がいっぱいになってやたらイライラしていたから。

幸い採用していただいたところでは、向上心を持ちつつ楽しく仕事できるところで、ありがたいと思ってます。
2ヶ月くらいは指と腹が筋肉痛でしたね。手も使うし、いっぱい声だしますから。走り回って汗だくになり、痩せました。今は慣れてしまってちょっと戻ってしまって、やばい。

私のやっている仕事は、「会社辞めたい。○○○のバイトでもするか(笑)」みたいに書かれるし、知人の小説には「マニュアル通りの接客でやりがいもなにもかんじない、暇」みたいに描写されるし、なんだろうなぁ、世間では誤解されてるんだなって思いますよ。実際はやりがいもあるしマニュアル通りどころか常に臨機応変な対応を求められるし、暇なんて一瞬もないし。お店にもよるらしいけど。


プライド高くて日銭を稼ぐのを馬鹿にしている人は、しない仕事でしょう。でも、そのプライドを捨てたところで、まったく違う学びの場がある。もっとも学びを見いだすかどうかは、人によるんだろうな。具体的にどういう点が、というのを言えないのがもどかしいんだけどね。
日々、勉強になります。ほんとです。

今後も引き続き、がんばりたいと思います。

コワーキングスペースは受贈者的な人格を引き出す場だ―「ゆっくり、いそげ 〜カフェから始める人を手段化しない経済〜」影山知明

2冊め、CMC(コミュニティマネージャズコミュニティ)の読書会の課題図書になっていて知った本。

「クルミドコーヒー」(いきなり音出るので注意)というカフェの店主、影山知明さんが書いた本。
カフェ経営の話、かと思ったら、コミュニティと経済の話がメインなんですね。
いやー面白かったですねぇ。いい本を紹介してもらった。
あまりに面白かったので、読んだあとたまらなくなって、カフェっぽい気分を味わいたくなり、ケーキを焼いてしまったほどだ。


私が一番ポイントだと思ったのが、「消費者的な人格」、そしてそれに対立する「受贈者的な人格」という概念。
この二つの対立概念で、いろんなことが説明できて、自分がノラヤを運営する上でもやもやしながら悩んでいたことに、光が射したように思えた。


「消費者的な人格」とは、なるべく少ないお金や負担で、一番多くのもの、リターンを得よう、という意識。
普段私たちはほとんど、消費者的人格に支配されて生きている。少しでもお買い得なものを求めて安いスーパーに行き、ネットでは価格を比較して一番安いものを買ったりサービスを受けたりし、コスパが良いという言葉に敏感に反応し、少しでも安く仕事をしてくれる人を探し、そしてなんにもしなくても、楽にお金をかせぐ方法がないかと日々もやもやしている。
だってみんな、お金ないからね。


それに対する「受贈者的な人格」とは、字面からわかりにくいけど、値段以上のものをもらった、受け取った、感じた時の、かすかな喜びとともに「お返ししなきゃな」とか「また来よう」と思う意識。それら、もらった「贈り物」は「健全な負債感」を生んでいる。これは「負債」という言葉のマイナスイメージとはちょっと違い、感謝の気持ちを伴う「もらっちゃったなぁ、受け取っちゃったなぁ」という気持ち。
たとえば、行きつけのお店に旅行に行ったときのお土産を持っていったり、畑で取れた野菜を持って行ったり、そういう時に「いつもお世話になっているからなぁ」と、義務感ではなく受贈者的な人格が出ている。


思いついたのだけど、我々コワーキングスペース運営者が説明しなきゃいけない機会が頻繁にあって、いまいち相手に伝わらなくて歯がゆい思いをさんざんしてきているのが、シェアオフィス・場所貸しとコワーキングスペースの違い。
実は、シェアオフィスは、消費者的な人格を引き出し、コワーキングスペースは、受贈者的な人格を引き出すのではないだろうか。

シェアオフィスでは、入居者が自分の仕切りに囲まれたブースを使う。共有スペースも使える。入居者は当たり前だけど「お客様」だ。お客様はシェアオフィスをお金払っただけ、さらにはそれ以上に使い倒そうとする。自分のブースの中では何をしてもいいような気分になり、隣のブースへの配慮なんて生まれない。共有スペースは他の入居者にも配慮…ということになっているけど共有スペースもつい、使い倒そうとする。
だから、トラブルも起きる。ブースの向こうから何か…騒音、臭い、ゴミ、が他のブースに漏れてくると揉める。共有スペースでの自分勝手な振る舞いが問題になる。


一方のコワーキングスペースは……私の経験している事例に限られるのだけど。「使い倒そう」という意識の人はあまりいないように思える。
スペースは共有だし、会話もあるから、居合わせた人への配慮も当然生まれる。そして何度か来た人は、自分の得意なことやできること、役立ちそうなことを、スペースで提供しようとしてくれる。(物々交換所があるけど、それとはちょっと別の話で。)
ありがちな「私これができるんです是非ビジネスに繋げましょう(ギラギラ」的な、自己アピールではなく、自分がこういう人でこういうのが好きでこういう経験をしていてだから、こういうの提供できる、というのがじわじわと納得できる形で、置いて行かれる。
それは自分でできるイベントの提案だったり。持っている物の提供だったり。技術や知識であったり、リソースの提供の申し出であったり。イベントで、普段の利用中の雑談の中で、それは置かれて行き誰かに(そしてしばしばに、私に)受け取られて行く。


本の中に、クルミドコーヒーのことを良く知らないのにチラシ置かせてくださいと言ってくる人は、断るという記述がある。それは、自分の得意なことやできることを提供していくのとは、違う。自分だけお店のリソースを使って、メリットを得ようとする行為。もし「チラシばんばん置きますよ!」と言えばやはり消費者的な人格を刺激して「使い倒そう」という人がたくさん湧いて来て対応に時間がとられてしまうことだろう。(紙って処分するのめんどくさい)
うちでも「コワーキングスペースだから起業に興味があるだろう」と勝手にスタートアップ系イベントのチラシが送りつけられてくる。ノラヤのことを知ってる人ならそんなん持ってくるはずがない。(本気で起業したい人ならチラシより早く別のルートで情報は仕入れてるはずだしね)
でもノラヤのことを良く知っててこういうのやりたい、置かせて欲しい、と持ってくる場合は違う。全力で応援したいし広めたいと思う。


私はノラヤで管理人をしてるけど一番ノラヤにいるから一番「贈り物」を受け取っていると思う。それは「健全な負債感」を生んでいる。
内田樹先生がよく言う贈与の話で、そのままもらった相手に返すのは、よろしくなくて、どこかにパスしてやらなきゃいけない、というのがある。この本の音の葉コンサートのエピソードにもあるけど、価格以上のものを提供し「交換を不等価にすることで次なる交換を呼び込みむことができる」とあるのは、多分そういうことなんじゃないかと思う。

昨日もコワーキングスペース勉強会の方々がいらっしゃったけど、私はほとんどの時間をいろんな人の置いて行った「贈り物」の説明(どんな人、どういう経緯でこんなことをやってくれた)に費やしてた気がする。コワーキングスペース運営者として必要な素質は、誰かの置いてった「贈り物」を他の人に伝える、パスできるというのもあるかもしれない。

では、コミュニティにおいて、消費者的人格を刺激せず、受贈者的人格を引き出すにはどうしたらいいのか。

本文中では、消費者的人格を刺激するものとして、割引チケット、ポイントカードが挙げられている。ぐるなびなどのサイトも、そうだろう。お得に利用できるなら、もっともっとお得に、お手軽に……という思いが強められていく。だからクルミドコーヒーではそういうのをやらないのだそうだ。
スペースの場合は……やはり「壁」なんじゃないかなと思う。仕切られて自分だけの空間を作ってしまう時点で、壁の向こうへの思いは至らず。そして「孤独」。セキュリティに守られた受付を通ってしまえば挨拶する人も雑談する人もいない状態。

一方、受贈者的な人格を引き出すものとして、クルミドコーヒーの場合は、「マゾ企画」と称した、ものすごく手間のかかる「くるみ餅」。そして、さきほども触れた「音の葉コンサート」。
スペースの場合は。なんだろう、やっぱり距離を近くし「孤独じゃない状態」にすることだろうか。うちみたいに狭さがそういうメリットを出すところもあれば、定期的に集まってもらって顔を突き合わせるのでも可能だろう。
ノラヤの場合、運営者が経営が厳しいアピールをやたらしているので、みんななんとかしなきゃと思ってくれているというのもあるかも。まったく自慢できないけど。

というわけで「消費者的な人格」「受贈者的な人格」という二つの言葉に着目して、コワーキングスペースのコミュニティを中心に考えてみたんだけど、
「そうか、ノラヤでは消費者的な人格に基づいて行動する人が少なくて、受贈者的な人格を引き出すことができていて、すごくいいコミュニティができているんだなぁ……」と、実感することができて、非常に励みになり、今後ともがんばっていこうかと思えたのだった。
受け取った贈り物はまだまだ、いっぱいあるし、ね。

ぼんやりと確信。
「消費者的な人格」に基づいて行動するメンバーが多くなると、コミュニティは崩壊する。
これは、職場でも学校でも友人でも家庭でも、どんなコミュニティでもあてはまる気がする。いろんなケースを頭に思い浮かべて、「ああ、そうか」と納得が行った私である。

他にもこの本には触れたいポイントがたくさんあった。

  • セキュリテ被災地応援ファンド(知り合いコミュニティが関わってるし私も少額ながら買ったので)
  • 地域通貨(多くは続かない理由がばっさりあって痛快)
  • コンビニとの比較(ちょっとモヤモヤ)

でもだらだらと長く書いてしまいそうになったのでこのへんでやめる。
あまりにも書きたいことが多すぎて、書いては消し書いては消し、して、3日以上もかかってしまったよ……