「空飛ぶタイヤ」−−私も強くなれるだろうか
「かあちゃん、最近イライラしすぎだよ」
「かあちゃん、キレやすくない?」
「かあちゃん、お酒飲むのやめなよ」
息子がそんなことを言い出した。なにを言うか、イライラの原因は君ら家族にあるのに…それに別に酒量増えてないし…と、言い返して、はっ、と気付いた。そうだ確かにイライラしている。
この春から、また一つ仕事がなくなった。
コワーキングスペース運営でも、相変わらず赤字だし、利用者との対応でしばしばストレスが生じるようになった。そして次々とできる仙台のコワーキングスペース。激化する競争。
売上減。コワーキングスペース運営の困難。
なんとかしなければ。でも、打つ手はない。私がなにか仕事を、と思うのだが、コワーキングスペース運営と家庭をやっていると実質、何もできない。
唯一やりがいを感じているのがアルバイト。アルバイトがあるから救われている。
池井戸潤の本をまた読んだ。図書館で借りて。
池井戸潤の本については、前にも書いたけど。
だいたいのパターンは決まっている。主人公らが、困難にぶちあたる。それを解決することは到底無理のように思える。でも、それを乗り越えていく。楽になれる誘惑も訪れる。だが、絶対自分にはできると信じて地道にやりつつける。そうすると、パーっと道が開けるのだ。その展開の開放感が、「ああ、よかった!やった!」という気分が、たまらない。
今回の「空飛ぶタイヤ」、これはこれまで読んだ池井戸潤の小説の中でも、格段にきつかった。
主人公の運送会社社長、赤間は、社員が起こした事故の原因が自社ではなく、大手車両メーカーにあるのではと疑い、調査する。そんな赤間にはこれでもかというぐらい次々と、困難が遅いかかる。事故が起きたからだけではなく、大企業にたてついたから、自分たちは悪くないと主張しているから。会社もそうだし、プライベートでも大変なことになる。糞なモンスター親の攻撃にあい、家族ぐるみで居場所がなくなる。読んでいて本当に辛い。ここまで周囲を酷い人たちだらけにしなくても、いいじゃないか。あんまりだ。困難がじわじわ積み重なり、もう死ぬしかない、普通の人なら精神状態おかしくなってるでしょ、というところまで追い詰められる。
でも、最後にきっと主人公は勝つ。そうわかってるから、読み進めることができた。
やっぱり、困難続きの自分の状況を、重ねてしまうのだ。
強いもの、大きいものが勝ち、弱者は淘汰される。ちくしょうっ!でも、果たしてそうだろうか。自分の辛い状況ばかりに意識が行ってないだろうか。
「空飛ぶタイヤ」の赤間は、なぜ最後に勝ったのか。当たり前のようにまっとうに仕事をし、正しいことを正しいと主張してきたからだ。
それができなければ、勝てない。
当然だ。
私は、まっとうに仕事をしているだろうか。正しいことをしているだろうか。へとへとになるまで仕事?してない。脳汁が絞りきれなくなるまで考えてる?考えてない。まだまだ、まだできること全然やってないじゃん。
赤間には信じてくれる家族と、社員の仲間がいた。それが勝利への力になっていることは間違いない。でも、たとえたった一人でも、赤間は同じようにしただろう。
たった一人でも、最貧でも最弱でも、自分で考えて道を作るしか、ないんだよなぁ。
池井戸潤は、一貫して「お金」が重要な鍵となっている。ぶっちゃけ金の話ばかりだ。でも、それは正しい。お金がないことがいちばん辛いし、お金がないことであらゆることがどんどんなし崩しに悪くなる。私も日々、それをじわじわと実感している。ギブミーマネー。でも、天からは降ってこない。
ほんど、どんづまりだ。行き止まりだ。でも、いつか勝てる。口先だけでも、そう言い続けなければ。池井戸潤の小説の主人公たちのように、スラスラと弁は立たないが。
ささやかだけど、酒を減らしてみる。翌日バイトのない週4日はビールを飲んでいた。それを週2、3日だけにしてみた。