人はエラーを起こすのだから
こんなもめごとがあった。
家人が、飲み終わったペットボトルのフィルムをはがし、そこに食品ではない液体を作って入れた。まぁ、毒ではないんだけど。
「これ、のめないものが入ってるから」
と、私と息子に言って、そしてそれを他の飲料と並べて冷蔵庫に入れた。
うわっ、やめてほしい。
私は、
「ペットボトルに飲めないものを入れたらだめだよ。間違うでしょ」
と言ったが、「だから、飲めないよって言ったよ。こんなラベルはがしたやつ、誰も飲まないでしょ」
と、言う。
そして、「じゃあこうすればいいのかよ」と、黒マジックでボトルの外側に中身の名を書いた。
「うーん。でも、それが見えなければ意味ないでしょ。誤解を誘発するような入れ物はダメだよ」
と、私が渋い顔をしていると、
「ハンッ!これでも間違って飲んで死ぬようなバカは、それで死んだっていいんだ!」
と言う。
なので彼がいなくなってから蓋にもシールを貼って「くちにいれない」の絵を書いた。
冷蔵庫で、なるべく飲料から遠ざけておいたが、彼が使用すると場所が変わるので仕方がない。
私は、神経質だろうか?
でも、文字を読むとか、外見で中身を推測するとか、けっこう高度だと思うのだ。冷蔵庫にペットボトルがあったら、飲み物だろうと一瞬でも感じてしまう、その一瞬は排除したほうがいいと思うのだが。
どうして自分が間違いを犯さないと信じられるのか、わからない。
私は明日の自分が、今と同じように判断ができて、今と同じように文字が読めて、今と同じように動けるか。まったく自信がない。
人はエラーが起きるし、壊れる生き物だ。
病気で、薬物(違法とは限らない)やアルコールで、精神状態で、環境で。
たとえば酔っ払って、冷蔵庫を無造作に開けてペットボトルを手にして、という状況、容易に起きそうなもんだが。(などと言うと「あなたじゃないからそんなに酔っ払わない」というだろうなぁ)
具合悪くなって、熱で朦朧としたときにも、起こりそうだ。
だから、エラーが起きてる状態でもなるべく間違わないよう、事故の芽は摘んでおかなければならないと思っている。
だけど、ふつうのIT系などPCやネットの仕事をする人がそれを実感する機会は、ないのだろう。危険な薬物や食品を扱う仕事ならまだしも。
厚労省のサイトに、ある。
液状薬剤の誤飲による災害防止について
飲み物と同じ入れ物に入ってる薬剤をのんじゃった事例だ。
「飲むようなやつが、バカだからだろう」で、済ませていいのだろうか。
上記PDFに書いてあるとおり、対策は
- 飲料用の空容器を液状薬剤の小分け容器に使用しないこと。
- 液状薬剤の容器は、小分け用のものについても他のものとの誤認のおそれのない専用容器とし、容器に内容物、有害性、取扱上の注意事項等を明確に表示すること。
- 液状薬剤等と飲料とは、保管場所を別にすること。
なんだけど…
あーあ。