仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

肌が触れ合いそうな銭湯で

銭湯は、いい。でかいところじゃなくて、うっかりすると人と人とがぶつかってしまいそうな、銭湯や共同浴場のことだ。
でかいスーパー銭湯などのお風呂は、泡を飛ばして髪を洗い、ジュースを持ち込んで、脱衣所を水浸しにしても平気なところになってしまった。家庭の風呂シーンを公に持ち込んでそれが当たり前の場になってしまった。
そういうところじゃなく、自分のちょっとした振る舞いが人に迷惑をかけてしまうかもしれないと思いながら、行儀よくお風呂にはいんなきゃいけないところ。他人の空気を感じつつ、あくまで共同の場で楽しみつつふさわしい振る舞いをする。そういう体験は大事だなぁと思うのだ。大事って何に役に立つんだと言われそうだが、何か役に立ってる気がする。ああそう、共同生活で得るものと、けっこう近いかも。

私は生後3ヶ月で、遠野の祖母のところに預けられた。看護師だった母は出産後すぐ仕事に復帰、大変だと言ったらホイっと祖母が遠野に連れていっちゃったわけである。
祖母のところは風呂なしアパートで、当然のごとく、祖母と銭湯に行った。祖母が身体を洗っている間に脱衣所に放置しておくと、番台の人をはじめ周りの人が、ニコニコと見守ってくれたそうだ。それからも何度も遠野に行き、銭湯は遠野の大事な思い出の場所になった。

私は遠野の銭湯のおかげで、銭湯のマナーを覚えることができた。なにしろ祖母は怖かったのだ。騒がない、静かに振舞う、ちゃんと挨拶する、脱衣かごの脱いだ服は人前にさらさないためにバスタオルをかける、やたらお湯を使わない、周囲の人にかからないよう注意する、湯船に入るときも静かに、湯船のふちにこしかけない、自分のいたところの泡は綺麗に流す、自分の座った椅子や風呂桶は流してから片付ける、身体を拭いてから上がる、脱衣所に雫はたらさない、着替えの時も身体の前面はなるべく人に見せない、etc。一方で、銭湯には赤ちゃんもお年寄りもいろんな人が来て、それをみんなでやさしく見守っていた感じがある。マナーは守りつつ、多様性は受け入れるという感じ。
裸のつきあいは大学生の時再び体験することになった。寮のお風呂だ。銭湯より狭く、掃除をするのも自分たち寮生なので、やっぱり迷惑にならないようにふるまい、なるべく綺麗につかいましょうという口に出さない決まりがあった。なにか間違っているときは、先輩に注意されたし、自分が先輩になったら後輩を注意した。
でも、銭湯も、寮のお風呂も、楽しかったなぁ。マナーって、決して堅苦しいもんじゃない。この気持ちいい空間を誰かとわかちあうために、ちょっと気をつけなきゃいけないだけ。弱いものは見守り、間違っているものはみんなでただし。優しい空間だった。

飯坂温泉の鯖湖湯に行った。張り紙があった。地元の小学生が今度体験学習の一環で入りに来ますのでよろしくお願いします、というものだ。へぇ、いいなぁ。思わず、にんまりした。子供たちは、銭湯の入り方を教わるのだろうか。幸せな子たちだ。

UA主演の映画、「水の女」は銭湯が舞台だ。その中で銭湯の歌(?)が出てくる。入浴客がひしめきあう裸だらけの画面に
「銭湯すたれば、人情すたるぅううう♪」
と、銭湯の人情を綴った歌をおじいちゃんが延々と歌うシーンがある。(サントラに収録されているらしい。今度買おう。菅野よう子だし)
どこのサイトだったか忘れたけど、共同浴場でのマナーとかこれはやめてほしいとかを列挙したウェブがあって。
そこに「おむつの取れていない赤ちゃんを入れるなんて最悪!」というのがあって、「えっ!?だ、駄目なの?」とびっくりした。やっぱり、もうスーパー銭湯とかでかいところは、弱いものを見守るとか、そういう場じゃなくなっているのだ。人情すたれちゃってるよなぁ。

近所に銭湯はなくなってしまったから…ときおり、小さな共同浴場へ行こう。人情を思い出すために。こんにちはって声かけて、気軽に言葉もかわせるようなところに。