仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

死んだら誰に…?

実家の母から手紙が来た。

以前から、自分になにかあったときのために親しい友人の連絡先を教えておくから、と言われていた。
母は文芸活動やら政治活動やらいろいろ顔を出していて、人望も厚いため友人が多い。しかしその友人も皆後期高齢者になって頼れる人がどんどんいなくなる、と電話のたびに愚痴っていた。その親しい友人リストもやや年下くらいで皆高齢者だ。
仕方ないよなぁ。

と、その手紙の片隅に私を固まらせる一言が書いてあった。

 

「あなたの友人の連絡先も教えてね!」

 

うむ、む。そりゃそうだ。私になにかあったら家族には連絡が行くだろうが、その後。誰に連絡すれば?となるだろう。

 

さあ困った。
友人がいない。
ほんとうに、いない。

家族以外の親しい人がいない。

 

思い起こせば、大学生の時から友人と呼べるような人がいなかった。大学では寮にいたので顔を突き合わせ喋ったりご飯食べたり遊んだりはあったが。サークルでも、一緒に遊んだりケーキ食べたりはしたが。いずれも、卒業で離れると繋がりがなくなってしまった。
なんでも言える友人、辛い時に寄り添ってくれる友人、間違った時に引き戻してくれる友人、困ったときにかけつけてくれる友人、そういう歌の歌詞とかドラマに出てくるような友情、考えてみたら全然そういうのとは縁がない。

ママ友もできなかった。

でもそういうのなくても全然困らなかったなぁ。寂しいと思ったこともないし。「知り合い」レベルがいればいいじゃないかと思っていた。 

 

SNSでつながっている人はたくさんいるんだよね。
コメントしたりいいねしたり。リアルで一緒に飲んだりする人も数名いるけど、やっぱり「知り合い」レベルだろう。

なんかあったときに知らせたからって、「え?私にどうしろと?」って驚かれるだろう。重すぎる。

 

例えばFacebookでは自分が死んだときに追悼アカウントを管理する人を設定できるが、それに相当する人をまったく思いつかない。
twitterでは「〇〇の家族です。この度…」と家族が本人アカウントで投稿しているのをたまにみかけるが、あれは一体どうやっているんだろう。PCやスマホをロックしていないんだろうか。
もし息子にお願いするとしたら、死んでから私の指紋でロック解除…ああ、だけじゃだめだ、パスコード要るんだった。体にチップ埋め込んで死んだのを感知したら「死にました」って通知して息子にだけロック解除してくれないだろうか。

 

そういえば、私は財布に緊急連絡先を書いた紙を入れているのだが、家族以外に伝えて欲しい人として書いてある人が、いまや数年会っていないし連絡もとってない人だ。いかん。削除しとかないと。

 

かつて、大学で一緒に仕事していた人は「私が死んでも誰も悲しまない」と言っていた。「そんなことないです」と言ったけど、その人が死んだ時の葬式は本当にさみしかった。
どうも最近私も「私が死んでも誰も悲しまないし困らないし世界も変わらない」という気持ちになってきている。
ということは、なんかあったとき家族だけ知って他に誰も知らないという状態でもたいして支障ないのでは?

幸か不幸か、たいして大事な仕事も役割も担っていないし。社会から孤立してるって、こういうことで実感するのかもしれない。

 

とりあえずインフラ手続きなどのリストは作っておいたほうが良さそうだな。