仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

死ぬかと思った雪中バイク

バカである。

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酒好きが何かと理由を探して飲むように。ランニング好きが隙間時間も走るように。この寒く雪も降る季節に「乗れる」と思ってバイクで出勤した。そこから間違いだった。

 

2020年の暮れも押し迫った夕方に死ぬかと思ったので書いておく。いや死にはしないだろうけど怖かった、まじ怖かった。

 

12/30。その日の路面は乾いていたし気温の予想も高めだった。私は仕事へ向かう嫌な気持ちを少しでも楽にしたくて、そして物理的な体の負担も減らしたくて、所要時間の短いバイクでの出勤を選んだ。所要時間はせいぜい15分。冬用防寒ウェアを着込めば歩くより寒くない。

朝の青葉通一番町駅地下駐輪場は利用者が少なかった。私は「仙台市民はヘタレだから冬バイクに乗らないんだよね。私なんて車ないから年中乗っちゃうよ。気合が違うよ」などと内心うそぶきながら駐輪し防寒具を脱いで出勤した。

 

どうやら雪が降ってきたらしい、と、勤務中に気づいた。

17時に退勤。もさもさと降ってくる雪。すこしだけみぞれ雪が積もった道路を見て一瞬「バイク置いて帰ろうか」と思った。しかしこの後の天気予報は厳しい雪と冷え込みを伝えている。最悪、再度バイクを動かせるのは5日くらい後になってしまう。歳を越してしまう。駐車料金が5日分かかってしまう!100*5=500(回数券なので)。

息子にLINEで聞いてみた。「そっちは雪積もってる?」返事が来た。「積もっているってほどじゃない。びちゃびちゃ系」凍ってないなら、大丈夫だ。私は500円が惜しくて乗って帰ることにした。息子からは「くれぐれも安全運転で、やばそうなら押してきてください」と。おいおい簡単に言うなよ。雪の中押すぐらいだったら置いて帰るっての。

バイクに乗らない人は押すことがどれだけ大変か知らないよな。そう、息子はバイクに乗る人じゃないのだ。バイクに乗らない人の判断に頼ってしまったことを、私は10分後に激しく後悔する。

ヘルメットに付着する雪を時折グローブで払いのけながら、安全運転で走った。しかし青葉通りを抜け広瀬川を渡るころから、様子が変わる。路面が白くなっていった。

私は忘れていた。さっきのLINEから時間が経過していることを。そして時間が経てば雪は積もる。当たり前だ。

さらに。私の自宅は少し山の方にある。そちらに近づくと、気候が違うのではと思うくらい、気温も下がるし、雲も増えるのだ。

ゆっくり目に広瀬川にかかる橋を渡り、交差点は白線で滑らないよう細心の注意を払って曲がった。まだ、走れると思った。

ところが。家の近くまであと数百メートルという頃。どんどん積もった湿り気のある雪は、完全にタイヤの溝を埋めていった。ある交差点で、

「ゆるゆるゆる~っ」

と、後輪がふらついた感じがした。滑った!転ぶ!?

背中に一気に冷汗が流れた。

やばい。

なんとかもちこたえ、少し走って、止まった。全身ガクガク震えた。

エンジンを止めてサイドスタンドをかけて、バイクを降りて周囲を見渡した。

雪は5cmくらい積もっていた。なんてこった、わずかの時間でこんなになるなんて。こんな中走ったことないよ!転ぶの前提の林道の中なら雪の中連れて行かれたことがあるが、あれはなんかあったら助けてもらえる体制ができていた。ひとりでアスファルトの公道を走るのとわけが違う。

この後の自宅までの道のりを思い描いて、愕然とした。S字カーブを伴う、かなり急な下り坂。しかも幅3メートルもなく、一方通行ではない。前後から車が来る可能性のある中、バイクを持っていけるのか?!

あの坂を行ったら、確実に滑る。乗っても押しても止まっても滑る。エンジンかけていなくても、バイクが重力につられて、すべるにきまってる。

無事に通り抜ける自信がまったくなかった。

悩んでいる間にも、雪はもっさもっさと降り続いて道を覆う。

そこでバイクを路肩に駐め、レスキューでもなんでも呼べばよかった。 鍵かけて放置でも仕方なかっただろう。でもそんなことしたら盗まれるし、そこは狭いのにバスも通る道だ。甚だ迷惑だ。

なんとかバイクは持って帰ろう。押しても、家までは。私はまたも判断を誤った。

 

ふたたびエンジンをかけ、ゆっくりと路肩を走った。そして恐怖のS字の坂に来た。恐怖で固まって動けなくなった。だめだ。坂の途中でまたエンジンを止めた。サイドスタンドをかけたが、その状態でも転ばしそうだ。雪がどんどん積もる。前に通った車のわだちすら白い。だめだ、ここにバイクを置く?無理、まったく路肩に余裕がない。ひとの土地に置くわけにいかない。

押そう。バイクを降りクラッチを入れ、すこしずつ押した。足が滑ったら終わりだ。ゆっくり押して下りた。

あんのじょう、クラッチ入っていても、タイヤはどんどん横滑りしていった。このまま加速していったらバイクはがっしゃんと横に流れてしまう!

私がハンドルを握っているのはもうバイクではなかった。ただの、橇だ。押しているわけでなく、ただ、滑って、落下していった。

速度が増した。駆け足になった。雪の中、バイクと私は一体となりズルズルと…

 

途中のことはよく覚えていない。おそらく1分もない時間が経ち気がついたら、坂の下にたどりついていた。どうやら私は無事坂をバイクを転ばすことなく降りることができたようだ。

震えながらバイクに跨りエンジンをかけた。すっかり雪に埋もれた家までの道を、ゆっくり低速で走った。最後に家の前にバイクを移動するのにも非常に苦労した。段差を乗り越えるスロープが金属で、スリップしそうだった。

またもどうやったか覚えてないけど、私はなんとか家の横に駐輪することができた。

死ぬかと思った。

いや、死にはしないけど、ほんとに、ほんとに怖かった。

 

あの坂から自宅まで、車が一切来なかったのが本当に奇跡だった。

バイク歴30年、私は立ちゴケも走りゴケも未経験だ。事故ったこともない。怖い思いを私はちゃんとしていないがために、こんな無理をしてしまった。

歳を取ると経験を重ねて慎重になるというが、「大丈夫」という経験を重ねてしまうと、むしろ無理をしてしまう。

そこで、大丈夫だとおもってなんかやってしまって、じじいやババアは命を落としてしまうのだろうなあ。いやそれならまだいい、他人の命を奪ってしまったら。

気をつければいいってもんじゃないのだ。

 

不思議なことにこんな経験をしても「もうバイクには乗らねえ」という気には一切ならない。だって生活手段だもんなあ。

老人が免許を返納しないのも、車がない生活が選択肢にないからだろう。

 

息子には「かーちゃんは絶対バイクで死ぬ」と言われているが、死ぬならいいけど(良くないが)重い後遺症を負って息子にフル介護の負担がかかる可能性はとても高い。

改めて、自分の中の「歳食ったが故の無謀さ」が存在することを実感した。

ああ、怖かった。