仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

グリーングリーン・その2

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その1はこちら。

monyakata.hatenadiary.jp

 

実家でも仕事できる環境を作りたくて、数十年物置と化しているかつての子供部屋の片づけに手をつけた。
膨大なものに溢れている。知ってたけど見ないふりをしてた。弟のもの、私のもの、母のもの、実家に息子が遊びにきていたときのもの…母にも手伝ってもらおうとしたが、案の定、いろいろ懐かしいもので手が止まる。私も弟の模試の結果を見つけて「よくこの成績で現役合格したな」と弟に写真撮って送ろうとしてやめた。高校の文化祭のパンフレットまであった。懐かしい。ああ、やっぱダメだ。片付けを一旦諦めて、居間に戻った。


しばらくして、母が「おもしろいものを見つけたよ!」と封筒を持ってきた。
それは古びた田沢湖観光協会からの郵送物。
「あなたのエッセイを優秀賞に選ばせていただきました。つきましては…」

母がエッセイを書いて、こちらが募集していた企画に送ったようだ。
田沢湖の観光案内のパンフレットと、賞品にきりたんぽとだまこもちを送ってもらったらしい。
そして母は送ったエッセイをプリントアウトして同じ封筒に入れていた。

『今年、母が八十歳になった。そこで傘寿祝いに…』
それはたしか2000年に祖母と母と私で三人で乳頭温泉卿へ旅した道中記だった。
思い出した。そうそう!妙の湯に泊まって、真っ暗な中混浴の露天にも入った。歩いて蟹場温泉や黒湯に行ったんだよね。そして田沢湖の遊覧船。祖母は怖いからと船に一度も乗ったことがない人だった。でもこの時は説得に負けて乗り、乗った後は景色の美しさにひたすら喜んでいた。らしい。実は私は温泉のことしか覚えていない。
「わたし、なにかでこれの募集を見つけて送ったんだねぇ。でもなんで送ったんだろう。忘れていたよ」
と母は言うが、母は投稿好きで、文章を送っては掲載されたり賞を貰ったりしている。そりゃ全部覚えてられないよな。

 

それより、その時の祖母が八十歳ということに私は小さな衝撃を受けていた。実は母もあと数ヶ月で八十歳だ。なのに、遊覧船どころか長時間車にも乗れない。近所のコンビニまでも行けなくなっている。母の八十歳祝いは何ができるのか。温泉にも旅行にも行けないのか。それは寂しすぎる。

これまで私は自分のことで精一杯だった。育児、家庭、そして仕事では充分な収入が得られない日々。親はお金もあるし別に病気でもないし。とあまり顧みないでいたら、いきなり介護が必要になった。
たのむから回復してくれ。そして旅行に行こう。私も10年しないうちに「シニア」だ。私のほうが不健康な生活してるしいつ要介護になるかわからん。できるだけ早く。

 

ありがたいことに母は徐々に徐々に良くなってきた。

家の敷地内しか歩いていなかったのに、少しだけ外の道路を往復できた。そこで近所のスーパーにタクシーで行って、短時間だが店内を歩いて買い物をした。

「ああ、4ヵ月ぶりに世間の人を見た。みんな適当な格好しとるな」などと言うので
「スーパーだもの、あだりめだべ!(当たり前だ)」と笑って、見た目を気にする母らしいコメントだなと思った。

少し前まで、ただ「痛い、痛い」と痛みに集中して無駄な医療情報を検索し、ひたすら辛い顔をしていたのに、やっと母は「やりたいこと」を口に出すようになってきた。

「わたし、あれが食べたいの。ジャスコ(今はイオン)の2階の、ごま味噌ラーメン」
なんてことないデパートのレストランのラーメンだ。

よしよし、こんど行こう。タクシーに乗ってイオンに行ってお昼そこで食べよう。

 

希望を持てっていうけどさ、希望って心と体に余裕がないと出てこないもんだよな。

 

「ねえ、この喫茶店雰囲気いいね!ここに行こうよ」

母がフリーペーパーの記事を見ながら言った。盛岡の老舗の喫茶店の紹介だった。
「おお、いい雰囲気だね。盛岡らしい」
「あら、ランチが680円!やすーい」
「ふむ、仙台だば980円はするな」

「よし、なんとか腰を治して行くぞ。新幹線に乗って、ここに行こう。そのときは」
母は、にやりとこちらを見て、言った。
グリーン車で行こう!」