「パラレルキャリア」ナカムラクニオ
最近、ちょこちょこ目にするなぁ、と思って図書館で借りてみたんですが……
いろんなお仕事を個人で持つのが当たり前になってくる、そのことについてまた新しい知識が得られるかなーと。思ったんですが。
うーん、正直、かなり期待はずれ。
短いお話(2ページ弱)が、100本。これ、ブログ連載かなんかをまとめたんでしょうか…
導入、実例、結論がパターンなんですが、実例がまず知ってる話(偉人?)が多くてたいして驚きがない。それに、それ「いろんなお仕事を個人で持つ」ではなくて、1つの仕事では食っていけない(または、まだ食えない)から、そっちの仕事もしているんじゃない?と思えるものも、パラレルキャリアの実例だ!と出しているように思えて。(しかも同じ例が複数回出てくる。)
そして、文章がつっかかる。この話が出て、こうなって、あれ?なんでその結論になるの?関係ないんじゃ……っていう感じが続く。語尾が「思います」ばかりで説得力がないのも、落ち着かない。
「最近、よく使っている情報を伝える【3Sの法則】があります」
これ、すんなり読めます?私だったら書き直すなぁ。
1/5読んでやめたくなり、なんとか最後まで読んでみて、「あ、これ、自己啓発系ブログの構成だ」と気付きました。やたら多い改行、一行あける、途中に太字。
あと著者も書いてるけど言葉にドライブさせてます。
「ビックリウェーブ」「スキスキマーケティング」「ねばねば主義」「ツッコミビリティ」「年中夢中」「フローライフ」などの、聞いてると首周りがもぞもぞする言葉が次々と。
ツッコミビリティはツッコマビリティのほうがしっくる来るのは私だけだろうか。
フローライフのところのフローの説明もなんだかしっくりこない。
読んでいて膝を打つことも新しい知識を知って視野が広がり楽しいこともなかったので、残念ながら私には合わなかった本なんだと思う。おそらく私がこの本でいうところのパラレルキャリアをもう長いこと実践しているから、というのもあるだろう。ただ私の場合はそうしないと収入が得られないからで、なりゆきと仕方なくの面が多い。パラレルキャリアだ、なんて胸張って自慢できる状態じゃない。たとえそれぞれの仕事から得るものが多く、互いに生かせるとしても。
だって、時間も精神も非常にすり減る状態なのだから。
「20代で隠居」…欲望まみれを自覚
図書館で50人だか待ちでようやく借りられた本です。
大原扁理さんは、phaさんがNHKのハートネットTVに出た時に出てきた人で、気になっていた。phaさんと仲良しな人はたいてい面白い人だから。
週休5日、である。家賃が25000という格安の物件に住んでいるにせよ、一体どうしたらそんな生活ができるのだろうか。うらやましい。
しかし読んだ結果、うらやましい気持ちは消えた。
大原さんの隠居を可能にしているのは、とにかく「欲を無くす」ところだ。一ヶ月の支出や献立などをつまびらかにしているけど、
「はー………」
としか、言えない。
家賃25000円で不便なところに住むのも、週に2日だけ働くのも、いいなぁ、と思う。朝起きて、ラジオ体操して、足湯して、散歩して、夜は早く寝るとか、素敵だと思う。
けど、こんだけ欲と無縁な生活しなきゃいけないのかと思うと、やっぱ「無理だわ」となる。
とにかく肉は食べない。晩酌もなし。基本は玄米、野菜、野草、そば。おやつもしるこサンドぐらいだし……外食もジャンクフードも食べるよと書いてあるけど、頻度は月に数回くらい。
とりあえず「食」について無欲な時点で、私には無理だ。私はあらゆる欲の中で食欲が突出している。うまいもの食べたい。あれもこれも食べてみたい。そしてお酒が飲みたい。ビール飲みたい。この世においしいものがあるなら食べなきゃ損じゃん!
さらに大原さんは物欲もない。あれしたいこれしたい欲もない。世界一周したそうだからそれで満足してしまったのだろう。その達観した境地にはちょっとあこがれるけどやっぱり私には無理。
私の欲は、悲しいかな、リアルな体験に結びつくものが多い。
基本的に「新しいものを知りたい。面白いものを見たい。体験したい」ぶっちゃけて言うと様々な幅広い意味で「快感を得たい」欲があると、お金とリアルに動くための時間が食われる。これは、清貧とは両立しない。でかけるにも金がかかる。体験するにも金がかかる。
欲しいものがネットや文字で手に入る人ならいいのかもしれない。大原さんみたいに本をたくさん読めれば知識欲が満足するみたいな人ならいいのかもしれない。
でも、私は、体験したい。
肉が食べたい。うまい魚も食べたい。季節のおいしいものを食べたい。自分ですっごいおいしい料理作って食べたい。その時期に発売されたお酒を飲みたい。コンビニの新製品は試してみたい。美味しいものの産地に行って美味しいものを食べたい。新しい飲み屋さん開拓したい。
ツーリングに行きたい。キャンプに行きたい。温泉に入りたい。マッサージされたい。寝たい。散歩したい。昼寝したい。知らない場所に行きたい。湯治したい。一人旅したい。
ライブに行きたい。新しい素敵なアーティストの音楽聞きたい。面白いイベントがあったら出たい。面白い取り組みをしている人に会いたい。東京行きたい、外国行きたい、四国に新潟に行きたい。
綺麗な夕焼けが見たい。飛行機に乗りたい。新幹線に乗りたい。船に乗りたい。ビジネスホテルに泊まりたい。綺麗な海が見たい。見たことのない景色を見たい。
……と、まぁ欲望まみれなわけだ。
「〜たい」を列挙していたら、岡村靖幸ちゃんの「愛はおしゃれじゃない」の歌詞みたいだと思った。そういや岡村靖幸ちゃんの歌には「〜たい」が多い。*1私が靖幸ちゃんの歌が好きなのは欲望に素直で渇望し続けているからかも。
こういう清貧の方々によく見られる、オーガニック礼賛な部分にも同意しかねると感じた。重曹が出てきて「またか」と。重曹って別に魔法の粉じゃなくってアルカリだからでしょー。私も時には使いますけど、なんでも重曹で洗剤否定のこだわりは特にない。
あと「無農薬の国産のものを」って繰り返しているのも、うーん。それは立派なのかもしれないけど、農薬使わないと非常に大変なことを私は畑をやって知っているので、一律に農薬はいかん、無農薬素晴らしい!というのはある種の思考停止を感じてしまうのであった。
ただし、大原さんはあまりこだわらない。しんどければやめるし人にも合わせるし例外もある。そのへんの柔軟さはよいことだと思う。人におしつけてもいないし。
大原さんと私は似ているところもある。他人と距離をとりまくるところ。付き合いが非常に悪いところ。人からの誘いは断りまくる。知り合ってしまったら近寄るなオーラをだしまくる。
これ、まったくもって私と同じだ。できるだけ多くの人とお友達に!というSNSの思想とは逆。 その理由は、私の場合、単にうっとおしいというのもがるけど、他人と関わることで自分の自由が減って身動きが取れなくなるのが嫌だから、かなぁ。
大原さんは「人と関わる欲がないから」のように思える。
欲を持ったまま好き勝手に自由でいたいと思ったら、結局お金と時間がないといけない。そして私は今後も、それらを渇望し続けることだろう。
まぁ、大原さんみたいな生き方もいいよね。自分が欲望まみれであることを改めて実感した本でした。
なお、大原さんは最近もう一冊本を出した模様。
私としては、こちらより「(性欲も少ない大原さんが)デートの前にリビドーを高めるために読む」と紹介されていた叶恭子の本が読みたい。
どうせ私は欲まみれなのだ。
*1:もっとも「愛はおしゃれじゃない」の歌詞は靖幸ちゃんじゃないけど。
飲み過ぎダメ人間の記。
7/16(土)は飲みに行った。そして翌日17日の2時過ぎ帰って来た。
それから17日いっぱい、二日酔いで苦しんだ。固形物がいっさい摂れず、水もなんとか飲んだけど吐いてしまう状態になってしまった。
なんでこんな飲み過ぎてしまったのか。
16は昼間ちょっと疲れる行事があったので、夜に飲みにいく楽しい予定を入れておいたのだ。
初めて入った一軒目は2人で飲むつもりが1人になってしまった。悔しい。しかし偶然知人にも会えてまたマスターと共通の話題でももりあがって、たいへん楽しかった。
そのまま帰ればよかったのに、いい気分になってふらふらと歩いて、なんとも楽しげな一角をみつけてしまった。店の外に人がはみ出してグラス片手に犬を囲んでいる。犬好きの私は勢いで仲間に入れてもらった。ピザとワインの立ち飲みのお店。入ったら飲まずにはいられない。ワインとピザをぺろり。この頃から記憶が怪しい。しかしカウンターにいた方々といろんな会話をしたように思う。なにを喋ったかは覚えてない。すごくすごくピザがおいしかったことは覚えている。
そのお店を出て、帰ればよかったのにもう一軒行きたくなって、前に連れて行ってもらったバーに行ってしまった。そこでも偶然、以前行ったお店のご主人が飲みに来ていて、ろれつがまわらないままお店を絶賛していたように思う。
そこからよりによって徒歩で家に帰ってしまった。タクシー代がもったいないと思ったのと、自分は全然元気だと思っていたのと。よく無事だったとあとからおもうとぞっとする。
iPhoneには撮った覚えのない写真。Evernoteにはなぜだか書き留めた男性の名前。そしてFacebookに知らない人から友達申請……
んで、この手の失敗すると、たいてい、数時間寝て目が覚めてしまい、そこからものすごい悪い気分に襲われて最悪な状態になるのだ。アルコールはうつ状態をひきおこすって聞いたことがあるけどそんなかんじ。自分は酔って酷いことをしてしまったあんなことしてしまったこんなこともしてしまった、一歩間違ったらあんなことしたかもしれない、こんなことしたかもしれないと、覚えてないくせに想像でぐるぐるぐるぐる悪いことばかり考えてしまうのだ、数時間にわたって。
そしてようやく寝て、起きると、もうなにもできない。水を大量に飲まねばという理性だけで、飲んで、寝て、吐いて、寝て、飲んで………
二日酔いしてもたいてい午後には回復するんだけど、夜までダメという事態は久しぶりだ。
当然すべての家事は放棄。お金を渡して夫と息子には自分でごはんを食べてもらう。具合悪い、死ぬほど具合悪い。絶対インフルエンザで熱出したほうがまし。でも病気じゃないから家族は誰もいたわってくれない。息子からは軽蔑の眼差しが注がれる。
「ぽんこつだな……フヒヒ」
具合が悪くなると、なぜか息子が神々しいぐらいかわいくてありがたい。
「ああ、こんな立派な男の子に成長してくれて、本当にありがたいことだ素晴らしいことだ……」
口では笑っていても心配してくれて、息子は「このゼリー食べなよ」などと言ってくる。またそれがありがたくてありがたくて仕方がないがゼリーすら食べられない。
しかし、そんな自分がどんな悲惨な顔をしているかと鏡を見れば、ここ数ヶ月見たこともないような、すっきりしたつやつやした満ち足りた顔してるんですよ。
あの6時間弱、たしかに私は最高にハッピーだった。家庭も仕事も人間関係も自営業もすべての悩みを忘れて、ただの一個人として偶然の出会いに満ちた時間を楽しんでいた。だから1人飲みっていいんだよな。
なにをやっても消えないストレス、悩み、どんづまりの人生。そんな中から私はあのとき、無重力にいるかのように、自由を謳歌していたのだと思う。
しかし、だ。
そんな時間は私には必要だったかもしれないが、その代償がこんなに苦しいのはまずいじゃないか。楽しい思いをしたらそのまま翌日も楽しく過ごしたいじゃないか。
今後も楽しくお酒を飲んで幸せに翌日を迎えるにはどうしたらいいんだろう。
今回だって最初から水を一緒に飲んでいたし、ブドウ糖も摂取したし、私なりの対策は考えていた。のだけど、量が多すぎた。
飲みはじめるとセーブできない。監視つきは嫌だ。ならば、やはり自重できるようにならないといけないのである。
そもそも、今回のように1人で自由に飲みに行ける機会が数ヶ月に1回しかなくて、「このレアなチャンスを思いっきり楽しもう」という考えになり、だから行けるだけ飲もうということになったではないだろうか。普段から「飲みに行きたい、飲みに行きたい、飲みに行きたい(以下無限に繰り返す」そればっかり考えていて、やっとのことで欲望を爆発させてしまったのかも。
では、普通の人たちのように、日々気軽に飲みにいけるならこんな失敗はないのだろうか?
いや、そんなことはない。飲んだからリミッター外れちゃうんだもの。
とりあえず決めた。自重できるようになる第一歩として。見える化しよう。飲んだ酒は記録しよう。
Evernoteには男性の名前とか教えてもらったキャンプ場とかメモる前に、飲んだ酒の種類と量を書こう。
どうせまた失敗するんだ、私は。
だったら、こんぐらい飲んだらこういう状態になりました、が、わかるほうがいいじゃないか。
- ビール中1
- 日本酒 グラス2杯
- 赤ワイン 2杯
- ジントニック 1杯
- バーボン ロック1杯
この量で翌日丸一日死にました。
うーん、こうしてみると、少ないような……もしかして覚えてないのか……
早速Evernoteにノートブックを作って記録した。
なお息子に「かーちゃん今週禁酒な」と言われたので禁酒します。
ちょうど健康診断もあって飲めないので、まぁいいか。
二軒目のお店、ほんと良かったです。記憶あるときに行きたい。
[tabelog:3439465:detail]
朝から腹が減る
少し前にこの記事がたくさんシェアされていた。
「そうそう!朝食要らない!」「朝からなんて食べられない」
ってみんな言ってるの見て、たまらなく孤独を感じていた。
私は、朝起きたらもう、いつも腹が減って腹が減ってたまらないんだよ。
うちの実家がマクロビにはまってた頃、西式の朝抜き「1日2食で健康」説を母に何度も聞かされた。やらなかったけど。
ヤマギシズムも2食だっけ?
サラリーマンだった頃、深夜帰宅で朝抜きが続いた時もあったけど、やっぱり腹が減って腹が減って死にそうになった。まわりの人は「朝はコーヒー飲むぐらい」なんておしゃれっぽいこと言ってたけど。無理だった。
あと、夜残業する時も5時半になると腹が減って腹が減って死にそうになるので、いつも立ち食いそばで食べてたな。なんでみんな空腹に耐えながら残業できるのか不思議だった。きっと彼らは空腹でもなんでもなかったのだ。
なんでみんな空腹にならないんだ。わかってくれよこの気持ち。と、ブログに書き殴ろうとして、デジャブ。あ、前にも書いたんだった。
私の食事に対する異様な執着はなにか病の一種なのかもしれない。川上さんも一緒なのだろうか。
先の「朝食大事じゃない」とコメントしていた人たちは、それなりにきちんとした立場の人が多かったので、「空腹に耐えられない人は成功しない」という一文が、もしかするとビジネス書に書かれているのかもしれない。
文字が読めるようになったら「まんがサイエンス」を読ませなさい!
とある方が書かれたママがおばけになっちゃった!に関するブログで、ありがたいことにリンクしていただきました。
のぶみのやつ、来月こりずに続編出すんですってよ。
この脳みそからっぽな本にこれだけ違和感感じる人がいるというのに「泣ける!素晴らしい」という感想を持つ人が多数湧いて出て、よりによって全国学校図書館協議会選定図書になってしまうというのは、クリエイトする側がいくら頑張っていいものを作ろうとしても、所詮売れるか売れないか広まるか有名になるかというのは広告代理店活用したマーケティングひとさじで左右され、好意的評価ばかり人目につくようになり、多数派に右習えするのが大好きな日本のママさんはメディアに踊らされ、良いものは細々と出そうが駆逐されるという悲しい現実がそこにあるわけですね。
というわけで、ささやかな悪あがき、本当にいい本の紹介をします。何にいいって教育です。
息子には自己流で育児して激しく間違いもおかしたように思うけど、これだけは良かったと思うのは、まんがサイエンスを読ませたことだ。
きっかけは忘れたけど、図書館で借りてきた。一時期、息子は図書館に行くたびまんがサイエンスを読んでたと思う。低学年のころから高学年になってもまんがサイエンス読んでた。
テレホンカードとか、ちょっと古い内容のものもあるけど、それがさほど支障きたすことはないです。
とにかく理科は小学校から中学校まで(もしかしたら高校も?)、まんがサイエンスのおかげで得意になります。つい先日も、「まんがサイエンスのおかげで小テスト良かった」と言っておりました。
もちろん低学年の頃は理解が不十分なところもあるかもしれません。しかしなんとなく頭の片隅においといたものに何年も経って知識がおいつくと、「あ!そういうことか」ってピースがはまるんです。笑えるシーンとともになんとなく知っとくだけで、子供って小さい頃は記憶力がすごいもんだから、何年経とうが十分脳内で再現できるんです。
まんがサイエンスで紹介されていた本を一緒に読むのもいいですよ!
仙台一高出身歌う生物学者本川先生の著書(の絵本版)。当然のように歌つき。さあ歌いましょう。♪ぞうさんも〜
そういえばまんがサイエンスのおかげで、東北大学の研究室公開に行った時も金研のおにいさんに褒められました。あのときのおにいさんありがとう。もういないかな。
いまやネットのおかげでどうでもいい雑学で脳内いっぱいな息子ですが、まんがサイエンスのおかげでサイエンスに対する抵抗が最初からなくてありがたいことこのうえないです。科学的思考って一生ものだと思うのですよ。
だからみなさん、お子さんにはぜひぜひ、低学年から、まんがサイエンスを読ませましょう。字が読めればおっけーです。多分。
個人的には8のロボットの話が好きです。
↓ あとはあまぞんリンクですのでよろしければこちらから……(おい
まんがサイエンス (10) (ノーラコミックスDELUXE)
- 作者: あさりよしとお
- 出版社/メーカー: 学研
- 発売日: 2007/01
- メディア: コミック
- 購入: 5人 クリック: 23回
- この商品を含むブログ (58件) を見る
本の記録ばっかりになってるけど
相変わらずいろいろ本読んだり読まなかったり。
伊藤たかみ、って最初女性だと思ってたら、男性だった。
なんで女性だと思ったかというと、出てくる女性のセリフが男性作家にありがちな「だわ」「じゃないの」ばっかりではなく、リアリティがあるから。
親しみが持てるのは、年上女性と年下男性の組み合わせが多いからだろうか。
家庭がうまく作れなくて、かたぎの仕事につけなくて、貧困と精神疾患が身近だ。意外と世界はそういうものなのかもしれない。
みんなきれいなベクトルデータみたいに人生歩んでるわけじゃない。がりがりに引っ掻かれた筆致を見ると安心するように、こういう小説を読んで私も安心する。
一番印象に残ってるのが「ホリエモンの家族ってうちみたいだな」というところ。うちも一人っ子だしレジャーは片親ずついく。私も包丁持ちだしたりはしないが、よく切れて絶叫すると息子に指摘されるし。これ全然本人は自覚ないのよ。
なんだかいろいろ安心できる本だった。
短編集。最初の話にスカッとした。DVの恋人をぶんなぐる奴。
TV化も映画化もされたし面白いのかなと思って、図書館でも借りられないからわざわざ買って読み始めたけど 、もやもやと、しんどくなってきた。下巻でカタルシスがあるんですかね?誰か貸して……
ノラヤ常連さんに借りた本。性同一障害というのはとっても大変そうで重苦しそうで苦労しそうなイメージなのに、女になってOLすると、ほほー女ってそうなのかぁといういろいろを、軽めの文体で綴ってて、楽しく読める。でもこれOLっていう人種だよなぁ。
これも面白かった。というか写真の安冨先生が綺麗です…50代でこのレベルって……だって普通の50代の女性ってガメラみたいになってるじゃないですか。LGBTについてそうなのかぁとちょっと理解が深まったかもしれない。
性同一障害の方はものすごい苦悩の果てに幸せを手に入れるようなイメージがあったんで、能町みね子も安冨先生も「自分が楽、安心できる」方向に行ってる印象。こういう人もいるんだなぁと。私も性別違和感はけっこう感じているけど、やっぱり性ってゼロイチじゃなくグラデーションなんだなと思うしそれでいい気がする。楽な方でいいじゃんと思うしそれを認められる世界になるといいのに。
関係ないけど西式が出てきたのはちょっと複雑な気分になった。うちの親も一時期西式信者だったのでね……
「空飛ぶタイヤ」−−私も強くなれるだろうか
「かあちゃん、最近イライラしすぎだよ」
「かあちゃん、キレやすくない?」
「かあちゃん、お酒飲むのやめなよ」
息子がそんなことを言い出した。なにを言うか、イライラの原因は君ら家族にあるのに…それに別に酒量増えてないし…と、言い返して、はっ、と気付いた。そうだ確かにイライラしている。
この春から、また一つ仕事がなくなった。
コワーキングスペース運営でも、相変わらず赤字だし、利用者との対応でしばしばストレスが生じるようになった。そして次々とできる仙台のコワーキングスペース。激化する競争。
売上減。コワーキングスペース運営の困難。
なんとかしなければ。でも、打つ手はない。私がなにか仕事を、と思うのだが、コワーキングスペース運営と家庭をやっていると実質、何もできない。
唯一やりがいを感じているのがアルバイト。アルバイトがあるから救われている。
池井戸潤の本をまた読んだ。図書館で借りて。
池井戸潤の本については、前にも書いたけど。
だいたいのパターンは決まっている。主人公らが、困難にぶちあたる。それを解決することは到底無理のように思える。でも、それを乗り越えていく。楽になれる誘惑も訪れる。だが、絶対自分にはできると信じて地道にやりつつける。そうすると、パーっと道が開けるのだ。その展開の開放感が、「ああ、よかった!やった!」という気分が、たまらない。
今回の「空飛ぶタイヤ」、これはこれまで読んだ池井戸潤の小説の中でも、格段にきつかった。
主人公の運送会社社長、赤間は、社員が起こした事故の原因が自社ではなく、大手車両メーカーにあるのではと疑い、調査する。そんな赤間にはこれでもかというぐらい次々と、困難が遅いかかる。事故が起きたからだけではなく、大企業にたてついたから、自分たちは悪くないと主張しているから。会社もそうだし、プライベートでも大変なことになる。糞なモンスター親の攻撃にあい、家族ぐるみで居場所がなくなる。読んでいて本当に辛い。ここまで周囲を酷い人たちだらけにしなくても、いいじゃないか。あんまりだ。困難がじわじわ積み重なり、もう死ぬしかない、普通の人なら精神状態おかしくなってるでしょ、というところまで追い詰められる。
でも、最後にきっと主人公は勝つ。そうわかってるから、読み進めることができた。
やっぱり、困難続きの自分の状況を、重ねてしまうのだ。
強いもの、大きいものが勝ち、弱者は淘汰される。ちくしょうっ!でも、果たしてそうだろうか。自分の辛い状況ばかりに意識が行ってないだろうか。
「空飛ぶタイヤ」の赤間は、なぜ最後に勝ったのか。当たり前のようにまっとうに仕事をし、正しいことを正しいと主張してきたからだ。
それができなければ、勝てない。
当然だ。
私は、まっとうに仕事をしているだろうか。正しいことをしているだろうか。へとへとになるまで仕事?してない。脳汁が絞りきれなくなるまで考えてる?考えてない。まだまだ、まだできること全然やってないじゃん。
赤間には信じてくれる家族と、社員の仲間がいた。それが勝利への力になっていることは間違いない。でも、たとえたった一人でも、赤間は同じようにしただろう。
たった一人でも、最貧でも最弱でも、自分で考えて道を作るしか、ないんだよなぁ。
池井戸潤は、一貫して「お金」が重要な鍵となっている。ぶっちゃけ金の話ばかりだ。でも、それは正しい。お金がないことがいちばん辛いし、お金がないことであらゆることがどんどんなし崩しに悪くなる。私も日々、それをじわじわと実感している。ギブミーマネー。でも、天からは降ってこない。
ほんど、どんづまりだ。行き止まりだ。でも、いつか勝てる。口先だけでも、そう言い続けなければ。池井戸潤の小説の主人公たちのように、スラスラと弁は立たないが。
ささやかだけど、酒を減らしてみる。翌日バイトのない週4日はビールを飲んでいた。それを週2、3日だけにしてみた。