仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

2019年に読んだ本リストと、よかった本

読んだ本のリストを書いておく。

朝日新聞の書評特集で今年の本で印象に残ったものを各界の著名人が3冊あげる企画を見て、自分も読んだ本を振り返ってみることにした。

本を置く場所が6月からなくなってしまったのと、お金がないので、本はほとんど買わず図書館で借りる人です。

これはよかった!というのは◎してます。

雑誌は、ときどきTarzan買ってる。実戦で一番役立つのはTarzanかもしれない。

やっぱりいちばん印象的なのは、柞刈湯葉さんの小説と、東畑開人さんの本かなぁ。

ものすごく話題になったのは、「居るのはつらいよ」だけど、個人的には「野の医者は笑う」が、いろんなもやもやが晴れて、最後のオチまで感動的な(一応心理学専攻だったので)すごくいい本だった。学術書じゃなくて読み物として読める。 

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

 

 いろいろ思うところもあって、今年は以前から興味があった依存症に関する情報を集めていた。仙台でのイベントで生の松本俊彦先生も見れたし。また発達障害に関しても興味があって、なんらかの生きづらさを感じている人の生き延びる方法を著した本を秋頃からどかっと読んでいる気がする。

 

前から言ってるけど私は本が苦手で、本の虫という人に比べて活字を追うのが苦痛な上に頭に入ってこなくて、ここで挙げた本の中でもどうしても読み進められなくて読むのやめて図書館に返しちゃった本もある。

でもほんと読めないんだけど、お金も技術もなければ頭を鍛えるしかないってことで、今年はもっと本読みたいと思います。

2019年の10大ニュース

去年はこういう年でした。

 

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今年も振り返ってみようと思います。

 


1. ノラヤをクローズした

まあ、一番はこれですよね。

5年ほどがんばって運営した、仙台の小さなコワーキングスペース「ノラヤ」を、閉店しました。

閉店にあたっての心境はこのあたりをお読みください。あれから何ヶ月も経つけど、一人になりたい時に夜通しこもれる場所がないのは寂しいな、とたまに思い出す。

ちなみに、ノラヤのあったアパートは老朽化のため取り壊しが決定しました。でかいマンションでも建つのかなー。sendaiworkspace.hatenablog.com

 

ノラヤをオープンした年はこんな10大ニュースを書いていました。あの時すごく辛いことを経験し、実は今年も同等の出来事があった。そんなに落ち込まないで済んでるのは、結局バイトとビール活動に救われてるかな。

忙しいと心を亡くすけど、なくしたい心もある。 

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2. 秋田高校卒業30周年同窓会に出席

2019年のお正月は珍しく実家に帰省。

目的は、秋田高校の卒業30周年同窓会に出るためでした!私は非常に影が薄い人間だったもんで、みんな覚えてるかなー、話合うかなーなんて思ったけど、行ってよかった!懐かしい人、変わった人、変わってない人、いろいろで、いいもんですねー。

亡くなった先生がけっこういらっしゃったのはショックだった。

3. 夫がまた転職

今の会社は私の知り合い経由で入ったんだが、仙台に仕事がないっちゅーことでほとんど単身赴任。で、ついにあの会社に入ってしまった。知り合いばっかなんだけど。まぁどうでもいいです。

4. びあけんを受験した

ついに東京まで行って「ビール検定(びあけん)」を受験してきました。2級・3級併願です。無事両方合格いたしました。その時飲んだIBREWのビールがほんとに美味しかった!

 

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 5. ビール活動

ビール活動を引き続き行っていました。仙台でもクラフトビールが飲めるお店が増え、東北で新しいブルワリーも続々と登場しています。今後も情報集めていきたいものです。

ビール女子さんと行ったこちらのイベント。個人的にはもっとビール好きな女子と濃い話ができるイベントだったらなあと思ったのですが。

やっぱりビール好きにはビール屋に行かなきゃ出会えないと思いました。べつに女子でなくてもいいし。

2020年はもっとリアルでビール好きさんに会ってビール情報を仕入れたいと思います。気仙沼のBTBをはじめ、ブルーパブ目当てに旅行したい。monyakata.hatenadiary.jp

6. 遠野にビール飲みに行った

桜の時期に、遠野醸造に行きました。良かった。みんな遠野行きましょう。

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7.ハーフマラソン3回完走

10kmが物足りなくなりましたので今年はハーフを走ることにしました。

吹雪の中の東北風土マラソン

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そしてビールとセットで楽しんだ、遠野じんぎすかんマラソン。 

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遠野よいとこ、みんなおいでよ。

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飲み過ぎで翌日死んだ。

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そしてそして!ついに念願の、松島ハーフマラソンに、ハーフで出ましたよ!温泉もよかった。走った後寒くてビール飲めなくて残念だったけど。

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8. 実家のネコが死去

一年前からずっと、もう危ない、と言われ続けていた実家のネコ、クロがついにその長い生涯を閉じました。8/6。享年、18歳。

本当によくがんばりました。人間でいうと90超えてます。ほぼ毎日のようにタクシーに乗って病院に行って点滴をした母も、本当にお疲れ様でした。

母のペットロス、燃え尽きが心配です。今後は自分が母をサポートしなければと思います。

 9. 念願の大沢温泉に行った

大沢温泉の自炊部行ってきました。別に秘密にするわけでないのですが、あの大沢温泉という異空間にいた思い出をあんまり消費したくなくて、どこにも書いてないし言ってない。

大沢温泉について知らない人はいないと思うけど

www.oosawaonsen.com


10.いろいろ転換期 

いろいろ準備してます。このままじゃいけない。

息子が大学生になったら自分で自分の人生を生きたい。

Facebookどうしよう

Facebook(以下、FB)との付き合い方が、さいきんどーもよろしくないように思う。

コワーキングスペースやその運営者とつながりを持つのがほとんどFBだったので、コワーキングスペースに興味を持ち始めたあたりからどっぷりはまった。

ノラヤが始まってからは、運営の要がFBページだったので、とにかく水を飲むように使っていた、使わざるをえなかった。

 

ノラヤをやめたら、ぷっつりと使う機会が減った。

あの、日々の「情報発信しなければ!」という追われている感がなくなった。

反応があったときの「ベルに赤い文字で数字の通知(かつては地球に数字の通知。これ、なんて呼ぶんですかね)」が、全然ない日もある。

当たり前だ、発信してないのだから。

 

ただの個人になった今、使い道ないもんだなぁ、と改めて思っている。

私は立派な活動しているわけでもないし、日々社会問題を追いかけているわけでもないし、どうしてもFBに発したい情報なんて、ノラヤがなくなったらもうぜんぜんなくなってしまった。うまいビール飲んだとかどっか行ったとか、リア充自慢くらいしか使い道ねーなというかんじ。

あと、なんかがんばったから褒めて!に使うようになった。ランニングとか、びあけんとか。

承認欲求の塊とはよく言ったものだ。

「つながり」…という意味でも、新たな繋がりは増えなくなった。そしてtwitter経由のつながりのほうが増えた。そう、偶然の面白い出会いってtwitterのほうが多い。

名刺交換の時に渡す名刺がないので、じゃぁFBで、となることもあるのだけど、名刺交換したあとつきあいがないと名刺も捨ててしまうように(私は捨てる。で、困ったことはない)その後付き合いがないと友達も切ってしまう。

 

よくないなーと思うのが、その「ベルに数字」がつかないので、FBを見るのが「誰かの反応をチェックする」から、「乗っかってる情報を無限に探しに行く」になってしまって、前よりだらだらFBを見るようになったことだ。

「…今日も特に反応ないか。当たり前だよね。じゃあビール女子グループを見て新しいビール情報を。だらだらだら。あ、あの人最近なにやってんだろ。へー。だらだらだら。ん?こういう情報あるんだ。リンク先を……だらだらだら」

こんな感じである。

 

twitterも無限に見ようと思えば見れるけど、なぜかこっちは「飽きる」。そして私は変わった人をたくさんフォローしているので大量に見ると必ず怒ってる人に出会って「疲れる」。それで離れられるのだ。

 

まぁ、見てる時間で言えばtwitterの方が実は長いかもしれないけど。

FBがどうでもよくなってくると、ますます、素晴らしいコワーキングスペース運営者とかキラキラした世界から遠くなってしまうような気もする。

でも離れてみても、いいのかもしれないな。

 

Bさんのこと

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そういえば今年、Bさんが亡くなった。

なのでBさんのことを書こうと思う。

 

大学勤務時代に、近くの部署にいてお世話になった方だ。私が勤め始めたころ彼女は妊娠していて、彼女が出産して産休から復帰した頃こんどは私が妊娠した。年齢も母親としても一年先輩だ。

 

私も彼女も、大学の裏方部門の教員(当時の助手)だった。大学組織は先生と学生と事務の存在が大きく、ネットワークやコンピュータの面倒を見る私らのような技術部門は仕事がやたらあるくせに日陰の存在で、また先生と事務の板挟みになり苦しむことがしばしばあった。そんな面倒で孤立しがちな状況でも、有能な彼女は技術とコミュニケーション能力を生かし、先生方にも事務方にも顔が広く笑顔でバリバリと仕事をこなしていた。

 

Bさんは妊娠・出産、育児そして保育園についてもいろいろアドバイスをしてくれた。病院ではこうだった、あれがあったほうがいい、これは無駄なので買わなくてもいい…当時は今ほどネットに情報がなかったから、Bさんのアドバイスは本当に参考になった。使わなくなった妊娠線予防クリームをもらったし、産後の骨盤体操も教えてくれた。

バスを乗り継いで出勤していたお腹の大きい私を、車で自宅まで送ってくれたことも何度もあった。

娘さんの保育園をお迎えのついでに見学させてもらったこともあった。

車の中で「バナナが一本ありました〜♪」の歌が流れると、チャイルドシートでぐずっていた娘さんがはっと泣き止んで人差し指を立てた。必ずこうするんだよね、と笑いながら話してくれた。

私の出産後は、不要になったおもちゃやベビーチェア、いろいろな育児グッズをくれた。家に車で持って来てくれて、私をみたとたん

「ああ、体型戻ったね!やっぱ母乳だよね」

と、サバサバした彼女らしいコメントをしたのがおかしかった。

 

息子が1歳になる頃、仕事復帰の話をいただいて、Bさんに電話で報告すると

「働いたほうが絶対いいよ!あの家にいたときの閉塞感…!」

と、背中を押してくれた。

この時の「閉塞感!(へいっそくかんっ!)」という言葉をBさんがすごく力を込めて言い放ったので、私はほっとした。家で子供と向き合っている時間がとにかく辛くて、母親失格なのではと悩んでいたから。この時の「へいっそくかんっ!」の口調は、なんども脳内再生できるくらい覚えている。

 

その後紆余曲折を経て私は再びパート勤務で元の大学の部署に戻ることになる。

Bさんの部署は人員が増え、私の部署は逆に削減され、1人の教員がいるだけだった。Bさんとは時々、一緒にランチして仕事の話から育児の話などいろいろ喋った。

 

正直、Bさんのことは、同じ部署の唯一の同僚であり上司のMさんほど印象には残っていない。典型的理系研究者のMさんは他部署とうまくやるのも苦手で孤立していたし体調を崩して音信普通になったりして、とにかくいろいろ大変だったのだ。

最終的には私の部署はBさんの部署と統合されることになりMさんはだったら辞めると辞めてしまうのだけど、私はそのだいぶ前になしくずし的に自営業をスタートして大学も辞めていた。

 

その後Bさんと特に連絡をとることもなかった。でも、Mさんが亡くなった時に連絡をくれたのはBさんだった。当時Mさんは大学を辞めて1年以上経っていたのだけど、Mさんのお兄さんがそれを知らず大学に連絡したのだ。

(その時の気持ちはmixiに綴ったけどmixiやめちゃったのでもう見れない)

葬式の翌日、大学関係者の参列があまりに少なくて、やるせない気持ちになり花を買って大学に突撃した。

Mさんの座っていたサーバ室の席に花を置いてぼんやり立ち尽くす私を、Bさんはランチに誘った。

「Mさんがあのときなんで辞めなきゃいけないのか正直わかんなかったんだよね」

Bさんとしては一緒にやりたかったのだろう。そういうとこがMさんの不器用で意地っ張りなとこなんだよなと思った。

 

それからBさんとは、必要な時にちょっとメールをやりとりするくらいで、ここ数年はやりとりは途絶えていた。震災の年だったか、仕事で大学に行ったときにばったり学食の横で会った。その時もお互い急いでいて挨拶したくらいだった。Bさん、相変わらず若いなあ、と思った。

まさかそれが最後になるとは。

 

Bさんが亡くなったと教えてくれたのは、Mさんが亡くなった時に私が最初に連絡して、一緒に告別式に行ってくれた知人の大学教員。

バイトを休めず告別式には行けないので、弔電を送った。

本当に驚いた。

喪主が娘さんだったことを知人が教えてくれた。息子の1個上ならまだ19歳。

なにがあったのかはわからないまま。

5年以上もBさんのことは忘れていたのに、改めて、いろいろ思い出した。

大学の中の特殊な部署にいて、女性がほとんどいなくて、もちろん先輩お母さんなんて周囲にBさんしかいなくて、その状況でBさんの存在がどんなに心強かったか。「貰ってくれてかえってありがたい」とたくさん育児グッズをくれたのに、お礼もろくにしないままだった。

Bさんなら「いいのいいの〜」と軽く言いそうな気がするけど。

 

本当にありがとうございました。

 

そのお店の人はどこでどうするんだろう

飲食店でもそうじゃない店舗でも。

空きテナントにお店ができる。あれっ、こんなところにこんな店が。もうかるの?コンビニなんかだと、またコンビニかよ!みんな好き勝手に感想を言う。

そして、それが続くといいけど、閉店してしまうと、また我々は好き勝手なことを言う。

ほらね。厳しいよこの立地じゃぁ。誰も人いなかったもん。おいしくなかったもんね。ざまあみろ。

そういう人たちは、明日も明後日も自分がこれまでと同じように稼いでいられるという確信があるからこそ言えるんだろうね。

 

お店がなくなる。

そのことが、その店のオーナーにとって、そしてそこを居場所にして働いていた人にとって、どんなに生活を変えてしまうことか。

そんなん、その人の選んだ人生でしょ。そういうリスクを承知でお店やったんでしょ。そう言われると、なにも言えないんだけどね。

 

なくなったお店の人は、これから、どこでどうするんだろう。

ここで働いていた人は、どうなっちゃうんだろう。

私は自分が店舗を運営してから、そう思うようになった。

まさか、働かず悠々自適に暮らせるほど、お金稼いだので充分。というわけでもないだろう。

ラーメン屋さんだったら、またどこかのラーメン屋さんにいたりするんだろうか。

カフェだったら?スタバとかドトールにいるんだろうか。

それとも、スーパーで早朝品出しの仕事などをしているんだろうか。

 

でもそう思う期間も、ほんの短い時間なんだよね。

忘れちゃう。

 

 

「お店やってみたい」っていうと「じゃあやってみなよ!」って無責任に背中押す人は多い。

でも、自分がやってから、私は絶対「やってみなよ」と気軽には言えなくなった。

お店って楽しそうだしテンションあがる。考えるだけでわくわくするんだよ、自分の場所を持つというのは。すべてが希望に満ちて輝いて見える。楽しそうに働いている自分が、楽しそうなお客さんが、容易に想像できる。

その高揚感は、わかる。

閉店したいまとなって思い出すのは、毎日を一歩一歩継続していく、地を這うような気分。

 

お店がなくなって、そこのお店の人でなくなったら、もう、お店繋がりは消える。

ただの人になった店主に、会いたい人はいない。かつての常連さんとは、もう一生会えない。

その孤独とも戦っていななければならない。

 

まあ、私は「お店やりたい」って人に「やめとけ」とは言わないよ。

「ふーん」

とだけ、言う。

苦労話をいくらでもまくしたてることはできるけど、お店をやりたい人にとってそれは聞きたくない話だし聞いても自分には当てはまるはずがないと思うので(笑)言わない。

「どう思いますか」って言われたら、「ふーん、としか言えない」と、ニヤニヤして言う。

びあけん3級と2級合格、さらにラッキー

びあけん、無事合格することができました。

受験記はこちら。

monyakata.hatenadiary.jp

 

満点には程遠かったですが、満足できる結果です。

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あっ、合格祝いのビールチケットあるんだった。銀座ライオンに行って使わないと。

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そんで、合格通知の少し前、ラッキーなことがありました。

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びあけん受験者にアンケートがあったのですが、回答者の中から抽選で10名様に、ビールの勉強に役立つものプレゼント、ていうのに当たってしまったのですよ!!

本2冊。一冊は、たくさんのビールが鑑賞できて勉強できる「ビールの図鑑ミニ」。

ビールの図鑑ミニ (マイナビ文庫)

ビールの図鑑ミニ (マイナビ文庫)

 

 もう一冊は、サッポロの端田晶さんのエッセイ。びあけんの顧問の方だそうです。おっさんテイストの文だけど(そして奥さんを「愚妻」と表現し恐妻を演出してるのが気に入らないけど)楽しく読めました。

ビール今昔そもそも論 (ジョルダンブックス)

ビール今昔そもそも論 (ジョルダンブックス)

  • 作者:端田 晶
  • 出版社/メーカー: ジョルダン
  • 発売日: 2018/07/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

そして、ビール作りのボードゲーム「Hoppin' Garage」!

くわしくはこちら。

www.hoppin-garage.com

これ、プレイしてみたいけど3人以上じゃないとできないので、誰かとHoppin' Garageをプレイする会をしてみたい。

 

…という豪華なものをいただけまして、今年の運は使い尽くして終わるようです。

びあけん受験者アンケートでは「仙台でびあけんを開催してほしい!」と要望したので熱意が届くといいな。

 

びあけん合格者にはびあけん合格認定証やびあけん名刺などを作ることができる権利が与えられています。まぁ有料です。

そんなお金ないしべつに、と思っていたけど、しばらくして気付きました。今ましな名刺がなくて、名刺交換のときに不便だと。

最近で一番自慢できる資格だし、何者でもない私にはちょうどいいかな。よし、名刺作ろう。

と思って申し込み用紙を見ると、期限が昨日で切れていた……

思い立ったらすぐやらなきゃだめじゃんかよ私のバカ。

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びあけんの1級は合格率が10%以下だし、また東京まで旅費をかけていけるほど、今後の人生に余裕があるとも思えないので、受験することはないでしょう。

 

仙台在住でびあけんについて知りたい方がいたらぜひ飲みながらお話したいものです。

 

前にも書いたけど、びあけんのおかげでビールをより楽しむことができるようになりました。おすすめです。今後もビールライフを楽しんでいきたいと思います。

10/6(日)松島ハーフマラソン完走!!

またまた1ヶ月も前の出来事を思い出してブログに書いてます。

ついに松島ハーフマラソンのハーフの部に出て、完走することができましたー!やったー。いやーこんな日がくるとはー。

松島ハーフマラソンはこれまで2回、10kmの部に出てました。これで正真正銘松島ハーフマラソンを走ったことになり、「松島ハーフマラソンの10km走った!」「え?ハーフなの10kmなの?」という混乱は生じません。(けっこう説明がめんどくさかった)

 

思い起こせば、松島ハーフマラソンに出よう!と思い立ったのが2016年の10月だったようです。3年かけてここまで来たよ。monyakata.hatenadiary.jp

 

松島じゃないハーフは出てたんだけど、松島ってコースが坂だらけなのが特徴。だからきっついのです。完走率もフラットなコースに比べると低いと聞きます。だから特別な達成感があります!

 

今回はコースが一部変更になったのが話題になってましたが、ハーフを初めて走る私は「そんなことより、どうか気温が上がりすぎませんように!」と神に祈ってました。

だって初めて走った2017年も、2018年も、30度近い気温だったのですから。距離的には走ろうと思えば走れるけど、熱中症だけは避けたい。

遠野と同じく、塩分補給用のジェルを用意して、直前に梅干しも一気ぐいしてのぞみました。

すると幸い気温は20℃前後。想定より随分低くて助かりました!

このように雲多めでした。

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さて、はじめての松島のハーフは、スタートからしてこれまで出て来たマラソンと違う。本気の人が多く、のんびり走ってたら、うしろからばんばん抜かれて、ぶつかりまくる!さらに抜くために歩道も路肩も走る人いるんだわ!いやちょっと危ないでしょー。転んで側溝に落ちた人もいた。いやー、松島こわっ!

でも私は遠野の時と同じく、あせらず前半は抑える方針でいきました。ぶつかられると怖いから周囲に気を配りながら走りました。坂がつぎつぎ現れますが、「知事公館の横よりまし!」と気合いで乗り切りました。

10kmの折り返しまで来ると「10キロってここで折り返しかあ、楽だよな」と感慨深い。キロ数表示のところに、なぞのキャラBASHOUの一言と、松島ハーフマラソン川柳が載ってて、見るたび脱力する。正直「次は坂じゃ!」とか予告しなくていいから!無で走らせてくれ!と思いました。

野蒜駅が見えてきて「もうすぐ半分だ」と思うけど実はまだ先は長かった。野蒜駅では青い鯉のぼりと太鼓の演奏があって、多くの人が声援を送ってくれたが、こういう感動系をランニング途中に見ると、やばいんですよ、息苦しくなって呼吸困難になって死にそうになる!ギリギリで走ってるへなへなランナーを感動させるのやめてくれ!これ私だけでしょうか?本当に応援はありがたいんです、ありがとうございます、でも、死ぬ……やばい。「呼吸困難になったときは息を『吸う』より『吐く』を意識して、深くゆっくり吐く」を思い出してその通りにしてなんとか復活しました。

で、やっぱり折り返しのあとは気分が楽。時間制限ポイントもちゃんとクリア!よっしゃ完走できそう!と思ってからは、「ふふふ、ゴールしたら牡蠣汁…そんで温泉…ビール!」と、気楽に走りました。が、何があるかわからない、気を抜いてはいけない、それこそ、転ぶかもしれないし。

ハーフの場合、困っちゃうのがトイレ。私は特にトイレが近い方で、よっぽど途中で入ろうかなーと思ったけど、なんとか我慢しました。遠野の場合はだらだら汗かいたのでトイレはそんなに逼迫してなかったけど、松島はちょっと辛かった。

ゴール近くの家がいっぱいあるエリアにくると、やっぱりちょっと感動モードに入ります。沿道のたくさんの人が声援送ってくれるし。中にはすでにゴールして記念品を手にしたランナーも。速い人いいなぁー。

沿道の声援も「がんばれー!もうすこしでビールが待っているぞー!」なんていうのもあったりして。そうですよ!ビールですよ!私はビールのために走ってるんですから!

前を走っていた若い男性2人が「ビール!ビール!ビール!」と言いながら走って、ゴール直前はカメラを意識し肩を組んでました。微笑ましい光景です。

カメラといえば、今年はランフォトの撮影がなかったので、全然走ってる途中の写真は見れなかったです。まあお金払って買ってもSNSに使ったりできないので、いいんですけど、ちょっと残念。

そんで私も無事ゴールしました。

今年はゴール後にやたらいろんなものがもらえて、おにぎりが個人的にはいちばんうれしかったです。

記録証。

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遠野より速い!坂ばっかりなのに。成長してんじゃん私。

恒例の牡蠣汁、今年もおいしかったです。

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で、走ったぞーっていう記念写真をどこかで撮りたかったんだけど、スタッフさんもつかまらず、知り合いにも会わなかったので、けっきょくこんな自撮りに……

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さすがにハーフを走ると疲れて、動きが鈍かったです。更衣室であまりストレッチなどしなかったので、ダメージが後日来ました。あと、更衣室が飲食禁止なので、出口のてきとうなところに座ってバナナを食べたのは、はたから見ると間抜けだったかもしれない。

ハーフが終わったら会場がもう撤収モード。さっさと出なきゃ、ということで温泉に向かうことにしました。

松島ハーフの会場近くの温泉は、交通規制の影響もあって日帰りはなし。しかし、ちょっと歩いて松島海岸方面に行くと、温泉日帰り入浴やってるとこ、あるんですねぇ。

下調べしておいたこちらの温泉へ!「絶景の館」です。(トップページ、いきなり音が出るのでご注意ください)

www.zekkei.jp

ここの温泉がねーーー!すごくよかったですよー!

なにしろ大浴場と露天風呂から松島を一望できるんですから!

お風呂じたいはそんなに大きくはないです。松島ハーフ帰りの人もちらほらいました。幸いそんなに混んでなかった。私はS-Style付録のクーポンを使って割引価格で入浴。

温泉入ると一瞬、股ずれが痛い!次回はワセリン塗ろう…。

風呂の中から松島の眺めを堪能しました。めちゃくちゃ人が見えます。ということは向こうからも見えるということです。この状況では「それがどうしたー!」という気分になってしまいます。それぐらい、気持ちいいお風呂です。みなさんぜひ松島に行ったら入りに行きましょう!

 

さてここから想定外の事態に。

松島海岸駅についたら列車が20分来ない。そしてどんどん気温が下がってきました。そう、今年は去年より気温が10℃低い。そして10kmよりもハーフは終わる時間が遅いということをちゃんとわかってなかった!吹きっさらしのホームで待っている間に、せっかく温泉であったまった体がすっかり冷えてしまいました。寒い!ガクガク震えて待ってました。やっと電車に乗って、あおば通り駅まで来たら、ほぼ夕暮れ。あまりの寒さに「ビール!」の気分ではなくなっていました。もっと厚めの上着持ってくるんだった!そして息子に夕飯を買って帰らなければならない時間になっていました。あー、10kmのときは明るいうちからビール飲めたのに、ハーフの場合はそうはいかないんだ。いや、温泉入ったりしてるから遅くなるんだけどさ。温泉はずせないじゃん。

なんてこった。ビールのために走っているのに、ビールを飲まずに帰るなんて……

結局、自宅に戻ってから缶ビールで乾杯しました。

今回の反省点は、走ったあと温泉に入ったら松島周辺でさっさとビールを飲みましょう!ということです。松島にクラフトビールの店できたらいいな!!