仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

ビールと温泉と面白いものが好きな大学生男子の母。

お店を持つのはすごい?

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前回の日記の出来事もあり、当分就活なんかするもんかクソと思ってます。

しかし職務経歴書を書いていて、思った。

コワーキングスペース『ノラヤ』を運営していた」という経歴がどうも謎の白い球体みたいにふんわりと浮いていて、おさまりが悪い。

個人事業の一環としてやっていた。自分としては5年もやってたんで経歴に書きたい。だけどそれでキャリアに役立つ何が得られただろう。見た人は「なんか妙なもんが浮いてるぞ」としか思わないんじゃないだろうか。

 

そりゃまWordPressでサイトは作ったし、それを更新したし、SNSの発信をするという経験も積んだ。

自分でがんばったと思うのはやはりイベント運営だろう。これはコワーキングスペースやってなきゃ経験できなかったと思ってる。

Facebookイベントとイベント管理サイトでの告知、拡散、受付、メールフォロー、会場や食べ物飲み物の手配、買い出し、講師がいるときは講師のフォロー、近づいたらリマインドメール、当日の段取り作成、当日の進行…あっこれどこかに書いてなかったっけ。

でも、そういうの、評価される、役に立つ仕事ってあるんだろうか。

そうでなければ「やみくもに新しいものにチャレンジしました(そして失敗しました)」だけで終わってしまうんじゃないだろうか。

 

あとこれは運営時から思っていた。

「お店を開くなんてすごいですね!」

と、よく言われた。

でも正直全然すごいと思えなかった。お店を開いて儲けたらすごいけど。て言うと

「いやいや開いて運営するだけですごい」

と相手はさらに褒める。

すごくない。お金とテナントとお店に居られる時間があればできる。(時間がなければ人を雇えばよい)つまり極端な話お金さえあればお店はできる。

もし、お店を開くだけでハクが付くなら、お金さえあればそれが得られるんだから、みんなやったらいいんじゃないですかね。

私はその経験を生かせなかったけど。あなたは生かせるかもしれませんよ!

 

あとフリーランスとして開業もすごいって言われるけど、こっちはまったくお金いらない、紙切れ一枚でできるから本当にすごくない。すごいのは継続して仕事を得られたら、そしてひとりで確定申告を乗り切れたら、だ。

 

胃腸の調子が治って、「自律神経失調症と診断されて仕事休んだる」もできなくなったので、文章をまた書き散らそうかと思ってます。

主婦業歴20年以上、ようやく知った家事の真実

主婦業って長年身に沁みついているだけに、新しいものを取り入れず自分の慣れたやり方に固執してしまうものだよね。

 

 

 

 

 

 

三角コーナー、要らない。

 

流しの隅っこに置くやつ。あれ、無い方がいいじゃん!!!

なくても、なんの支障もありません。

 

三角コーナーは実家でも物心ついたときからあったし、大学の寮にもあったし、一人暮らしをして当然のように買って設置して、結婚してもずーーっと。使ってました。

当たり前に必需品だと思ってた。スポンジややかんと同じくらい。

ところが。

排水口に、三角コーナー用ネットとか、排水口ネットとか、細かいゴミをキャッチするやつをかぶせておけば、いらない。ということに気づきましてね。

三角コーナーなくしたら、まあ楽だわ、清潔だわ。なんでもっとはやくやらなかったのだろう。

 

ああ、蓋つきのごみ箱があるのが前提です。足で踏んで開けられて、両手がふさがっていても捨てられるやつね。

 

では実際どう使うか。

調理中の野菜クズはそのままシンクにぽろぽろ落として、ひと段落ついたら、手で拾ってまとめてビニール袋に入れて捨てる。(ビニール袋はスーパーのサッカー台にある、肉や魚を買うときに入れるやつです)もしくはビニール袋に手をいれ、手袋のようにしてごみをまとめ、握ってくるっとひっくり返せば手も汚れず簡単。

魚だの肉だの、匂いのでる生ものを調理する場合は、最初からシンクにビニール袋を用意しておいて、そこに捨てる。

 

でも、どうしても掬いきれない細かいゴミが出る。それはもう水で流す。そうすれば排水口ネットでキャッチしてくれる。

その安心感で、もやしのひげもプチトマトのへたも、流して排水口ネットにキャッチさせるようになった。

 

三角コーナーがあったときはどうだったか。

シンクが狭くて、洗い物が置きづらかった。

三角コーナー内にどうしても水分が溜まり、腐敗がはやく進んでいるみたいだった。

三角コーナー自体がドロドロと汚れて、洗うのが憂鬱で洗いたくなくてどんどん汚くなっていった。

そういう汚いものが…というか洗わなきゃいけないものが常にあるのが憂鬱だった。

 

場所を取るのがいやで、吸盤でシンクにわっかを貼り付け、そこにネットをつけるタイプを使っていた時期もあった。でもやっぱりそれ自体が汚れるしよくずれて落ちるし、三角コーナーほどではないにせよ、邪魔だった。

使い捨ての三角コーナーのような商品も売っている。そりゃー楽だろうけど、ゴミがでかくなっただけのようだ。

そのうち、排水口ネットだけに行きついた。

 

野菜の皮むき。流しに落とすのが嫌なら、ボウルに入れてゴミ箱にぽこっと捨てればいい。皮だけならさほど水分ないから、腐敗の心配もそんなにない。面倒でなければ、不要なチラシ等で作ったゴミ箱に入れて、そのまま捨てるのもおすすめだ。水分はチラシゴミ箱が吸ってくれるので都合がいい。

なおチラシゴミ箱の作り方、知らない人もいると思うのでこちら。私はお菓子作りの時小麦粉など粉類を計量するときにも活用しているよ。計量に使ったやつは、そのまま割った卵の殻を捨てる。

allabout.co.jp

 

「調理中のゴミは三角コーナー」という固定観念が自分にはあった。

水分の少ないものは最初からゴミ箱に行くように。多少濡れてるものはビニール袋に入れる。排水口ネットは流れが悪くなってきたタイミングか、一日の終わりに、取り外してビニール袋に入れて捨てて、新しいのと交換する。

死ぬかと思った雪中バイク

バカである。

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酒好きが何かと理由を探して飲むように。ランニング好きが隙間時間も走るように。この寒く雪も降る季節に「乗れる」と思ってバイクで出勤した。そこから間違いだった。

 

2020年の暮れも押し迫った夕方に死ぬかと思ったので書いておく。いや死にはしないだろうけど怖かった、まじ怖かった。

 

12/30。その日の路面は乾いていたし気温の予想も高めだった。私は仕事へ向かう嫌な気持ちを少しでも楽にしたくて、そして物理的な体の負担も減らしたくて、所要時間の短いバイクでの出勤を選んだ。所要時間はせいぜい15分。冬用防寒ウェアを着込めば歩くより寒くない。

朝の青葉通一番町駅地下駐輪場は利用者が少なかった。私は「仙台市民はヘタレだから冬バイクに乗らないんだよね。私なんて車ないから年中乗っちゃうよ。気合が違うよ」などと内心うそぶきながら駐輪し防寒具を脱いで出勤した。

 

どうやら雪が降ってきたらしい、と、勤務中に気づいた。

17時に退勤。もさもさと降ってくる雪。すこしだけみぞれ雪が積もった道路を見て一瞬「バイク置いて帰ろうか」と思った。しかしこの後の天気予報は厳しい雪と冷え込みを伝えている。最悪、再度バイクを動かせるのは5日くらい後になってしまう。歳を越してしまう。駐車料金が5日分かかってしまう!100*5=500(回数券なので)。

息子にLINEで聞いてみた。「そっちは雪積もってる?」返事が来た。「積もっているってほどじゃない。びちゃびちゃ系」凍ってないなら、大丈夫だ。私は500円が惜しくて乗って帰ることにした。息子からは「くれぐれも安全運転で、やばそうなら押してきてください」と。おいおい簡単に言うなよ。雪の中押すぐらいだったら置いて帰るっての。

バイクに乗らない人は押すことがどれだけ大変か知らないよな。そう、息子はバイクに乗る人じゃないのだ。バイクに乗らない人の判断に頼ってしまったことを、私は10分後に激しく後悔する。

ヘルメットに付着する雪を時折グローブで払いのけながら、安全運転で走った。しかし青葉通りを抜け広瀬川を渡るころから、様子が変わる。路面が白くなっていった。

私は忘れていた。さっきのLINEから時間が経過していることを。そして時間が経てば雪は積もる。当たり前だ。

さらに。私の自宅は少し山の方にある。そちらに近づくと、気候が違うのではと思うくらい、気温も下がるし、雲も増えるのだ。

ゆっくり目に広瀬川にかかる橋を渡り、交差点は白線で滑らないよう細心の注意を払って曲がった。まだ、走れると思った。

ところが。家の近くまであと数百メートルという頃。どんどん積もった湿り気のある雪は、完全にタイヤの溝を埋めていった。ある交差点で、

「ゆるゆるゆる~っ」

と、後輪がふらついた感じがした。滑った!転ぶ!?

背中に一気に冷汗が流れた。

やばい。

なんとかもちこたえ、少し走って、止まった。全身ガクガク震えた。

エンジンを止めてサイドスタンドをかけて、バイクを降りて周囲を見渡した。

雪は5cmくらい積もっていた。なんてこった、わずかの時間でこんなになるなんて。こんな中走ったことないよ!転ぶの前提の林道の中なら雪の中連れて行かれたことがあるが、あれはなんかあったら助けてもらえる体制ができていた。ひとりでアスファルトの公道を走るのとわけが違う。

この後の自宅までの道のりを思い描いて、愕然とした。S字カーブを伴う、かなり急な下り坂。しかも幅3メートルもなく、一方通行ではない。前後から車が来る可能性のある中、バイクを持っていけるのか?!

あの坂を行ったら、確実に滑る。乗っても押しても止まっても滑る。エンジンかけていなくても、バイクが重力につられて、すべるにきまってる。

無事に通り抜ける自信がまったくなかった。

悩んでいる間にも、雪はもっさもっさと降り続いて道を覆う。

そこでバイクを路肩に駐め、レスキューでもなんでも呼べばよかった。 鍵かけて放置でも仕方なかっただろう。でもそんなことしたら盗まれるし、そこは狭いのにバスも通る道だ。甚だ迷惑だ。

なんとかバイクは持って帰ろう。押しても、家までは。私はまたも判断を誤った。

 

ふたたびエンジンをかけ、ゆっくりと路肩を走った。そして恐怖のS字の坂に来た。恐怖で固まって動けなくなった。だめだ。坂の途中でまたエンジンを止めた。サイドスタンドをかけたが、その状態でも転ばしそうだ。雪がどんどん積もる。前に通った車のわだちすら白い。だめだ、ここにバイクを置く?無理、まったく路肩に余裕がない。ひとの土地に置くわけにいかない。

押そう。バイクを降りクラッチを入れ、すこしずつ押した。足が滑ったら終わりだ。ゆっくり押して下りた。

あんのじょう、クラッチ入っていても、タイヤはどんどん横滑りしていった。このまま加速していったらバイクはがっしゃんと横に流れてしまう!

私がハンドルを握っているのはもうバイクではなかった。ただの、橇だ。押しているわけでなく、ただ、滑って、落下していった。

速度が増した。駆け足になった。雪の中、バイクと私は一体となりズルズルと…

 

途中のことはよく覚えていない。おそらく1分もない時間が経ち気がついたら、坂の下にたどりついていた。どうやら私は無事坂をバイクを転ばすことなく降りることができたようだ。

震えながらバイクに跨りエンジンをかけた。すっかり雪に埋もれた家までの道を、ゆっくり低速で走った。最後に家の前にバイクを移動するのにも非常に苦労した。段差を乗り越えるスロープが金属で、スリップしそうだった。

またもどうやったか覚えてないけど、私はなんとか家の横に駐輪することができた。

死ぬかと思った。

いや、死にはしないけど、ほんとに、ほんとに怖かった。

 

あの坂から自宅まで、車が一切来なかったのが本当に奇跡だった。

バイク歴30年、私は立ちゴケも走りゴケも未経験だ。事故ったこともない。怖い思いを私はちゃんとしていないがために、こんな無理をしてしまった。

歳を取ると経験を重ねて慎重になるというが、「大丈夫」という経験を重ねてしまうと、むしろ無理をしてしまう。

そこで、大丈夫だとおもってなんかやってしまって、じじいやババアは命を落としてしまうのだろうなあ。いやそれならまだいい、他人の命を奪ってしまったら。

気をつければいいってもんじゃないのだ。

 

不思議なことにこんな経験をしても「もうバイクには乗らねえ」という気には一切ならない。だって生活手段だもんなあ。

老人が免許を返納しないのも、車がない生活が選択肢にないからだろう。

 

息子には「かーちゃんは絶対バイクで死ぬ」と言われているが、死ぬならいいけど(良くないが)重い後遺症を負って息子にフル介護の負担がかかる可能性はとても高い。

改めて、自分の中の「歳食ったが故の無謀さ」が存在することを実感した。

ああ、怖かった。

 

2020年の十大ニュース

おわっ。2020年が終わってしまった。毎年恒例の十大ニュースが書けませんでした。

しかし「書かなくては」と思い続けて、結局ぜんっぜん余裕がなくて書けなかったのです。

 

去年はこういう年でした。

 

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さて。今年は。息子の大学進学を機に人生変えようと思っていて迷走中です、もちろんコロナの影響もあります。

1. 仕事を始めた(パートだけど)

2. 就職活動を3月~10月に渡ってして「なんの成果も得られませんでした」

3. コンビニのアルバイトを辞めた 

このへんまとめて「どーん」という変化でした。時系列でいくと、3→2→1なんだけど。だから1月から10月のできごとなのでほぼ1年にわたって苦しんだ件ですね。

まともにお金を稼ぐ人になろう、と思った。言い方を変えれば必要に迫られた。まずはまともにお金を稼げないコンビニのアルバイトを辞めました。5年も続いたし、思い入れもたくさんある。嫌な思いより楽しいことばかり思い出す。

そして就活を始めた。ハローワーク、情報誌、ネット、アプリ、いろいろな方向から応募し、20社くらい成果は得られず。

50歳になってしまったのを機に、「もう正社員は無理だろう」と正社員のアプローチをやめ、「なんでもいい、ただ、ちょっとでも時給が高いパートで少しでもたくさん働きたい」と探し始めたところ、見つかったのが今の勤務先。業種は小売業です。

目指せ月収18万!から目指せ月収17万!になり、結果的に今月収13万。まじかよすくねえって感じなんですけど。

実際働きはじめてどうなんだという話は、すごくすごくすごく語りたいんですけど守秘義務もあるしまた別の機会に。 一言だけ言っておくと、いいこともあればわるいこともあります。

4. 3月、死ぬかと思うくらい大変な時期を過ごした。

この時の大変さは生涯の中で1,2を争うだろう。

私、人生で辛いことがあったら「あの大学の非常勤をやった時期の辛さに比べたら!」って思うようにしてるんですけど。

あ、よかったらこの渾身のブログシリーズも見てくだせえ。

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…この頃の辛さを超えました。

死ぬかと思った、3月は。

まあ詳しくはこのブログに書きましたので。

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一つだけ言っておきます。

大学受験生の母はまじでつらい。他にイベントや新しいことに着手するのはやめたほうがいい!!!!!!!

(まあ前期一発合格ならこんな苦労はしないのだがねみなさんがんばってくださいほんとあははははははは、思い出しても胃が痛い) 

5. ビール活動引き続き

2019年の冬に知り合った仙台のビールコミュニティの方々と交流が広がり、楽しいビールライフを送ることができています。

6. 息子が受験

詳しくは4を参照のこと。

といっても受験がすべて仙台で済んだのはよかったですねぇ。

7. 息子が高校卒業して大学生に

他県にアパートを借りてがんばって一人暮らしをしていましたが、今は仙台におります。 リモート授業だからね。

8. コロナ

息子はオンライン授業、夫は在宅勤務。

そういうわけで家にいつも3人いることになり。つらい。

私は布団で眠ることができなくなりました。(説明はめんどくさいので会えた人にだけ話しますが、もう半年ほど布団で寝ていません) 

 

オンライン授業については、その前から一人暮らししていた息子とzoomで定例ミーティングしていたり、そもそも息子がゲームでPC慣れしているのもあって、おそらく一般の学生さんよりずっと適応が早かったようです。

息子は対面授業よりずっといいって言ってました。いわゆる飲み会やサークルなどのキャンパスライフには元からあまり興味がなかったみたいなので。

9. MacをやめてWindowsにした

1~3に関連するんですけど。私、ずーーーーっとMacだったんです。Adobeソフトを使いまくり、グラフィックソフトを使いまくり、プログラミングとかいろいろ仕事はすべてMac。血となり肉となりMac使いとなっていたんです。

でも、ふつうに仕事するなら、Windowsじゃないとお話にならない。ふつうの会社は98%Macじゃないですか。

求人票に書いているんです。「Word、Excelの基本的な機能が使える」(中にはsumが使えること、とか書いてある。それ、スキルだったのか)

私、Google のdocやspreadsheetは普通に使ってますよ。でも世間で求められているのはマイクロソフト謹製のOffice。そんで購入しましたよ。Macに入れてみた。

そうしたら、フリーズしてぜんっぜん使い物にならない。固まる、遅い、だめ。

そもそも今のMacってソフマップで買った中古のMacbookAirです。そろそろ限界かもなと思っていた。

さて、困った。ふつうに仕事するならWindows。またプログラミングやグラフィック関連の仕事するならMacの新しいやつ。もちろん高い。この腰痛を抱えて、デスクワーク必須の後者の仕事を探すのか。いや、それより50歳未経験ババアなら、一般に普及しているWindowsを使えるほうがいいんじゃないのか。

結局Lenovoを買いました。

当初はもちろんめちゃくちゃ戸惑いました。バーチャルデスクトップの背景が変えられないのが嫌、とか。あと英字→かな入力の切り替えがいつのまにかALT+半角全角でなく、半角全角だけになっていたとか。

やがて、慣れました。だって結局、ほとんどがブラウザベースなんで、Chromeさえ入れればあんまかんけいない。

今や、違和感なく使っています。

そしてOfficeの勉強のために本も買ったんだけど、勉強は途中で止まっておるな。

10.日商簿記3級受かった

その頃やっていた(今もやっているが)仕事で、簿記の知識が必須だなと思ったので、受験しました。仕事にも生かせて、とても面白かった。

成績は満点を狙ったんですが…当日ちょっと迷った部分があって、はたと間違いに気づき、手がふるえながら、電卓もうまく叩けず(簿記は電卓を使わなければならないのです)字も書けないぐらい慌てながら、答えを直したところがあって、それが結果的に正解で、1問だけロスしたという驚異的な成績で終わって、ほんと良かったです。

で、3級の合格が見えたところで「よし、次は2級だ」って、テキストをメルカリで買って2級目指して勉強始めたんです。そもそも就職の役に立つのは2級以降。

よし!やるぞ!と思ったんです…が…。

就活の過程で、やる気を亡くしました。

やっぱ経理って全然興味が持てないんだよね…正直、楽しくない。

3級の時は面白かったけど、なんだろ、めんどくさくなりすぎるとダメなんですかね、私。

 

さて、来年こそは、笑って迎えたいですね。(と、もう何年も言っている気がする)

粉ふるいを分解して洗ってみた/人の記憶が簡単に変わること

粉ふるいという調理器具がある。ホームシフターとかいう名前で売ってる。中に粉を入れて持ち手のレバーを「かしゃかしゃ」とすると、ふるうことができる。お菓子作りをする人には必須のアイテムだ。購入して18年くらいになる。

私はお菓子作りが好きなので愛用してきたが、最近、どうも持ち手の「かしゃかしゃ」がスムーズに行かず、引っかかるようになってきた。しかもふるって出てくる粉の量が少ない。詰まっているみたいだ。横から手でパンパンたたいて落としながらようやく使っている。

よく見ると、ふるいのネット部分は着色し、汚れもこびりついているようだ。パーツが接する部分に錆のような茶色いものも見える。
多少の汚れは気にしない私だが、錆は、まずいなぁ。
それにうまく使えないのはストレスだ。時間もかかるし。
捨てて新しいのを買うか?

手にもって思案し、ゴミ箱に放り込む直前で、思い直した。長年の汚れを綺麗にするくらい、試してみてもいいんじゃないか。
小麦粉をふるう時しか使っていないから、タンパク質を分解できる洗剤かなんかにつけて、汚れをうるかして(※通じない人はググってください)みるか。分解もできそうだし。

ただの洗剤よりはアルカリ性がよさそうだ。
そういえばプロは粉ふるいをどうやって手入れしているんだろう?
そうだ、まずは粉ふるいの洗い方を検索してみよう。
検索してみた。

 

「粉ふるいは、洗っちゃだめ!」

衝撃の事実。
粉ふるいは洗ってはいけないという検索結果がずらりと出てきた。

がーん。
知らなかったよそんなの!
いままで、使い終わったら水中でがしゃがしゃ動かして、じゃーっと水を浴びせて、乾かしていたよお。

なんだよー、洗っちゃダメなのかよ。
でも納得できないなぁ。汚れるじゃん。汚いじゃん。
しかしもう遅い。18年間洗い続けていた事実は変えようがない。

実際にしっかり汚れはついているし。綺麗にしてみよう。失敗したら買い替えるということで。
粉ふるいの下部のピンを外すと、バラバラに分解できた。ほほうこうなっているのか。シンプルな構造だから組み立ても簡単だろう。そして洗剤を溶かした液を作って、バラバラになった粉ふるいを浸し、一晩うるかした。

 

翌日。
うるかした洗剤液はやや濁り、無数の茶色の粒が浮いている。温泉みたいだ。いや、汚れが落ちているぞ。
要らない歯ブラシでパーツをこすると、つるりと汚れが落ちる。いける!
すごい!綺麗におちることおちること。
錆だと思っていたところは、全部汚れだった。全然劣化していなかった。
ぴかぴかになった!

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うわー新品同様だ、やってみるもんだなぁ。それぞれのパーツを手に取り、うっとりと眺めた。
ふきんに並べて乾燥させた。ブログのネタにしようと思って写真も撮った。
乾いたので組み立てようと思ったが、そこで「ネットで既に誰かが分解整備しているに違いない」と気づき、検索した。

あった。
私のと同じ粉ふるいだ!

ameblo.jp

全粒粉?何度もふるってるけど気にしたことなかったなぁ。

で、手元の粉ふるいを組み立てにかかる。

…構造が簡単だから…あ、あれ?どういう順番だっけ!?

焦った。

ネット2枚、回転する羽2枚、動力伝達の棒、回転するパーツ、軸、ピン、小さなワッシャー(?)。

ええーとお。思い出そうとしたが無駄だったので、先に紹介したブログに全面的にお世話になることにした。

 

…しかしここからが苦悩の道だった。

ハンドルから針金状の棒が内部に来て、白いパーツに前後の動きを伝えてそれが回転する。その部分を、なかなかうまくはめることができない!内部は狭いから、ピンセットや指先を駆使するがなんども外れる。
ううなんだこれ。難しい。泣きたくなった。
苦労の末ようやく二枚目の羽とネットを重ねるところまで来て、はた、と気づいた。

軸がない。全体のパーツを留める軸がない。

 

あれ。
さっき手にもって眺めたよ。私、はぶらしで洗って、このふきんの上で乾かしたのに。
そのビジュアルが鮮明に目に浮かぶ。
おかしい。

慌ててテーブルの上を探す。
落としたな!そのへんに。

ない。
隣の部屋に行った?
ごみと一緒に捨てた?
バッグの中に入り込んだ?
椅子をずらし、床のクッションをはがし、掃除機を導入し、狭いところも探し、

ない。

椅子の座面の隙間。
服のポケット。
戸のすきま。

ない。

あああ。
一体。どこにいってしまったんだ。
おちつけ。

またも床を這いつくばった。
30分も探したろうか。
ああ、ここに監視カメラがあったらいいのに。パーツをどこかへやってしまった瞬間が写っていて、すぐ見つかるはずだ。
人間のログが欲しい。

ため息をついて、諦めた。
一旦、やめよう。他のことをしよう。そのうち思いがけないところから出てくるかもしれない。
さらにパーツをなくさないよう、袋に入れてしまっておこう。
私はビニール袋を用意して粉ふるいのパーツをしまい始めた。

 

と、そこに息子がやってきた。
ものをなくしたときは、自分以外が探すとすぐに見つかることがある。私は息子に話しかけた。
「息子よ、かくかくしかじかで、部品を一つ見失ってしまったんだ」
「なくしたの」と、息子。
「たしかに、洗い終わった時はあったんだよ、ほら、写真に」
先ほど撮った、パーツを並べた写真をスマホに表示して、息子に見せ…

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…ない。
スマホの写真を見て、私は目を疑った。
ふきんに並べたパーツに、軸が写ってない。
あれ?
洗い終わった時点でなかった!?

まさか。
私は流しに直行した。

そして、洗い桶に沈んでいる小さな軸を見つけたのだった。

ショックだった。軸が見つかったのはほっとした。
だけど、完全に記憶が作り替えられていたのがショックだった。


私はその軸を手に取って眺めたと思っていた。細かい汚れが落ちたなと思いながら。でもそれは軸ではなく回転するパーツの記憶だった。手につかんだ感触まであったのに、それも違った。
なんだなんだなにが起きた。

人間の認識ってこんなにもろくて簡単に書き換わってしまうのか。たかが「あるはず」という思い込みで。
「確かに見た、あった、触った」
という感覚が、まったく事実ではなかった。
こんなことってあるんだあ…
認知症や薬などで幻聴や幻覚、せん妄が現れるというけど、こんなに簡単に自分に同じようなことが起きてしまうんだ。
老化、だろうな、と認めたくないが自覚した。(ストレスもあるだろうけど)


気持ちを切り替えて組み立てを再開した。そしてそこからがまた大変だった。
探しているときにばらしたので、粉ふるいは最初から組みなおし。
これが、本当に本当に大変で。
先のブログの人も小一時間格闘したという、持ち手部分が全然うまくはまらず。
そして各パーツを重ねて重ねて、軸がうまく刺さるようにするのが本当に難しい。
ちょっとした衝撃ですべてが無になる。

ようやく、軸を差して、小さなピンで留めたときは心から安堵して、大きな大きなため息が出た。
そして思った。
なんか作業する時、写真って、撮っておくもんですね。

かしゃかしゃとハンドルを握ってみる。
以前のひっかかりはなくなって、スムーズに動くようになった。
めでたしめでたし。

 

というわけで、粉ふるいは洗っちゃだめらしいのですが、既に洗って何十年も使ってしまった私のような人のために、この記事が参考になれば嬉しいです。でも分解掃除は自己責任でね!あと細かいパーツをなくさないように十分ご注意ください。

「発酵野郎! ー世界一のビールを野生酵母でつくるー」鈴木成宗

 

 

ビール検定を受けるうくらいビールが好きだ。

monyakata.hatenadiary.jp

 

そもそも私が本格的にクラフトビールに目覚めるきっかけとなったのが、伊勢角屋麦酒のNEKO NIHIKIというビール。

飲んだ瞬間「めちゃくちゃおいしいー!」と心底感激した。その後飲み歩き買いまくるきっかけとなった。そのビールを作った会社の社長さんがこの本の著者の鈴木さんだ。

www.biyagura.jp

 

この本はずっと買いたかった。たまった楽天ポイントでようやく買ったわ…

なお私は本は図書館で借りることがほとんどなんだけど「発酵野郎!」はいっこうに仙台市図書館に入らない。けしからん。

 

鈴木さんは東北大学農学部出身とのことでなんか嬉しい。とんぺーの農学部出身の人って変人で楽しい人が多いので、きっと鈴木さんもそんな人だろうと思って読んだ。

いやーーーーー。期待に違わず面白くてへんな人だった。

伊勢角屋麦酒といえばクラフトビール好きなら絶対知っている会社だけど、その会社がこんな成り立ちでビールを作ることになったなんて知らなかった。

鈴木さんは酵母と戯れたくてビール造りを始めた。バリバリの野心家っぽいギラギラしたかんじが全然ない。

酵母がかわいい」って、ビール好きや研究者がよく言う。私は実物を見たことがないのでわからないけど、本当にかわいいんだろうなぁ。

 

この本にビールで世界一になったクラフトビール会社の社長の成功譚を期待するならちょっと違う。研究者っぽいユーモアとオタクっぽさが炸裂して、ビールにまつわる様々な知識が楽しく手に入れられる、「へぇー!そうなんだ!」の連続だ。科学読み物を楽しめる人におすすめしたい。

(だから正直、帯の推薦がちょっと嫌)

読めばビールが飲みたくなるし、手に入れた知識を語りたくなるし、楽しい気分になれるし、酵母がいとおしくなる。

 

鈴木さん、古巣の仙台に来て講演してくれないだろうか…